7『落とし物を追って1』

 学校の屋上に続く切り返し階段の中間に夕陽が差し込む。

 そこで今しがた通り抜けた場所を見上げながら、明湖あこは厳めしい声を出した。


附口つきぐち君はそこで何してんの?」


活疚かやまさんが屋上に行くのが見えたから気になってね」


 ひょうひょうと答える附口の顔色を、明湖は目を細めていぶかる。その目が右に流れ、上を回って、左下まで降りた後に明湖はまた口を開いた。


「ストーカー?」


「待とうか」


 附口は速攻で静止した。表情だけは微笑んでいたが、声色のキレからするにそれ以上の弁明も出てきそうだった。

 だが話題を両断するように駈壟かけるが口を挟もうとして、


「おい附口、お前――」


「駈壟、詳しい話は外でしないかい?」


 更にそこへ附口が被せて来た。

 眼鏡の奥で駈壟を見つめる真っ黒な瞳は奥行きが見えず、駈壟には底が測れなかった。






 山から降りた涼風が通る屋上に、再び人影が現れる。

 施錠された金属の扉を揺蕩たゆたう体ですり抜けると、若干透けている自分の手を眺めながら附口は興味深そうに呟いた。


「へえ~、すり抜けるのってこんな感じなんだね」


 ほとんど間を置かず明湖と駈壟が続いて出て来る。

 全員が通り抜け終わると、幽霊化を解除してから駈壟は訊ねた。


「お前さっき『話は聞かせてもらった』って言ってたよな」


「あ、それは嘘」


「お? なんか暴力的な気分になってきたな」


 悪びれもせず即答する附口に、駈壟の人相の悪い顔が一周回って驚きで丸まった。

 校舎の屋上は貯水タンクと換気パイプと、落下防止用フェンスくらいしか無い。

 その景色を見回すと附口は少し伸びをする。


「いやあ、僕も屋上入ってみたかったんだよね」


 弛緩しかんした声が夕空に染み渡る。

 附口に釣られるように二人も視線を景色へ向けると、山際の校舎の屋上から少し遠くに町と大きな川が見え、黄色い日向が目の奥をじんわり温めた。


 その風情自体は駈壟も明湖も多少認める所ではあるが、ついさっきまでも居たのだから駈壟の不機嫌は緩和されない。


「さてはお前それが目的か?」


 そう駈壟が黄色い瞳で睨むと、彼は何処か演技臭く弁明する。


「いやいや、もちろん一番は二人で何してるかが知りたいかな。しかも駈壟が能力者だったとあれば、好奇心も並みじゃ済まないもんだよ」


「プライバシーだ」


 スパッと断じてそっぽを向いた駈壟の顔を回り込むように、附口は彼の顔を覗き込んで喋った。


「活疚さんは知ってるのに? 転校して二週間の駈壟が活疚さんだけはそんなに信頼してる理由も気になるなあ。それともあと二週間経てば僕にも教えてくれたり?」


「面倒くさ」


 そう小さく呟いて駈壟は返事を渋った。そのどうにも中々進まない様子の会話を、横から明湖が真顔で瞬殺する。


「今日から探偵するの」


「何普通に喋ってんのお前?」


「えっごめん、そんなに秘密にしたかった?」


 明湖は反射で謝るが、申し訳なさよりも純粋に疑問が勝つ声になっていた。説明不足を悟った駈壟からは、最早許すも怒るも無い溜息が出る。


「いや能力者で探偵とか広まったら絶対周りが面倒になるだろ」


 上手く駈壟の矛先から逃れた附口は、何事も無かったかのように不満へ話題を乗せる。


「確かに能力者って周りには秘密って人多いよね」


「人間関係とかめんどくなるからねえ」


 続けて明湖が、何処か遠い目で補足した。

 この流れで駈壟の苛立ちを上手く蒸発させた、という空気を感じ取ると、附口は貼り付けたような笑みで言った。


「でもさ駈壟、ぶっちゃけもう手遅れだよね! 僕もう聞いちゃったし! てか僕がうっかり口滑らせたらもっと面倒だと思わないかい?」


「思う。殺すか」


「原始人並の倫理観だね」


 即答で切り返してきた駈壟に、いよいよ附口からもツッコミが出始めた。






 その後また少し時間を使い、二人はつまんだ概要を語った。すると附口は実に的確に要点を捉え、夕日がウェルダンまで焼けるより前にはまとめる段階まで来れた。


「つまり、将来は探偵志望だからその練習として鈴の音事件を調べてるって事?」


 眼鏡をクイと上げて附口が確認すると、駈壟は頷く。


「そんなとこだ。特に調査方法のアテは無いが」


 切れ味の無い声色でそう言いながら、駈壟は首に手を回し目を逸らす。意気込みに対する、現状の速度感の無さに対するばつの悪さが、全身の端々に浮くかすかな動作からボロボロ滲んでいた。

