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執明 瞑

報告書1『主人公の始め方』

2『鈴の音事件1』

 彼女は思い知った。


 ――きっと私じゃなくアイツが主人公だったんだ。


 と。



 空を飛ぶ男子生徒の姿を、彼女の目は確かに捉えていた。

 その少年は半透明な姿の輪郭を、炎か煙のように風へ千切れ飛ばしては再構築させていた。

 それを空に見ていた、普通みたいな印象の少女は声を零す。


「やっぱり、能力者だったんだ……」


 遅れて来た風に彼女の、よくかれた黒く短めの髪がなびいて、奥行きのある深緑色の瞳が揺らいだ。






 チャイムを十数秒はみ出しても、少女はまだ黒板の隅に書かれた宿題範囲をノートへ書き殴っていた。

 そこへ一足先に昼休憩に入ったポニーテールの女子が来ると、少女に声をかけた。


「今日のお昼明湖あこの席で食べていいー?」


 明湖あこと呼ばれたその少女は、なんとか書き切ったノートを閉じて、肩に付くかどうかという短めの黒髪の隙間から、チラと左隣の席を見る。

 そこには窓から光を受ける空席がシンとあるだけだ。


「うん、使っていいよ」


 話し掛けてきた女子に向き直ると明湖はそう答えて軽く笑い、


「ちょっ、そっちがここで食べないんかいな!?」


 そう驚くクラスメイトを席に置き去って、反応すら聞かないまま彼女は教室を出た。


 迷わずズンズンと食堂まで向かい、生徒の列の隙間越しで窓から中を窺った明湖は、ソイツを見つけると目を細めた。


 そして彼女が列に並んだ約十分後。

 食堂の中央でも隅でもない席に盆を置き明湖はドンと座った。その振動で彼女の正面の席に座っていた、目付きの悪い黄色い瞳の少年のきつねうどんが波を立てた。


「寝癖付いてる」


 明湖はそれ一言だけ声を掛けた。


 少年の髪には確かに寝癖が付いていた。だが彼の黒髪は元々癖が強い。寝癖の一つ二つがあった所でさほど目立ちはしなかった。


 そもそも一見して、この少年に取り立てるほど違和感は無い。

 制服も周囲と同じに、男女共に共通する紺のブレザーを正しく着ている。当然同席する明湖も普通の生徒と変わりはない。


 だがそれでも何人かの生徒の視線は彼に向いていたし、少年はそれに自覚的で、居心地の悪そうな微妙な顔付きはしていた。


 更に彼女が持ってきた盆を見ると彼の眉間のしわはより深まった。ただ彼が何かを言うよりも先に明湖が口を開いた。


駈壟かけるが今日遅れて来たのは寝坊なの?」


 名前を呼び捨てた事は特に気にする様子も無く、駈壟かけると呼ばれた少年は右手で後頭部の寝癖を雑に整えながら答えた。


「そうそう、寝坊寝坊」


「嘘でしょ。朝に見掛けたし」


 彼女は駈壟の薄っぺらいホラを一蹴して、既に何切れかに切り分けられていたトンカツを一口頬張る。


「そうそう、嘘嘘」


「じゃあ何してたの?」


 彼が次のうどんを啜るよりも早く明湖は質問する。そして答えを考えている間に、また彼女だけが別椀べつわんのコーンスープを口に運ぶ。


