4『鈴の音事件3』

 今朝にはあった雨上がりの湿度も、放課後にはすっかり町から乾いていた。

 駈壟かけるは下校中の学生に混じって歩く道中で、隣でうずうずと足取りを跳ねさせている少女へ、最終忠告をする。


「一応言っておくが、多分現場に入ったら犯罪だから後でどうなるか――」


「知ったこっちゃないのよ! その程度のみみっちい風紀がこんな面白そうな事に首突っ込める状況を前にして正しく機能すると思ってんの?」


 跳ね回るスーパーボールのようなテンションで明湖あこがそうまくし立てると、駈壟は疲れ気味に尋ねた。


「じゃあ了承って事で。何処で隠れる?」


 腕を組んで明湖は考える。

 山林のすぐ傍にあった学校から離れた事で、次第に見晴らしの良い坂道が近付いていた。


「そうね、まあ何処でも使えはするんだけど……ていうか、そっちのは他人に使えるの?」


 坂道のガードレールに差し掛かる直前で明湖は立ち止まり、質問に釣られて駈壟も立ち止まった。


「行ける……けど、その状態で同時に他人が能力を使えるかは分からんな」


「てことは確認が要るし、今朝駈壟が居た所は?」


 そう訊かれた駈壟は一瞬ピンと来ない顔をしたが、すぐに理解し不機嫌が重なった。


 下校の坂道は大きな視点で見ると、斜面のキツさを緩和するために、山を真っ直ぐではなく横へ降りる向きになっていた。

 学校から坂道への途中で、坂道がある方とは反対方向に道を十数メートル進むと、別の方向への下り坂に差し掛かる。


 その直前ほどまで二人が歩くと、坂の際に小さい物置小屋があった。


「この時点で見つかってたのか……」


 周囲に下校中の生徒が居ないのを確認しつつ、物置小屋の裏に回りながら駈壟はそう呟いた。


 物置小屋は錆びたトタン製で、小屋の裏には車半台分の広さしかない砂利場があった。その空間を空から覆い隠すように、蔦植物が壁になるほどまで育っている。植物の向こうにはすぐ崖同然の斜面があり、下の町へと続いていた。