 ただ附口はそれを煽らず、むしろ油断無く思考を述べる。


「でも二人の能力を組み合わせれば、誰にも見られず何処にでも入れるわけだろう?」


「まあ、理論上はな」


「……凄いね」


 感情を固定したような抑揚で附口は呟いた。

 温度感に無意識の違和感を覚えた駈壟は、彼の眼鏡面を指差し敢えて忠告する。


「念のために言っとくが犯罪ではあるからな? 理由も無く積極的にはしないからな?」


「ダウト。今してる。昨日もした」


 しばらく黙っていた明湖がサッと上げ足を取り、駈壟の眉間に皺が増えた。

 そして再起動した附口が、人差し指で自分を指しながらまた口を開いた。


「なるほどね。じゃあ僕も探偵に入れてよ」


「はあ? なんでお前まで」


 怠そうに駈壟が訊くと、腕を組み附口は答える。


「有体に言えば、二人とは仲良くしたいからって感じかな。あと純粋に楽しそうで気になるから」


「お前が言うとなんかキモいんだよな」


 駈壟の顔には露骨に不快感が浮き出る。それを真正面から浴びても附口は笑顔を崩さず、むしろ打算的な薄暗い光を眼鏡に宿すように語った。


「いやいや、能力者が同級生に二人も居たらそりゃ仲良くしたいってもんでしょ。能力者って十万人に一人だよ?」


 仲良くしたい。

 という部分に若干思惑を感じ取れたのが、駈壟の心へ逆に安心を生んでいた。


 恩を売る目的ならば余計な事はしてこない。少なくともロジックの上ではその筈であり、駈壟の中ではひとまず理解可能のジャンルに分類される。


 ただその上でも、駈壟の怪訝けげんな面持ちは別の理由が重なり減らない。


「どうだかな。弓万深ゆまふか市の人口が六十万人なのに、既に三人が同じ町内で遭遇してんだぞ?」


 そう説明する駈壟の表情に陰が掛かる。


 単に計算の不和を気味悪がっている、という文脈ではある。

 附口が恩を売りたいとは言うが、恩を売るだけの価値が駈壟に本当にあるのかが、駈壟本人には少し怪しいデータなのだ。当人にしてみれば奇妙さもあるだろう。


 しかし附口には駈壟の表情の理由が、どうにもそれだけには見えなかった。

 だが様子を観察するよりも先に、明湖が会話を拾った。


「それは駈壟の主人公補正でしょ」


 拾って投げて、明後日へ激突した。


「実在しない概念を根拠に持ち出すな。そもそも一緒に探偵にったってお前役に立つのか?」


 呆れ気味に駈壟がそう指摘した、その翌日の放課後。


「依頼者見つけて来た」


 笑顔でそう言った附口は早速一人の女生徒を連れて現れた。

 下校寸前に下駄箱まで来て、靴を手に取っていた所を呼び止められた駈壟の顔には、深く深く不愉快な情緒が刻み込まれた。






 二年一組の教室の椅子を、一つの机に合わせるようにして三人は座る。駈壟と女生徒が向かい合い、附口がその横に陣取った。