「別に大した事は何も」


「じゃあその大してない事って?」


「お前それ食ってて『何かおかしいな』とか思わねえの?」


 反射的では無かった。

 駈壟がそれを指摘するまでに三会話は経っている。

 彼女は漬物のポジションを侵略したように鎮座するキムチを食べようとする箸を止めて、自分の盆を見ながら確認する。


「やっぱりこれ定食にしては栄養バランス偏ってるわよね」


 彼女の盆に並ぶのは、茶碗の白米、平皿のトンカツ、フライドポテトにコーンスープと、申し訳程度のキムチだった。

 当然彼は栄養の偏りを指摘したわけではない。が、疑問点の訂正の意思も言葉の最中で萎んでいた。


「いやこんなクレイジーな……つか何定食だよ」


「気まぐれ定食」


「まぐれ過ぎだろ」


 定食を目撃した生徒や数人の教師さえも同じ事を思っていた。

 だが明湖の外見の良さにそぐわない、ギャップですらない何かで構成された定食を、彼女は何食わぬ顔で食べ進めた。

 それを見ていた駈壟が自分の食事に戻ろうとしたところで、また明湖が一口を飲み込んで尋ねる。


「で、大してない事って?」


「そのゴリ押しじゃ答えないのなんとなく分かるだろ。なんで今日そんなしつけーんだよ」


 静かな不機嫌に妙に気圧されている駈壟に「なんでって」と明湖は答えようとして少し口籠くちごもっていた。


 そのなんでの答えは、ついさっき明湖が言及した今朝へとさかのぼる。






 空を飛ぶ男子生徒の姿を、明湖の目は確かに捉えていた。

 その少年は半透明な姿の輪郭を、炎か煙のように風へ千切れ飛ばしては再構築させていた。

 それを空に見ていた彼女は声を零す。


「やっぱり、能力者だったんだ……」


 遅れて来た風に彼女の、よくかれた黒く短めの髪がなびいて、奥行きのある深緑色の瞳が揺らいだ。


 少年の姿は遠近法と朝日の加減も相俟あいまって、居ると知らないとまず気付けないほど、空へ溶け込んでいた。


 その姿の行く先を彼女は目で追う。すると低い山の下部に広がる田舎町に視線が向かった。

 明湖の居る坂道は、町が見下ろせる山の中腹部だ。坂道の脇に引かれたガードレールの傍まで来れば、彼が飛ぶ方向もよく見えた。


(あっちに飛ぶって事は、あのビルだよね)


 そう考えた明湖は、町の一角に建つ変哲へんてつのほぼ無い灰色の雑居ビルを見た。


 高さ四階建て程度のビル。だがそれを超える高さの建物は、そもそも眼下の町にはほとんど存在しない。

 その町の傍にある山の、中腹くらいに居る今の明湖の視点にしても、高さは精々数十メートルほど。山を切り崩した土地に建つ民家は古くも新しくも無い。中途半端な普通の町だった。


 故に、彼女が見ているビルの唯一の異変は、坂道の上からでも少し目立っていた。


 壁が壊れている。


 それは四階程度のこまい雑居ビルが整列する中で、一際黄色と青の見える隙間。二車線分に届かない幅の、行き止まりの路地が面するビルの壁に、大きな穴が空いているのだ。


(もしかしてアイツなら現場に入れるのかな)


