第34話 地中の少女

 ぽつり、と降り出した雨が肩を濡らす。


 雨除けのために四阿あずまやへと移動し、隣り合って座った。本格的に降り出した雨にけぶる庭園は、冬枯れの樹木と相まっていっそう寒々しいもののように見える。

 長い沈黙を塗りつぶすように激しい雨が四阿の屋根にリズミカルに跳ねる音が響いていた。


「……かつて、この屋敷は【薔薇】に支配されていた」


 沈黙を破り、雨だれのようなひんやりと冷たい声音でカーライルは切り出した。


 先ほど目にした花壇の下。

 そこに埋まっているのはレニという【薔薇】なのだとカーライルは語った。


 元々のきっかけは一本の「腕」だったという。

 古ぼけた骨董品のようだったその腕を伯爵家の当主が手に入れたことでこの家の歯車は狂い始めたのだ、と。


『かえして――それはあたしのものよ』


 失った腕を求めて伯爵家の当主の前に現れたのは、夜のような黒髪に紫水晶の瞳を持つ少女だった。そして、たちまち【薔薇】の有する不思議な力で以てこの家を制圧することになる。

 そのとき【薔薇】の贄としてあてがわれたのが伯爵家の長男であるロイ――目の前にいるカーライルそのひとだった――そう、にわかには信じがたい話をカーライルは語った。


「……レニは日常に倦んでいたようで、自分たち【薔薇】という生きものに関して様々な話をしてくれたんだよ」

 

 饒舌にな、とカーライルは付け加える。


 人間の感情を糧とし、また生き血を好むこと。


 たとえ首を切ったとしても死なない不死の性質。眷属と呼ばれる自らの手足として使役できる動植物を影の中に潜ませることができること。他愛もないことも含めて彼女は嬉々として語ったらしい。


 そのなかに【薔薇】を枯らす方法があったのだ。

 

「その……それでレニという【薔薇】は、亡くなった――いえ、枯れたの?」


 激しく雨が打ちつける花壇の方を見遣りながらエレナが問うと、カーライルは首を横に振った。


「わからない、がおそらくあれはそういうことだったんだろう。レニから聞いた通りの症状を俺は見たからな」


 カーライルの表情に深い翳りが見えた。


「――ある日、レニの部屋を尋ねると彼女は息をしていなかった」


 エレナが息を呑むとカーライルはそのまま話を続けた。


「俺は急がなくてはと思った。花壇を掘り返し、レニを地中に埋めて……そこから芽吹き、生えてきたのが君が持っているその薔薇だ。だけど俺は怯えたよ、いつしかレニが地中から這い出てきて俺を殺しにくるんじゃないか、ってね」


 雨音がいっそう激しくなる。

 ぶわりと湿気たにおいとともに、手折られたばかりの花の香りがただよっていた。濡れた芳香は鼻腔に深く沁みていくようだった。


「レニによれば……不死とはいえど【薔薇】には活動を停止する時期が来るんだ――【薔薇】には自身が生成する毒があり、その自浄作用のために呼吸が止まる。その状態を『黒星病』という。その隙に身体を地中に埋めると【薔薇】はただの植物の薔薇へと変質するんだと」


 ちら、とエレナの手元に視線を向ける。


「――それが【薔薇】にとっての『死』という概念なんだろうな。だからこそ、【薔薇】を枯らすための力となる」


 エレナが手にしているその薔薇が「黒き星」というのだとカーライルは言った。


「その薔薇の花は『死』そのもの……粉末状にして銀の弾丸に混ぜ込めば強制的に【薔薇】を『黒星病』にすることができる。そうすれば、【薔薇】を滅ぼせるってわけだ」


 実家には、この「黒き星」を取りに来たんだよ。言いながらカーライルは低く笑った。その表情はどこか狂気じみていて、エレナは寒気がこみ上げてきた。


「そうまでして、ルーヴェンを殺めようというの……あの子が何をしたっていうのよ」

「君だって見てきたはずだろう。あの子供の姿をした化物がひとを殺したのを。【薔薇】に人間の道理は通用しない。共存することなんてできないのさ」


 エレナは四阿のテーブルの上に薔薇を置いた。


「部屋に戻らせてもらうわ」

「ひどい雨だぞ」

「あなたとここにいるよりはマシだもの」


 屋根の外に出るとびしゃりと頬を叩く雨に濡れながら、エレナは屋敷に戻った。びしょ濡れで帰ってきたエレナの姿を見てメイドはぎょっとしていたがすぐにタオルを持ってきてくれた。騒ぎになったせいで、二階にいたエリーゼまで姿を現した。

 ゆったりとした足取りで階段を下りてきたエリーゼは、タオルで髪をぬぐっていたエレナを見ながら嘆息した。


「……どうせ愚兄が無神経なことを言ったか、したか、なのでしょうね。申し訳ありません」


 深々と頭を下げたエリーゼに「いえ、そういうわけでは」と言いかけ――いや、どうなんだろうとエレナは考え込んでしまった。


「よろしければ、お茶を用意させましょう。温まります」

「いえ、お、お気遣いなく……」


 ちょうどわたくしが飲みたいと思っていたところなのです、と半ば強引に押し切られてエリーゼの部屋へと案内された。

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