「彼女は禅条ぜんじょう穂香ほのかさん、僕と同じ一組の生徒だよ」


 附口の紹介に合わせて禅条は軽く会釈する。

 髪を後ろで二つにくくり、そのおさげを三つ編みにまとめた背の小高い大人しそうな印象の少女だった。ブレザーの胸元にある刺繡には紹介された通りの禅条という苗字がわれている。


「どうすれば一日で見つかるんだよ依頼者が」


 呆れながら駈壟がそう訊くと、附口は貼り付けたような微笑みで弁明を並べる。


「偶然だよ。でも探偵の仕事って事件解決より探し物系や調べ物系がほとんどだと思うんだよね! 多分こっちの腕を磨く方がいいんじゃないかな」


 舌打ちしたくなるのを堪えて恨めしい表情をするだけに留め、気を切り替えて駈壟は禅条に向き直った。それに合わせて附口も彼女へ紹介する。


「彼は三組の逵紀きど駈壟かける。探偵志望なんだ。きっと力になってくれるよ」


「附口、お前がメモを取れ。それで、えー、禅条さんは何に困ってる感じ、でしょうか?」


 倦怠感を漂わせて、駈壟はぎこちなく距離感を測りながら話を促す。彼女は附口がスマホを取り出す数瞬を待ってから、つやでるような声で話し始めた。


「今朝落とし物しちゃったみたいで。ロケットペンダントって分かる?」


 駈壟はポケットへ手を入れて既に若干気怠げになっていた。


「写真とか入れられるペンダントだっけ」


「うん、緑っぽいメッキで五センチくらいのロケットを普段は鞄に付けてるの。今朝家を出た時はあったんだけど、昼見たらストラップが千切れてて」


「学校に来た時にはまだ合った?」


 禅条は首を横に振る。


「正直ちゃんと覚えてないけど、職員室や教室の落とし物入れには無かったから多分登校した時なんだと思う」


 やる気が無いなりにも駈壟はそこそこ真摯に話を聞いていた。寂しげな表情を浮かべる禅条に、駈壟は自分のスマホで地図を表示して机に置く。


「じゃあ家の場所と通学路を教えてくれ。とりまそこを探そう」


「あー、教えるのは良いんだけど、実は問題があって……」


 歯切れ悪くそう言うと彼女は傍に置いていた手提げバッグを開き、小さいカメラ、と言っても普通のデジタルカメラよりは一回り大きいカメラを取り出した。


 それは俗にデジタル一眼と呼ばれるカメラだった。彼女の手のひらにようやく収まる程度のカメラ本体の奥行きを、更に簡単に超えるほどの長さを持つレンズが付いていて、今はレンズには黒い蓋が付けられたいた。


 そしてそれを顔の横に掲げると、禅条は少し申し訳なさそうな笑顔で言った。


「私の趣味がこれな所為で色んな所を歩き回っちゃって」


 更にそして、文芸部の退部届を手に通り掛かった教室の外からその様子を見掛けた明湖が、


(また私抜きで話が進んでるんだけど?)


