3『鈴の音事件2』

 ハンカチで手を拭きながら駈壟かけるは呟く。


「トイレ工事ぐらい連休中に済ませておいて欲しいもんだ」


「その頃は廊下とか教室を点検工事してたんだよ。こないだまでは東棟だし」


 駈壟の後ろを続いてトイレから出てきた附口つきぐちが、八の字眉で不満をフォローした。


 この学校の食堂は体育館の隣に校舎とは違う建物として建ち、一階全体を厨房とテーブルスペースでほぼ占領している。そして四階建ての本校舎は、四階から一つ階が下がるごとに一年二年三年の教室が割り振られていた。


 特別教室はともかく、各階にあるトイレは各学年が使うという暗黙の了解が自然と発生しているのだが、生憎と現在は三階のトイレが何らかの施工中につき立ち入り禁止だった。


 二人が三階まで上がってくると、二年生の教室と廊下端のトイレの入り口もろとも奥の工作室まで、立ち入り禁止の恩恵に授かっているのが見えた。


「三階まで来てから使えないって思い出すんだよな」


 駈壟が小言を零しても工事は特に進捗を変える事は無いが。

 立ち入り禁止のトイレ側とは反対へ二人が曲がると、


「僕は一組だから」


 と言って附口が教室の入り口で止まった。


「ああ、俺は」


「三組?」


 人差し指を立てて彼は駈壟のクラスを得意げに言い当てる。


「よく分かったな」


活疚かやまさんの隣の席なんでしょ」


「あー、そういう話もあったか」


 納得するように駈壟は呟くが附口は更に別の理由を挙げた。


「まあそもそも逵紀きど君って転校生だし。しかもゴールデンウィーク終了の一週間後に来たから流石に噂くらいはね」


「来てから二週間は経ってるだろ」


 どうにも駈壟は注目が存在するのが気に食わない様子だが、附口は軽い口調で諭した。


「二週間はだよ。今日も授業中に登校して目立つから食堂でも視線があったし。それに逵紀君、ここで友達は何人出来た?」


 わざとらしく眼鏡を押し上げて附口が尋ねると、駈壟は眉一つ微動だにせずピシャリと断じた。


「わざわざ作ってねえ」


「活疚さんは?」


「教科書の借りはある」


「てことは友達になるには僕も先に貸しを作るべきかい? それともさっき言ってた今朝の事ってのを活疚さんから先に訊くとか」


(面倒臭いなコイツ……)


 胡散臭い笑みを浮かべながら何処か芝居がかった言い回しでそう尋ねられ、駈壟の抗戦意欲は剥がれ落ちていた。


「別に貸しは要らん。つかある方が困る」


「じゃ、僕と逵紀君は友達って事で」


 根負けしたような駈壟の溜息に彼はカラカラと笑った。そして小言を飲み込んだ駈壟は頭を掻きながら指を立てて話す。


「あー、じゃあ一個だけ。その『逵紀きど君』っつーのは無しで。下の名前で呼ばれる方が慣れてるんだ」


 そしてそれを曲がり角の階段側で身を隠し聞いていた明湖あこは、また内心で叫んでいた。


(ちょっと目を離した隙になんかイベントが進行してる……!)


 彼女は口の中にまだあった気まぐれ定食をやっと飲み込んだ所であり、かなり急いで来たのは階段を通る誰が見ても明らかだった。






 午後の授業が始まっても明湖は全く集中していなかった。


 一番後ろの席が実際に教師の目を最も逃れやすいのかは学生の間でも諸説ある。

 が、審議はともかく、ここには駈壟が最後列窓際の席でその隣に明湖が居るという配置と、明湖の集中力の欠落を教師が見つけていないという現実があった。


(変な時期に転校してきた時点でなんかおかしいと思ってたけど、孤高気取りのコミュ障ぼっちに、町で起こった事件を調査して遅刻。オマケに周りには能力者である事を隠してる男子高校生……)


 それが明湖の現在の駈壟評だった。そしてその前提条件から明湖の脳内ではある答えが導かれていた。


(コイツ、間違いなく主人公タイプの人間だ!)


 それは冗談などではない。彼女は心底そう確信していた。


(そもそも駈壟が転校してきて二週間で近所のビルの壁が壊れる事件が起きてる事自体がなんかもう出来過ぎてる。私なんかこの町に十六年住んでて一回も遭遇した事無いのに! もう明らかに主人公補正かなんかが働いてるとしか思えない!)