 明湖は心の中で期待を覚えながら駆け出した。


 ビルとビルの隙間に出来た袋小路の小道の入り口には、立ち入り禁止の黄色いテープに加えて、水溜りをまたいでブルーシートが張られていた。

 傍の道路にはパトカーも駐車している。見るからに事件現場だ。


 一方の灰色のビルの壁に空く穴は直径数メートル程度はあった。それを隠せるほど上面にはブルーシートを張れていない。

 故に明湖は坂道から見下ろした時に現場を少し見れていたわけだが、傍まで来ると逆に中は見えなかった。


 彼女が様子を窺おうと傍をちらちらしていると、見張りの警察官が「こら君、あまり近付かない」と手の甲を振った。


「うおっ」


 と声がしたのはその時だった。

 ブルーシートの中から男性が驚くような声が届くと、見張りの警官も思わず顔を向ける。共に明湖も見えない中の声に耳を立てた。


 中では男子生徒が丁度、路地を形成するビル自体を死角にするように、現場の様子を見ようと試みていた。


 つまり、少年の顔面が壁から湧いて出てきた。ニュッと。


 そして壁の前でしゃがんでいた鑑識官とその少年の目が合った。


「君の能力は不法侵入には向いてるが、犯罪には向いてないな」


 軽く驚いていた鑑識官が少年の仏頂面に告げた。

 現場を調査している何人かの警官が、壁から顔を出したその少年を見ている。


 少年はそのまま壁をすり抜けて肩まで出てきた。彼の体は炎か煙かのように、輪郭が風になびいて千切れては治っていた。


「……その壁調べたいんですけど」


 駈壟の声だった。それはブルーシートの外に居る明湖の耳にも届いていた。


 中では駈壟が気まずそうな表情で、自分と向かいにある方の雑居ビルの壁を指差して呟いていた。


 破壊されたコンクリートの破片は、水溜りのお供の如く路地に散らばっている。そして指差した先の壁には、人の身長など簡単に超える程の大きな穴が空いていた。

 綺麗ではないにしろ丸く空けられた空洞からは、穴に連鎖して二階の床も部分的に壊れているのが見えている。


 だが駈壟の正面にしゃがんでいる鑑識官以外は作業に戻り、正面の鑑識官は溜息と共に答えた。


「立ち入り禁止。さっき飛んできた時も言ったけど、君の仕事は学校に行くこと。君が能力者でも同じ」


 数舜黙った駈壟は、また言葉を見つけて話す。


「父が警官です」


「君は違うねえ」


「俺には学校よりこっちの方が優先度高いんですよ」


「日本だと君の価値観より法律の方が優先されるよ」


 当然譲られない。


 そしてこの辺りの会話まで聞き終えた現場外の見張りの警官は、一緒に中の声を聞いていた明湖に忠告する仕事へ戻った。


「はいはい、現場には近付かない。君も学校に行きなさい」


「あー、はい……」


 警官の表情が険しくなったのを見て、明湖は名残惜しくも一旦は離れた。


(やっぱここを調べに来たわね。でも別に捜査権限とかは無いっぽいかな)


 そんな事を考えながら彼女は、最後に警官の出入りで開いたブルーシートの隙間から、壁に生える駈壟の像を捉えた。


 同時に駈壟も、警官にする言い訳を考えながら逸らした目の端に何か引っ掛かる物を捉えていた。

 だがそれは明湖の姿ではない。

 駈壟の眼が見つけたのは、路地のアスファルトへめり込まされた銀色の小さな何かだ。


 鈴だ。


 雨上がりで一際の艶を持つ、直径数センチの大き目の鈴が、全体の半分ほどまでをアスファルトを押し退けて埋まっていた。


「……お騒がせしました」


 不貞腐ふてくされたような顔でそう言うと駈壟は、ずぶずぶと後退し顔が壁に沈んでいった。

 明湖は町に染み込む雨上がりの空気を溜息に変えて、通学路の坂道へと戻る。


(流石にアイツでも現場を調べるのは無理か。やっぱそんな都合のいい話無いよね。アイツもそのうち諦めるでしょ)


 が、早過ぎる登校時間中のこの考えがあやまちだった事を、彼女はこの約一時間後に知った。

 一時間後は八時二十五分。

 それはホームルームの時間になっても、明湖の隣が空席である事で発覚した。


(アイツあのままサボりおったッ……!)


