6『鈴の音事件5』

 夜空の影に町は沈む。

 劣化した街灯の弱弱しい明滅が、道の極一部を弱く照らす。

 その中を駈壟かけるは、スマホを見ながら歩いていた。


(……通学路を外れてただけでこんな迷うとは。最初からマップ見れば良かった)


 などと考えている事は顔色には出さないが画面には出ており、駈壟の視線も景色より地図に集中していた。


 それでも一歩目の足音には気付けていた。

 だが違和感を覚え振り向こうかと神経が考えている間に、その男は一瞬の手際で、狭い裏路地へ駈壟を引き摺り込んだ。


「っっ!?」


 呻き声を出す事すらも封じるように、マスクを付けた男は駈壟の喉を的確に潰してくる。


 この時、同時に駈壟は背中へ違和感を覚えた。


 そして一気に押し寄せた様々な情報に頭が引っ張られるゼロコンマの間で、更に駈壟の視界を手が覆う。

 駈壟は視覚を塞がれそうになると反射的に能力を発動し、男の腕をすり抜けて拘束から逃れた。


「ッ……!」


 舌打ちしながら男は幽霊化の状態になった駈壟に更に掴みかかろうと、すり抜ける腕を更に何度も振りまくる。その反応速度は明らかに異常だった。


(何だ今の感じ? つかさっき背中に何か……)


 駈壟は幽霊化を解くとブレザーのすそを持ち、相手から目を離さず服を脱ぐような仕草を取る。


(……来ないか?)


 ポーズを敢えて寸前で止めるが、駈壟を襲って来た男は臨戦態勢でありながら突っ込んではこない。


 と、油断し、瞬きをした。

 そのタイミングに合わせて男は踏み出し、駈壟はほんの一瞬反応が遅れる。


「ぅおっ……!」


 駈壟の能力再発動は辛うじて間に合った。


 ただし相手の拳がすり抜けた箇所は喉だ。しかも中指の第二関節が露骨に刺さる間合いまでは潜り込まれていて、能力以外は駈壟の肉体が何一つ間に合っていない。


 相手の攻撃を誘おうともしたが、タイミングも完璧にズラされていた。


(けど……)


 駈壟が何かをする前に男は再び間合いを取り、その立ち姿を含めて駈壟の違和感は強まる。


(体の使い方が達人って話じゃない気がする)


 駈壟は幽霊化した状態のまま手を背中に回してみるが、付けられた物を取り外す事は出来ない。


(やっぱ取れん。こういうとこ不便なんだよな俺の能力は……)


 そう考えつつ背中に手を当てたまま駈壟も若干距離を広げ、解除してすぐ背中に付けられたものを剥ぎ取った。そして取ったそれから高く安っぽい金属の音色が震える。


「……アンタなんで俺を狙った?」


 駈壟が尋ねても男は何も答えず、睨み返しているだけだった。


 駈壟の背中に付けられていたのは鈴だった。五センチくらいの直系の金色の鈴で、一時的で十分だったのか白の養生テープで無理やり止められていて、すぐに剝がす事も出来た。


 男からの返事が無いと見るや、駈壟は一方的に喋る。


「自分の声が録音されたり、会話からボロが出るのを恐れて話さない割に、自分が何の事件の犯人かアピールするみたいにこうして鈴を使うのはなんでだ?」


 男は無反応を装っているが、逃げ道を想定するような背後への視線の動きと、体勢の僅かなズレが生じていた。


「逃がすか」


 そう呟き駈壟は男の方へ走るが、男は既に目がわらっていた。

 逆に一瞬で駈壟へ踏み込むステップに動きが切り替わり、駈壟の喉に肘の一撃が入る。


「ぁぐッ」


 声が潰れたような声が出た。

 声が出ながらつつも、駈壟は男を巻き込んで能力を発動しようとする。だがその直前で男はまた間合いを取り、周囲の石ころが幽霊化しただけだった。


 幽霊化した状態で咳き込みつつ駈壟は次の手を考える。


(クソッ、反応速度が速過ぎる。拘束しないと尋問も出来そうにないし、モタモタして通行人が来たら警察を呼ばれて尋問の時間も無くなる。それに……)


