第37話 結婚式
紅い三角屋根から飛び立った白い鳩が高く澄み切った空へと翼を広げる。羽搏きの音が静謐な朝の空気に馴染んで消えていった頃、王都の片隅で一組の恋人たちが夫婦になろうとしていた。
エリーゼ・カーライル伯爵令嬢の結婚式は王都の教会で執り行われることになった。新婦エリーゼ側の親族、現伯爵夫妻である父母は体調がすぐれず王都を離れて療養中のため欠席。代わりに出席したのは兄のロイ・カーライルでただひとりである。しかもここ数年、社交界には顔を見せていない変わり者と評判の男だった。
礼装に身を包んだ謎の貴公子を前に、式の参加者たちは色めき立った。若い娘たちは彼の端麗な容姿に見惚れていたが、多くの者は異質ともいえる彼の外見に眉をひそめた。
「ご覧になって、あの方の髪の色……銀、いえ白かしら。まるで悪魔のようじゃなくって?」
「眸の色もなんなんでしょう、あの禍々しい血の色は」
「なんでも新婦のお兄さんらしいわよ」
「ああ、あの家督を放棄して国中をふらふらしているっていう親不孝な息子ね! 妹のエリーゼ様が婿を取ってこれからは伯爵家を盛り立てていくんでしょう? 大変よねえ」
ひそひそと言葉を交わす人々など気にしたようすもなくカーライルは胸を張り堂々としている。
「……何よ、注目されるのが嫌なわりに平気そうに見えるけど」
「そりゃそうさ。俺自身はどう言われようが気にもならない。俺にかこつけてエリーゼがとやかく言われるのが我慢ならないってだけだからな」
シスコン、という言葉が頭に浮かんだが何も言わずにとどめておいたのは我ながら賢明な判断だったと思う。
祝福の鐘が鳴り響き、出席者一同が教会前の広場に出てきた新郎新婦に花と拍手の雨を降らせる。
式はつつがなく終わり、晴れてエリーゼは愛するひとと夫婦となった。
親しい友人に囲まれ曇りのない笑顔を浮かべる妹の姿を、カーライルが離れたところからまぶしそうに眺めている。教会の建物の影から日向に立つ花嫁を見つめるその姿はすこし寂しそうにも見えてしまって、エレナは目が離せなかった。
「お兄さま」
純白のドレスの長い裾を引きずったエリーゼと緊張した面持ちの新郎がカーライルのほうに向かって歩いて来る。兄妹はちょうどくっきりと影と日向をわける境界に立ち、互いに目を細めた。
ふたりの間にはあと一歩の距離しかないのに――どうしても歩み寄ることはできない硝子の壁があるようにも見えた。
「綺麗だな、エリーゼ」
「当然ですわ」
つん、と素っ気なく振る舞っているがその目にはうっすら涙が浮かんでいる。思わずエレナまでつられて涙ぐみそうになった。いけないいけない、一番彼らと縁が薄いエレナが泣いてどうするのだ。ぐすと鼻を鳴らしながらも、空に見上げて涙を飲み込む。
「エリーゼと一緒に幸せになります」
「ああ、妹は任せた」
新郎はカーライルの言葉にほっと安堵の息を吐き、隣にいるエリーゼと顔を見合わせて微笑んだ。お似合いの二人である。
「あの、ところで此方の方は……?」
やはり我慢できずにいそいそとハンカチを取り出していたエレナに新郎が目を留めたらしかった。うっかり取り落としそうになったハンカチを寸前で掴むという無様な格好を披露してしまったが、気を取り直して姿勢を正した。ぎこちなく唇に力を入れて笑みを浮かべる。
「ああ、こちらはエレナ嬢だ」
「どうもはじめまして。おふたりともご結婚、おめでとうございます!」
カーライルの紹介を受けて挨拶すると、新郎ははにかんだように笑った。エリーゼがそっと付け加えるようにして言う。
「エレナさまがお兄さまを説得なさってくれたおかげで、結婚式に出席してくれたのです。その節は本当にお世話になりました」
「いえいえ、カーライルも意地を張っていただけで、エリーゼ様の花嫁姿を見たいと思っていたに違いありませんから!」
ぐい、と腕を引いてカーライルをふたりの前に押し出すと、目を白黒させて「君、いきなり何をするんだ……⁉」と若干焦ったような表情を見せた。いつも余裕ぶっている男が慌てる姿ほど愉快なものはない、と内心にやにやしていたときだった。
「おふたりは親密そうですが、交際されているんですか?」
素朴な疑問、というふうに新郎に尋ねられ今度はエレナが言葉を失い、固まった。
「そ、そそそそんなわけありませんよっ……!」
「と、まあ口説いてはみているんだがつれなくてね。それに彼女の好みは年下らしいし」
「さりげなく大噓吐きながら人聞きの悪いことを言わないでくださいね⁉ わたしたちはただの知人です」
ばしばしとカーライルの背中を叩いているとエリーゼがくすりと笑った。
「やっぱり親密なご関係でしたのね。わたくしは祝福してよ? お兄さまを手なずけられる女性なんてこの世にほとんどいないでしょうから」
「エリーゼさまっ誤解です、親密だなんてとんでもありません! わたしは手なずけてなんていませんよ」
エレナが悲鳴のように叫べば、温かな笑いがその場に満ちたのだった。
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