 八つ当たりですらない嫉妬のような憤りの視線を明湖は向けているが、駈壟は今の所それに気付く素振りは無い。


(こういう奴が結局美味しい所を持っていくのかしら。そもそもあれがどんな能力かも分かんないけど、壁をすり抜けて空を飛べるならかなり有用なのは確実。例えば……)


 妄想を膨らませようと明湖が教室の窓から外を見た。


 学校の敷地から道を挟んだ向かいには四階建ての市営らしきボロマンションが建っている。基本的に校舎に平行なためどのクラスの窓からも視認可能だ。

 一席分内側に居る明湖からも、マンションのベランダで中年の男が一人煙草を吹かしているのがよく見えた。


 その男は何を見つめるでもなさそうな薄い目で、無精髭が似合ってしまっている灰色のスウェットを着た、何処ででも見かけるような印象の中年男性だ。四角い仏頂面を浮かべて、柵に腕を置いて気怠そうにしている。


(もしもあのおじさんが実はテロリストで教室に乗り込んで来たとして……)


 その男性を明湖は想像力に取り込む。


 彼女の頭の中ではまずその男が濃いサングラスを掛けてミニガンを担いだ状態で教室に突撃して全弾撃ちまくってくるのだが、そこで自分が出来る事と言えば、身を隠し近付く隙を窺って結局机の影から一歩も動けず、というくらいで。

 その間に駈壟は能力を使い、今朝ビルの壁から顔だけ出していた時のように、障害物や銃弾雨をすり抜けて相手の元に直進し、あっという間に制圧してしまう。


 というような想像が明湖の頭では容易に浮かんでいた。


(こう考えてもやっぱり駈壟は主人公的な活躍をするポジションに思えてくる……というのを自分の想像の中ですら覆せてないのがもうみじめだ……!)


 などと拳を握って歯軋りし始めた。


 隣の席で彼女がそんな事をしていると、いい加減に駈壟も彼女から妙な気配を感じ取って、明湖が見ていた窓の外を眺めてみたりするわけだが、そこに居るのは煙草を吸っている無精髭の中年だけ。


 それを少し観察してみた駈壟は内心で静かに、


(働かなくていいのが羨ましいんだろうか……)


 と思いながら、頬杖をついて煙草を吸う男を眺めた。






 時刻は午後四時半を越えた。

 机に掛かっているというていですっかり床に置かれているボストンバックを掴み駈壟は、各々が部活へ遊びへ補修へと一喜一憂する放課後の教室を最速で去った。


「あっ、ちょ!?」


 という明湖の制止が聞こえたような気もしていたが、素知らぬ顔で駈壟は無視した。

 そのすぐ後で昼休憩に続いて明湖の机に女子が来たが、


「ねえ明湖、今日帰りにさ」


「ごめんちょっと今日用事あるわ」


 封殺するが如くの食い気味で軽い笑顔を維持したまま断り、明湖もまた鞄を取って教室を後にした。


 他の学年がやや先に下校を始めたりしていてそれなりの人混みではあったが、それが逆に駈壟の足を鈍らせたのか、明湖が昇降口へ到着したタイミングでもギリギリ靴を履く駈壟を発見出来た。


(居た!)


 人混みを縫いながら、明湖は若干小走りで下駄箱に向かう。

 するとと一瞬だけ明湖を見てから駈壟はすぐ目を逸らし、一目散に外へ出た。


(うわっ、これやっぱ私から逃げてるよね!?)


 小慣れた手付き足付きで靴を履き替えて、明湖もすぐに彼の後を追った。


 だが彼女が人混みを出れた時、既に校門に辿り着いていた駈壟が小走りになっているのを見た瞬間に、明湖の思考は跳ねた。


(これ、追い付いても駈壟が能力で空を飛んだらもう無理だ)


 中指を入れて半端だった靴のかかとを履き切ると明湖は駆け出す。

 校門を出てすぐの道を駈壟が曲がった方へとひた走って、下校する生徒やたまたま歩く通行人の大人の目線を抜き去った。

 同時に頭も回す。


(人目がある所なら使わないかもしれないけど、これ多分追い付くだけじゃ駄目だ! 不意打ちで捕まえないとっ……!)