 今日の放課後の出来事を思い出し、そこから情報を整理して行動パターンを組み立てる。


(幽霊化しても隠れる能力は使えてた。まあちょいちょい動きが変だし多分体をどうこう系なんだが、確定してない以上は人質を取られたりする可能性も――


「ちょっと待って」


 明湖あこがそう言うと、駈壟は口を開けた状態で一時停止した。






 屋上を吹き抜ける山風の音が沈黙を埋める。

 放課後に駈壟の能力で学校の屋上へ侵入していた二人は、扉の前の段差に並んで腰かけて会話していた。

 していた中、その途中で明湖は流れを止めて確認する。


「ちょっと待って、今の話の流れだと私が余計な事した所為で駈壟の思惑が潰れたみたいな感じなんだけど」


「そう言ったが」


「はあああああああ!!?????」


 怒りが沸点に届きそうな明湖をジェスチャーで宥めつつ、駈壟は言い訳をする。


「別に責めてねえよ。ただ感謝してないだけで」


 それでは収まらない明湖が言葉で轢殺しそうな勢いで言い返す。


「助けてあげたでしょうが!?」


「いや逃げるだけなら幽霊化すれば済むし」


「私が隙作ったから上に持ってけたんでしょ!?」


「あれはミスったら死ぬから出来ればやりたくなかっただけで」


「じゃあ聞かせて頂きますけど! 私が居なかったとしてどうやってあの人捕まえて話聞くつもりだったわけ!?」


「それこそ能力で――」


「私が思うに!」


 駈壟の釈明を狙い通りに封じ込め、明湖は切れ気味の微笑みと共に指を立て考察する。


「駈壟は自分が幽霊化する時しか物を幽霊化出来ない」


 駈壟は口を噤む。しかし否定しない事は即ち肯定だった。それを良しとして明湖は自論を続ける。


「ついでに自分だけ戻る事も出来ない。もしそうじゃないなら相手に捕まった時点でどうとでも出来た。てかむしろ楽まである」


「最初のアレは視界を塞がれて焦ったからミスっただけで」


「ならもう一回捕まれば良くない?」


 駈壟は再び黙った。そして明湖も再び口角をにじり上げる。


「つまり駈壟が能力で拘束するとしたら、駈壟と相手の両方が幽霊化するし解除時には二人とも生身しかない。幽霊化は敵味方に関係無く無敵だし、相手の体勢も制御出来ない」


「……何が言いたい?」


 沈み込む岩盤の如く重い声で駈壟は、訊くまでも無い気のする質問を不本意に訊いた。


「駈壟は拘束出来るって言ったけど、かなり骨が折れたんじゃないかって事よ。ほら、結局私が居て良かった!」


「では居た結果、相手を拘束出来たのか、それとも変わらなかったのかを今から話してやろう」


 駈壟が握った手をマイクに見立て、一周回って逆にノリの良い司会者のような空気を出しながらそう言うと、入れ替わりに明湖の顔が渇く。


「いやそこはいいから。私が訊きたいのはなんであの人が鈴の音事件の犯人だと思ったのかってとこ。まさか鈴持ってたから?」


「そう自供したって書いてあるんだよ。手口についてもな」


 駈壟はスマホにニュース記事を出して見せる。画面の反射を手で影にしながら明湖は、いくつかの単語を呟きつつ読んだ。


「犯人の動機は弱者を助けない警察への復讐? んで能力は脊髄反射の設定」


 その辺りで駈壟はスマホを見せるのを止め補足する。


「自分が反射的に取る行動を思い通りにする能力だ。瞬きした瞬間に攻撃したり、自動的に相手の視界から回避する。相手に鈴を付ければ死角を取られても音で対処可能」


「なるほど」


 明湖は一定に納得するが、逆に駈壟は目を窄めた。


「だが疑問はある」


「そうね」


 それに明湖も間を挟むことなく同意し、流れで駈壟は語る。


「鈴の音と顔が不明なのは説明が付くが、あれだと瞬間的に気絶させられない」


「それに警官じゃない駈壟を襲ったのもね」


「それは別にいい。障害物無視の能力者が独自捜査してるのを見つけて例外的に対処するのはあり得るからな。一番おかしいのはそこじゃない」