「今朝アンタを見つけた時って七時よ? そら隠れて後を追いたくもなるし、そしたら能力使ってこっから飛び立つんだから流石にもうね」


 呆れ混じりのドヤ顔でそう説明しながら、明湖も錆び小屋の裏側に付いて来る。それが絶妙に許せるかんさわり方で駈壟の声は更に冷たさを増していた。


「そうかよ。じゃとっとと能力使ってみろ」


「はいはい、じゃあ行くわよ」


 ぶっきらぼうな駈壟の言い草を受け流す術を会得しつつある明湖はそれだけ言うと、何の身振りもせずに一回深呼吸をした。


 まず駈壟に訪れたのはフラつきだった。


 平衡へいこう感覚を試されるような視界の揺らぎが音も無く訪れる。枝葉のみのが輪郭をかし、別の視界がじわじわと景色を侵食した。


 その時間が何秒だったのかは最早体感では測れなかったが、三半規管が機能した時には変化自体は終わっていた。


「これで他人からは見えなくなったわ」


 明湖は得意げを隠し切れない声音で言った。






 問題の路地は、灰色の雑居ビル二つの隙間に存在する。


 未だキープアウト。路地の入口はブルーシートと黄色いテープに封鎖されており、奥はコンクリートの壁によって行き止まりと化していた。

 壁面の三メートルほど上にようやく白い柵と坂道がある。地理的に今朝明湖が駈壟を見つけた通学路の坂ではないが。


 変化はある。今朝とは違い今は上部にもブルーシートが貼られ、坂の上からも現場の様子が窺えなくなっていた。


 その上部のブルーシートの一部が凹む。

 それは扇風機の風を当てられているような、ふわっとしつつも皺の張るもので、だがすぐに収まり逆向きにまた空気が張って、また収まった。


 そこには一見して何も存在しないように見える。だが実際は明湖の能力によって隠れ、駈壟の能力によって飛翔しブルーシートをすり抜けた二人が居た。


 ブルーシートの通り抜けた部分を、屈曲した景色越しに振り返りながら駈壟は尋ねる。


「なあ、今ブルーシートが動いてなかったか。お前の能力ってどういう原理なんだ?」


 そして駈壟と手を繋ぎ、彼と同じく身体を半透明の煙のように揺蕩たゆたわせながら明湖はこう答えた。


「知らないわよ。ていうかそもそも原理が無いから能力って言うんじゃないの? 科学的に説明の付かない特別な力。それ以上でも以下でも無いでしょ」


「まあ確かに俺も自分の能力の原理とか知らんが……」


 それ以上は言い返せず、彼は質問の解像度の浅さを省みた。

 浮遊を制御している駈壟は、地面との距離感を見ながら降りる。だが予想外のタイミングで足がアスファルトに埋もれ「おっと」と言って少し浮かび上がってから能力を解除した。


 こうして再び地面に立っても、明湖の能力の景色は奇妙だった。


 まず景色が屈曲している事。周囲の景色は明湖と駈壟自身の姿を除いて、魚眼レンズを通して撮影された映像が、自分達を取り囲む球状の凹面に写っているかのように歪んでいた。

 加えて視点も妙に高く、着地時も地面との距離感を見誤った。


 更に重ねて不可解なのが音だ。


「駈壟のは結局どういう能力なの?」


「俺の能力はなんつーか……『幽霊化する能力』みたいな感じだ。飛んですり抜ける」


 という明湖の質問や自分の声は無反響で鮮明に聞こえるが、町を走る車や上空の風などの環境音がくぐもっていた。


「でも見えるじゃん、炎とかとは違うの?」


「燃え移ったりはしない」


 自分の能力の説明については、駈壟は端的にそれだけ答えた。

 この場でそれ以上は疑問が解決しない事を悟ると、すぐに自分や明湖から周辺の状況へ目を凝らす対象を変える。


 警察が粗方調べ尽くした後に来たところで、駈壟達が読み取れる情報というのは結局たかが知れていた。

 だがそれでも明湖は駈壟に感心していた。


 例えば壁に空けられた穴に対して、破片が地面に散っている様子を見た時の分析が違った。明湖の場合は、


「壁がエラい事になってる割には他はあんまり壊れてないわね」


 くらいしか言えなかったのだが、


「破片が外側に多いって事は内から外への力で壊されてるが、焼け焦げが全然見当たらない。爆発よりは物理的な衝撃って感じだな」


 程度の事は一目見てすぐに言ってのけていた。


 実際そのビルの壁は二、三メートル直径の大穴によりビル内も二階の床は一部崩壊。

 床も穴からやや右奥の方では、床タイルが割れて地盤の土が見えるほどの破壊痕にもかかわらず、それ以外が驚くほど無傷だった。向かいのビルの壁や道にさえ、ほとんど痕跡らしきものが残っていない。


