第40話 ヒースの荒野

 王都から北へ、馬車で二日ほどの場所にその目的地はあった。地域としてはアストランドシャーの外れにある荒野である。雪まじりの凍て風が吹きすさぶ丘にはヒースの花が咲き乱れ、荒涼たる風景に篝火のような赤を添えていた。

 

「着いたぞ」


 カーライルの手を借りて馬車を降りたのは荒野の中にある小さな町だった。にぎわいはなく季節柄なのか常なのかどことなくさびしい印象がある。余所者がめずらしいのか、ちらちらとカーライルとエレナに視線を向ける者が多かった。居心地の悪さを感じていると、無言のままカーライルに手を引かれた。


「えっ、ちょっと何……?」

「ほら、さっさと行くぞ――あまり注目されたくはないだろう」


 それはそうなのだけれど――王都での、あの不意の接近を思い出してどきりとしてしまう。そんな内心の動揺を悟られるのも気恥ずかしいので唇を引き締めていると、すっぱいものでも食べたのかと尋ねられてしまった。解せない。


 宿屋らしき建物を見つけ、部屋をひとつ押さえることがかなった。カーライルは旅慣れているからそういうのが得意そうだが、エレナがひとりですべて手配をしようとなると大変だろう。女の一人旅は珍しく、足元を見られることも少なくないと聞く。所持金自体が少なく、資金面でもカーライルに頼りきりなのでここでひとりで放り出されてしまってはどこにも帰れない。ルーヴェンを探す旅においてもすっかり依存しきっていることにいまさらながら気づいて、エレナは嘆息した。


 案内された宿屋の部屋でカーライルは地図を広げた。此処でなら人目を気にせず話ができる。


「……このアストランドシャーには、かつてあの【薔薇】――ルーヴェンが城主を務めた古城がある」

「えっ」


 城のしるしがつけられた地図上を、とん、と長い指が叩いた。


「文献によれば、この地域は『ルーヴェン』の名を持つ貴族の領地だったらしい。それが惨殺されて――後継者もいなかったせいで、国王直轄領になったと。当時の城は放棄されて、何年も経っている。いわば廃墟だな」


 ルーヴェンの拠点はおそらくその城だという。

 王都の夜に出会ったルーヴェンのことを思い出して、エレナは胸がざわりとした。カーライルはそこに乗り込んで行って決着をつけるつもりなのだろうか。伯爵家で手に入れた【黒き星】を使って……わたしの【薔薇ルーヴェン】を、枯らす。そんな恐ろしいことをよくもエレナの前で言えたものだと思う。


 思わず視線を向けると、カーライルは地図の上に拳銃を置いた。そこから銀の弾丸を取り出すと、それをつまんでエレナに見せた。


「この弾丸を撃ち込めば、ルーヴェンを【黒星病】にすることができるはずだ。君はおとり役として、あの【薔薇】をねぐらから引きずり出してくれればいい。簡単だろう?」

「――誰もあなたに協力するとは言っていないわ」


 強情だな、とカーライルは息を吐いた。子供に言い聞かせるような穏やかな口調で続ける。


「……【薔薇】は愛を解さない。君がいくらルーヴェンを愛しても、あいつは君を血の袋としか思っていないんだぞ」

「そんなことない! ルーヴェンは……わたしを」


 ひゅ、と喉が鳴る。わたしを。わたしが想うような気持ちで接してくれているだろうか。甘い囁きでエレナと呼ぶ以上のことを、与えてくれはしただろうか。いや、それでもかまわない。そう思っていたはずなのにいざ面と向かって指摘されると言葉に詰まってしまう。

 喉に痞えてその先が出てこなかったエレナの代わりに、冷笑を浮かべたカーライルが引き取った。


「替えが効かない存在と言ったか? 特別だと? そんなまやかしに惑わされるなよ」


 突き放すような言葉に心までもが凍えた。凍てついた心臓が握りつぶされ、粉々に砕け散ったような心地がした。静かにカーライルを睨むと、エレナは「ちょっと出てくる」と言ってまだ暖まってはいない部屋を後にした。


 寒冷地なだけあって外はやはり冷える。きゅっとすくむような寒さにゆっくり身体を慣らしていると、少しだけ冷静になれる気がした。おそらくカーライルの言うことは間違っていないし、それを受け容れられない自分の方がおかしいのだとは頭では理解していた。

 

 ――【薔薇】と人間は相容れない。


 でもルーヴェンに焦がれる気持ちは間違いなどではなく、確かにエレナの中に兆しているものだ。彼が人間に害をなす存在だから、相容れない別の存在だからと言って排除することが正しいとは、エレナには断じることができなかった。


 ごお、と強風が丘に轟いている。

 ヒースの燃えるような赤の原を抜けた先に、古びた城の影が見えた。あれがおそらくルーヴェンが棲むという城なのだろう。灰色の空からは雪花が舞い続け、ひっそりと建つ孤城をいっそう幻想的に見せていた。


 ――もし本当に、あそこにルーヴェンがいるのなら。


 目で見えるということはさほど遠くはないのかもしれない。外套の前をしっかりと掻き合わせ、エレナは一歩ヒースの咲く荒野へと足を踏み出した。

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