 明湖の運動神経は良い方だ。駈壟も悪くはないのだが、流石に完全な全力疾走まではしていなかった。

 駈壟はチラと後ろを振り返り、明湖が本気で走っているのが見えてやっと、


「っ、マジかアイツ!?」


 と舌打ちをしてペースを上げた。


 駈壟の向かう方向は明湖の予想通り、下校する生徒の少ない閑静な道だった。

 学校が山の中腹にある関係で、周辺の地形では高低差が死角をよく作る。細道と民家の入り組んだ、もろに土地勘の出る地域だ。


 駈壟が前を向いたのを見ると、明湖は道を曲がり相手の死角に入る。

 だがその姿が途切れる寸前に、駈壟は自分の全力で引き離せているのかを確認しようと振り向いた。

 結果道を曲がった明湖の姿がほんの僅かに見えた。


「ん?」


 駈壟からは正直な所、明湖だったのかも怪しいレベルで一瞬見えただけだった。だが今この方向へ全力疾走してくる女子は彼女くらいだ。

 そして曲がった方向と、自分の向かう先にある道の曲率を見て理解する。


(曲がり道か。つまりこの先で道が合流するから、転校したての俺が土地勘無いのを利用して先回りする気だな。なら逆に……)


 駈壟は走る向きを変えて、逆に今来た道へ戻る。

 ただこの道は学校が山の中腹に建っている関係で、下校なら下り坂だが、学校に戻る方角は上り坂になっていた。裏を掻く動きも隠密性を気にしたため、駈壟の移動速度は遅くなっていた。


 明湖が曲がった分岐路に差し掛かると、駈壟は彼女の姿が走り去った筈の方向を見る。そこには誰の姿も無く、今頃彼女がそのまま全力で道を走り先回ろうとしていると駈壟は思った。


(よし。まあ一度裏を掻いたつもりの人間はすぐ油断す――)


 虚無から明湖が現れた。


「確保ーっ!」


 確かに駈壟は油断していた。

 だが目の前の空気がけて歪み、その空間のにじみの向こう側から、陽炎かげろうのように明湖の姿が現れる事を予想出来なかった、というのは流石に落ち度にはカウントされないだろう。


 そして駈壟はタックルに沈む。


 道端へ彼を押し倒した明湖は、彼にまたがり両腕を足で抑える。更に胸倉と頭を各手で掴むと、攻撃的な笑みを午後の日差しに陰らせ言った。


「さあ捕まえたわよ! 観念して全部吐きなさい! それともあの能力でこっからでも逃げられるんなら逃げてみなさい!」


 風に揺れる木々の音が、少しの沈黙を通り抜けた。

 よくかれた明湖のミディアムヘアは、簡単に風でパラパラと揺れる。重力に従って垂れる彼女の髪は、ほのかに混じる赤さが光を通して黒髪の端に滲んでいた。


「…………」


 胸部に体重が乗り肺が膨らまないまま、駈壟は小さく息を吐く。


 そこからその状態に変化するまでに大きな現象は無かった。


 衝撃波が出る事も無く、音もせず、彼の姿はただ徐々に揺らぎ始めて、まるで淡く揺蕩たゆたう炎になったかのように静かに変化する。

 身体も服も鞄すらもアスファルトを透過して、光を散乱させるように僅かにきらめき、風に溶けるように輪郭の端々を千切れ飛ばしては再構築させる。


「えっ、痛ッ!?」


 駈壟を貫通して明湖は地面へ尻もちを付き、頭を掴んでいた手も感覚を見失った。

 そのまま彼の像が寝そべった状態からすうっと浮かび上がり、明湖の体を通り抜けて立ち上がるような姿勢になる。


「まあ逃げれるけど、ちょっとお前に訊きたい事がある」


 そう呟くと駈壟は、揺らぐ半透明の身体へ実体を取り戻させ、地に足を付けて振り向いた。

 それから地面へ腰が落ちた明湖を見下ろして端的に問い質す。


「さっきのはつまり、お前も能力者って事だよな?」


「そうだけど! てかさっきの状態からも逃げれるなら、別に走らなくてもアンタ絶対に捕まんないんじゃん!?」


 立ち上がりながら逆切れ気味に明湖が叫んだ。

 だが駈壟が何かを、言いたそうでもあり言うのが癪でもありというような顔をしているのを見ると、明湖の表情から不機嫌が消え、意地の悪いにやけ面が表れた。


「……因みに私の能力は『隠れる能力』なんだけどさ、確か駈壟は今朝警察の人に見つかって困ってなかったっけ~?」


「他人には使えるのか」


「私の近くならね。大体半径一、二メートル以内」


(狭え……)


 まぶたを閉じて眉間に葛藤を刻みながら、駈壟は深く空気を吸う。その答えを待ちきれない明湖が駈壟の手首を掴んで、


「私も連れてって!」


 と前のめりに告げた。

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