 惨状、と呼ぶにはあまりに局所的だった。


 一際奇妙なのは、路地にある直径五センチ程度のくぼみだ。壁の穴と路地のブルーシートの丁度中間程度、やや壁際のアスファルトに小さく水の溜まった窪みが存在していた。


「何これ」


 歪んだ視界で窪みを見つけ、しゃがみ込んだ明湖が呟く。


「今朝は鈴がハマってた。こういう感じで」


 駈壟がスマホの画面を見せると、ビルの二階辺りから撮影したと思しき画角で目一杯ズームされた地面の写真があり、そこには確かに銀色の鈴らしき物が光っていた。


「あらまぴったり。鈴が地面にめり込んだって事?」


 明湖の疑問に、何枚か取っていた別の写真をスワイプしながら駈壟は考察を答える。


「見た限りではな。この硬さの地面に埋めるのが普通は無理な事を除けば、どう見ても普通の鈴だ」


「穴は五センチくらいだしストラップでもなさそうだし、鈴にしては結構大きいわよね」


 その明湖の一言に駈壟は目を少し見開いた。


「確かに。観察力あるな」


「名探偵アコと呼んでくれてもいいわよ?」


「鈴の大きさか……」


「せめてツッコんでよ」


 明湖のにやけ面と言葉を無視して、駈壟はその場で「鈴 サイズ 種類」と検索する。だが鈴の大きさと音色の関係性を検証したサイトや、祭り用の鈴の販売サイトが出るだけで、サイズの規格などは特に見つからない。


「別に特定とかは無理か。まあ鈴は警察が回収したろうし俺達がこれを追うのも無駄か……」


 深い息と共に駈壟はそう零し、また地面に空いている窪みを見ようとしゃがんだ。それを横目に見下ろしながら、明湖は口を尖らせて問いただす。


「なんか先延ばしにしてるけど、いい加減そろそろ何をしたいのか教えてくれてもいいんじゃない?」


「えっ、何が?」


「五歳児レベルの誤魔化し方ね」


 唐突な流れで声を軋ませた駈壟に明湖がそう言葉を刺すと、彼女に見えない角度で一瞬目を泳がせてから、駈壟は不機嫌そうな表情で立ち上がった。


「お前はどうなんだよ、普通は俺みたいな奴避けるだろ? 避けられるように努めてるぞ俺は」


「駈壟の思春期中二病ムーブってわざとだったの?」


「そう言われると訂正したくなるが……まあ誰とも打ち解けないのはわざとなんだよ。で、その思春期中二病に近付いて、お前は何がしたいんだ?」


 彼女の不可解な行動を駈壟が明文化して訊いた。すると彼女は何の冗談も無い真っ直ぐな顔で答えた。


「私、主人公になりたいの」


「おっ、思春期中二病か?」


 駈壟の反応に怒り眉を作り、やや間を置いて明湖は説明する。


「私かなり真剣なんだけど」


「そう言われても正直意味分からんぞ」


「意味らしい意味とか無いのよねこれが。その方が楽しそうだからなりたいだけだし。じゃあ次はそっちの番。駈壟はなんでこの事件調べてるの?」


 一方的で説明不足な理屈だけをドヤっぽい顔で言い捨てて手番を譲る明湖に、駈壟は目を逸らして若干上擦うわずったような声音を出す。


「実は探偵を目指してて、事件が気になったから勉強がてらに」


 そして明湖は強気に微笑み頷いた。


「分かるわ~! これ気になったわよねえ、私も今朝ここを調べるために早く家出たし。アンタも大体似た理由じゃん!」


(信じた……)


 駈壟自身、今の言葉で納得と共感を得られた事が意外だった。そのリアクションは決して顔色にも反応にも出さなかったが。

 だが駈壟が驚いていた直後、明湖は小さく呟いた。


「まあ、私はどうせ…………」


 明湖はニコついていた。


 環境音もくぐもり反響も無いこの場に、その呟きはしっかりと聞こえていた。駈壟は彼女の空っぽの笑みを見た。その言葉を拾うべきかと逡巡している間に、明湖は次の話題へ移る。


「で、探偵志望の駈壟としては、この事件では何が起こったんだと思うわけ?」


 快活な少女の質問へ、駈壟は即座に真顔で返した。


「さっぱり分からん」






 街灯の明かりが点く時間帯になっても、まだ空は夕焼けの明るさを失っていない。

 一度現場から出た駈壟と明湖は、封鎖されている路地の傍でガードレールへ腰をもたれ、近くの自動販売機で買った炭酸飲料を開けた。


「ブルーシートで囲んであるだけでかなり温度違ったわね。あー涼しい」


 車の通行に引っ張られる風を受けながら明湖は呟く。二人とも制服は春服のブレザーだった。


「そうか。じゃあジュースも奢ったし俺はこれで」


「まだ逃がさないわよ。分からんとか言いつつ引っ掛かりはあったんでしょ?」


 何食わぬ顔で去ろうとする駈壟の首根っこを掴み、明湖は話題ごと彼を自分の隣に引き戻す。駈壟も半分は観念しているようで、面倒臭そうな表情は浮かべながらも大人しく立ち位置を戻り、やがて口を開いた。