 着眼点を否定された明湖の表情が不服そうに潰れた。


「なら何がおかしいの?」


 澄まし顔の駈壟の考察を査定するような瞳で明湖は覗き込み、彼は僅かに眉を顰めて答える。


「壊れた壁の説明が付かない」


「あれは鈴の音事件とは違うんじゃないの?」


「なら俺を襲う理由は無い。鈴の音事件に繋がるからこそ、犯人は能力で警察と違う捜査をしてた俺を目障りに思った筈なんだ。だが犯人の能力だとあの現場は作れない」


「能力を偽ってるとか」


「無くはない。能力って特定手段無いらしいし。まあ流石にそこは警察の尋問待ちだが」


 一通りの考えを喋り終えたのか、駈壟は深めの息を吐いてからしばらく影の涼しさと風の感触に浸っていた。


 ただ、駈壟の中には違和感があった。

 事件の辻褄自体ではなくもっと根本的な部分で。


(いや、本当にが違和感か……?)


 駈壟の中では不思議と、着眼点が定め切れていなかった。


 グラウンドから野球部が快打の音を響かせ、僅かな間の後にグローブのキャッチ音が小さく続く。気付けば空は少し黄色くなっていて、時間が過ぎ去るのに気付かなかった事を二人は自覚した。

 それから明湖は立ち上がって一つ伸びをすると、駈壟の方に振り向き問うた。


「で、どうするの?」


 風の速度は変わらない。


「え何が?」


 間抜けた反応を駈壟が返すと、明湖は当然のような顔をして説明不足の疑問を更に言い返す。


「残ってる謎を調べるんじゃないの?」


「なんで一緒にやろうとしてんだよ」


「だって駈壟、主人公補正めっちゃあるし」


「は?」


 正気とは思えない理論を明湖は自慢げに続ける。


「そもそもこんな半端な時期に来る転校生が、たまたま能力者で探偵目指してて偶然町で起こった事件を調査してる時に犯人に目を付けられたけど撃退出来ました、なんて都合良すぎなのよ!」


「現実はフィクションじゃないぞ」


 冷めた目付きで駈壟が一言差し込むが、彼女は大して気にせずに語り口調を跳ねさせる。


「そんな事は分かってるわよ! でも間違いなくアンタはその類の人間。私は事件に遭うタイプじゃないから、アンタを利用して主人公の座を奪おうかなって」


「嬉しくねえ」


「でも探偵になりたいんでしょ?」


 駈壟は黙ったまま見下ろす明湖と目を合わせなかった。沈黙を肯定と受け取った明湖はまた口を開く。


「駈壟は探偵、私は主人公。能力だって調査向き。お互い利用し合うのが一番合理的だと思うけど?」


「……クソ、昨日の朝だけは能力を使うんじゃなかった」


 この段階まで来ると、駈壟には明湖を止める術が突き放す言葉を掛ける以外には思いつかない。そして明湖がそれで止まる事は決してなかった。


「残念、もう遅いわよ」


 憂鬱そうにも楽しそうにも見えない顔を作っている駈壟に、明湖は楽しそうにそう言って笑う。

 ただ明湖の深緑の眼の奥の方では、ほんの僅かに妬ましく思いながら見つめていた。


 結成を承知した駈壟により話し合いが一段落付き、二人は幽霊化して屋上の扉を通り抜け屋内に戻る。

 上機嫌な明湖に大して駈壟は脱力気味であり、二人とも真っ直ぐ階段へ向かった。


 階段を降りている途中で扉の窓から差し込んでいたやや黄色い陽がスッと消え、踊り場の明るさを一気に下げた。そしてその変化に二人が気付くと同時に、背後から声がした。


「ヤアヤアお二人とも、話は聞かせてもらったよ!」


 二人の背中が少し跳ねて、声が聞こえた方……今降りて来た屋上の扉の方へと振り返った。


 暗い踊り場へたたずむその生徒の顔は、夕陽の陰で隠れている。だが二人とも声で既に誰かは理解していた。


 階段の上から二人を見下ろしていたのは附口つきぐちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る