 と実際には言わなかったが、彼女は心の中でかなり強めにそう叫んで頭を抱えた。

 頭を抱える動作は実際にやっていた。






 というのが今朝の出来事。


 これを踏まえた明湖の静かな不機嫌に駈壟は押され気味で、その精神の隙にどう付け込んだものかと彼女は悩む。だが、


「なんでって」


 と答えようとする明湖の声を、


「オヤオヤぁ! 珍しい組み合わせだね君達諸君!!」


 とさえぎる声が駈壟の後ろから掛かった。

 駈壟の肩が跳ねる。その拍子に箸から油揚げがつゆへ落ち、彼はますます眉をひそめた。


 ざわつく食堂に響く声で会話を裁断された明湖も同じく表情をくしゃっと潰す。そのまま目線を上げて、駈壟の背後に立っている眼鏡を掛けた男子生徒へ不機嫌に言い返した。


附口つきぐち君こそクラスが別々になったのに話し掛けて来るなんて珍しいと思うけど」


活疚かやまさんっ! こそッ! 同席には珍しいこの少年君と何の話をしてるのさッ!!」


「え、何そのキャラ」


 自身を挟んでの会話に駈壟は頭を痛めながら、一々煩わしい声の主の方を振り向く。

 やたらと似合っている眼鏡が無ければ、整っても荒れてもない黒髪も相俟あいまって特徴を言い淀む容姿の男子生徒だった。


 そして附口つきぐちは食堂で話すには過剰な声量で、やかましいという形容を全力で表現するかのように話した。


「いやいやはやはや! そこに見える彼とはこれがファーストコンタクトになるわけなのだから気合が入るってもんさ! さあ名を聞かせてくれ! 友達になろうじゃないか!! ああ~安心したまへ! 僕は怪しい者ではない!! なんの裏も無いただの普通の一般人その二と言った所さ!! さあ君の名前は何と言うんだい! 僕はねえ!!!」


「附口君って前からそういう喋り方だっけ?」


「いや違うけど」


「違うのかよ」


 という言葉を駈壟の反射神経は飲み込めなかった。明湖が指摘すると即座に五月蠅い声を止めて、附口は感情を取り去ったような真顔になる。前のめりだった体勢も戻して中指で眼鏡を押し上げるその姿には一種の哀愁あいしゅうさえ漂っていた。


「いやほら、ファーストコンタクトをある程度印象的にしておかないとさ、僕みたいなのは覚えてもらえないんだよね……」


「おう、ばっちり覚えた。二度と忘れねえ」


 もちろん悪印象であった。


「まあ君と友達になろうとしたのはホントだから安心してよ」


 今までのハイテンションが丸ごと嘘だったかのように、自己紹介通り本当に普通の人の化身のような口調でそう言いながら、彼は駈壟の隣に食べ終えた盆を置いて座りまた話し始めた。


「僕は附口つきぐち鷹行たかゆき。学年は二年。クラスは一組。逵紀きど君は?」


「俺は逵紀きど駈壟かける――知ってんじゃねえか」


 明湖がせた。


「今の、コーンスープ噴くほど面白かった?」


 駈壟の冷めたツッコミが彼女に刺さる事は無い。附口もこの流れをスルーして逆に違和感を覚えるほど自然と会話に戻る。


「ともかく活疚さんが男子と二人でってのが珍しくてね。二人って元から知り合いとかなの?」


「隣の席なだけだな。こないだまで教科書見せてもらってた」


「んな事はどうでもいいよの!」


 二人の会話を押し退けるように、気管を整えた明湖が威勢良く割り込む。彼女は箸で駈壟の顔を差しながら、


「言っとくけど私――、」


 という所まで口にして止まった。


「あれ、止まった?」


 などと呟きながら附口は呆気に取られているが、駈壟の様子は少し違った。鋭い目付きに黄色い瞳を縮ませ、うどんを食べる姿勢を維持しながらも、警戒するように明湖を睨んでいる。

 明湖はその表情に気付いていた。だが気圧されて口を止めたわけではない。


(……さっきストレートに訊いても答えなかったし、附口君が居たら絶対言わなさそうよね。如何にも秘密主義って感じの奴だし、能力の事もクラスで言った事無いし、てか駈壟と友達になってる人まだ見た事無いし)


 明湖も瞳を澄ませ、冷静に駈壟の顔色を観察していた。


(ここで朝見た事を言うと折角のチャンスが無駄になるわね)


 思考にケリを付けた明湖は箸を気まぐれ定食に戻し、だが敢えて漠然と告げた。


「今は言わないであげる」


「今朝に俺を壁が壊れてたビルの辺りで見た事をか?」


「はあ~? さっきの駆け引き返してよ? てかじゃあ訊くけど今朝のは何なの?」


 鉛のような灰色のキレ声で明湖が尋ねると、最後のうどんを一気に食べ切って駈壟は立ち上がる。


「プライバシーだ。はい俺は食い終わった」


「あ、じゃあ僕も」


 附口まで連鎖した離席に明湖も続きたいところだが、まだ盆の食事は残っており、


「あっ、ちょっ!? ずる!」


 と背中へ子を掛けるも二人が止まる事は無く、


(クッソおッ、なんで私だけこう上手く話が進まないのよ!?)


 四人掛けの席に明湖は一人取り残された。

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