「『すず事件』って知ってるか?」


 駈壟の後ろで、通りの信号が赤へ変わった。

 聞き覚えは無いが思っていたより具体的な言葉がまず出た事に、明湖の姿勢は前のめる。


「何それ」


「この町で俺が引っ越してくる直前に起きてた連続傷害事件。最近調べてたんだ」


 明湖の目が少し泳ぎ、じわりとうつむく。

 決して分かりやすい反応では無かったが、愕然がくぜんとしたと言っても決して間違いではなさそうな表情だった。


「どんな事件?」


 溶けかけの雪のような声で明湖は訊いた。


「三月から起きてた、警官だけが襲われ瞬間的に気絶させられてる事件だ。気絶直前に鈴の音を聞いたって事だけが手掛かりで、気絶させる方法が不明だから能力の可能性大。今も未解決」


 駈壟が淡々と説明している間、明湖の表情には乾いた暗さが表れていた。

 事件概要を言い終えてすぐに反応が無い彼女の顔を、駈壟が不思議そうに窺おうとしたタイミングで、明湖は強めに駈壟の背中を叩いた。


「なんでアンタの方が町の事件に詳しいのよ!」


ってッ、そっちが知らなかったんだろうが」


 通りの信号が青に変わると車が動き、また二人の元へ風を流れさせる。駈壟は叩かれた背中に手が届かず腰の辺りを抑え、テンションの戻った明湖が話の流れを繋げた。


「で、鈴が落ちてたからこれも鈴の音事件関連かもって事?」


「まあそういう事だ。正直なんも推理はないが」


「駈壟って馬鹿隠すの上手いわよね」


「お前は下手だもんな」


「は?」


 駈壟は穏やかな言葉の殴り合いの勝者になると、ジュースの缶を自販機横のゴミ箱に入れた。


「まあどの道今日は解散だ。つかこんだけ調べりゃ明日はもう来ないけど。じゃあ俺はこの辺で」


 それだけ告げると、彼は何食わぬ顔で帰ろうとする。その腕を明湖は反射的に掴んで言った。


「待ちなさいよ、連絡先」


「スマホ持ってない」


「流石にその嘘は無理でしょ」


 冷静に言い返す明湖に、過去一番分かりやすいほどの露骨な嫌悪感を顔面へ表しながら駈壟は言った。


「なんでお前と――」


「家まで後けるわよ。能力で。何度でも」


 抗議を先回りされた駈壟は、溜息と共に空を仰いで怠そうにスマホを取り出した。


「……面倒臭いってよく言われるだろお前」


「駈壟よりは言われてないと思う」


 絞り出した嫌味も撃ち返された駈壟は最早何も言わなくなり、夜の染み込む空気には少し眩しい画面を素直に操作した。


 その後は形式ばかりは仲の良さそうな挨拶で手を振り、二人とも別々の方向の帰路へ向かう。

 しかし明湖は人目の無い小道の影へ入るとその姿を空間へと隠し、


(まあ連絡先とか関係無く尾行はするけどね!)


 と内心ではしゃいで、駈壟の歩いた道を続いた。


 その後ろを薄暗い目付きで付いて来る男が居た。


 能力で隠れる明湖とは別に、紺色の薄手のジャケットを着た男が解散した駈壟の後ろ数メートルを同じ方向に歩いていた。

 駈壟の後ろ姿を黙って睨んでいた男は、町の騒音で自分すら聞こえないかもしれない声で言葉を零した。


「……一応殺すか」

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