 と一人乾いた笑みで哀愁を漂わせ取り残されていた。






 その晩、依頼の内容がグループチャットに共有された。チャットの文章としては長すぎるが、情報量を鑑みると簡潔にまとめられていると言っても良かった。

 風呂上がりの髪をドライヤーで乾かしながら、明湖はその内容に目を通し、粗方を読んだ後に自分もチャットを入れる。


『これを明日探すの?』


 その約一分後に『KK』という名前の、デフォルトの人型マークのアイコンが返事の吹き出しを返した。


『そうだ。撮った写真から大体の行動範囲は今日の放課後の内に割り出せた』


『よくそんなすぐ依頼が来たわね』


 明湖が関心していると、三人しか居ないグループのもう一人が横から返事を挟む。


『僕も役に立つでしょ?』


 という吹き出しを喋った、真っ白な机に置いた黒縁眼鏡単体の写真アイコンの名前は『鷹行』となっていた。そのメッセージを糾弾する言葉がKKから数秒で飛んでくる。


『俺の事話していいとは言ってないけどな』


『能力の事は言ってないから』


 鷹行は短い弁明と共に『ごっめ~ん(笑)!』という台詞が書かれた手書きっぽい文字だけのスタンプを貼った。

 ただ、明湖の目線はスタンプではなくメッセージの文章に向いていた。彼の『能力の事は言ってないから』という一文を眺め、明湖のまぶたは疲れたように細められる。


(……外敵も居ないし、能力者の学園もランキングもなんで無いんだろ。能力社会ってもっと面白くなってると思ったのに)


 彼女はドライヤーを切るとベッドに座り、そのまま横に倒れ込んで二〇二一年のカレンダーを眺めた。



 能力の正体は不明だ。


 普通の人には無い多様で特殊な力らしき現象をそう呼ぶ。

 実在する事だけが事実とされ、それ以外は全て検証中の仮説か、間違いか、証明不可か、妄想か、陰謀論の域から出られない。


 世界に突然発生したのか、気付かなかっただけなのか。

 そうして科学が追い付けないまま十一年が経ち、能力者は人類の中で『ゼロ人』から『十万人に一人』という値まで増えた。


 だが今の日本では住民票に登録する事以外に追加義務は無い。トラブルを懸念して、駈壟のように周囲の人間には隠して生きている能力者も少なくない。

 それも影響してか、大多数の人間にとっての能力者は有名人か何かのような、居ても出会わない概念上の存在のように捉えられる傾向があり、能力者だと知られれば当人には面倒ばかりが増えるというのが共通認識だった。


(……にしてはなんか附口君リアクション薄かったな、バレたならいっその事もっと持てはやしてくれてもいいのに! もしや能力者の知り合いが居たり?)


 と思うと明湖は体をベッドから跳ね上げて、グループチャットに勢いのまま質問を叩き込んだ。


『そういえば昨日は全然騒がなかったけど、ツキグチ君って実はもう能力者に会った事ある?』


『毎日会ってるよ』


 数十秒後に眼鏡のアイコンがそう返事した。


「はあ!? なんじゃそりゃ!?」


 部屋で一人声を荒げ、勢いのままに訊き殺す勢いで更に明湖は指を怒涛に動かした。


『聞いてないんですけど!? 何、誰!? まさかツキグチ君も能力者じゃないでしょうね!?』


『僕は能力無いけど、姉ちゃんが能力者なんだよね。全然使わないから多分三年にも知ってる人居ないだろうけど』


 届いた回答を読むと驚きが一周回って溜息になる。


「えぇ~? はあー……めっちゃその辺に居るじゃん。十万人に一人とは何だったのか」


 そう呟いた明湖は興奮と徒労感と混乱と、今まで何故知らなかったのかという手遅れの怒りが混ざり、複雑に顔が引き攣っていた。






 同刻、そのグループチャットでアニメキャラクターのアイコンを持つ『かやまのあこ太郎』の質問への回答を、既に消灯した室内で駈壟は見ていた。


 駈壟は画面の光を頼りに暗闇の自室内を歩き、机の引き出しの鍵を開けると十数枚程度の書類の束を取り出す。デスク備え付けのライトを照らすと、書類の束の一枚目が可読になる。

 表紙に相当するその一枚は、真っ白な用紙の中央にポツンと大き目の明朝体でこう書かれていた。


『弓万深市での能力発現者数の異常上昇に関する調査レポート

 担当者 尾沁新一 二〇一四年六月三十日』


 その見出しを浅く睨んでから駈壟は表紙をめくった。

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