第33話 黒き星

「ところでわたくしの結婚式には参加していただけますわね、お兄さま」

「おっ、エリーゼもついに結婚か。早いものだな――おめでとう。贈れるものは祝いの言葉しかない、ふがいない兄を許してくれ」


 湯気の立つオニオンスープを口に運びながらカーライルは軽口を叩いた。む、としたようすでエリーゼは眉を寄せる。兄妹どちらも美形の一族だからこそ、ただ単に話しているだけでも迫力があった。

 やはりこの兄妹のやりとりを見ているとエレナははらはらしてしまう。せっかくの豪華な朝食なのに味を感じないほどだ。搾りたてのオレンジジュースだってただ酸っぱいということしかわからない。

 会話に口を挟むきっかけさえつかめず、ただ時間ばかりが過ぎていく。食べ物のほうに意識を集中させすぎたせいで、エレナだけもう完食間近だった。


「ちなみに俺の可愛い妹の結婚相手とやらはどんなやつなのかな」

「侯爵家の次男ですわ。カラント王国軍に入隊しています……真面目なひとですの、お兄さまとは違って」

「そいつはいい、気が合いそうだ」


 カーライルは心にもないことを言ってにやりと笑って肩を竦めた。


「だが、俺も忙しくてな――王都にいられるかどうかわからない。悪いが結婚式は欠席とさせてくれ」

「そうですか……では式の方を延期するとしましょうか」

「どうしてそうなる」


 嫌そうに顔を顰めたカーライルを見て、エリーゼはふふ、と優雅な微笑みを口元に浮かべた。


「お兄さまは、わたくしにとって大切な方ですから。お父さまやお母さまよりも」

「……あのひとたちはいまどうしているんだ」

「別邸で優雅に余生と言うものを楽しんでおいでです。お兄さまの犠牲など忘れてしまったかのように」


 それはちくりと棘で指を突くような口調だった。

 犠牲――その言葉の重みがずしりとのしかかる。ただ赤の他人であるエレナが根掘り葉掘り聞くことは憚られた。

 それにしてもこの空間にいることが耐え難い。食事も済んだことだし、退席させていただいてもいいだろうか。カーライルをちらと見ると何を勘違いしたのか片目を瞑ってきた。

 エリーゼに向き直り、カーライルは真面目な顔で切り出した。


「エリーゼ、俺たちは【黒き星】を取りに来たんだ」

「……そうでしたか。お兄さまはまだあの【薔薇】を追っているのでしたわね」


 エリーゼが優雅な所作で席を立った。それに倣うように立ち上がったカーライルに続いて、エレナも慌てて椅子を引く。


「ご案内いたしますわ」




 硝子の天井から陽光が降り注ぐ温かなサンルームを抜け、エリーゼは庭園に出た。貴族の邸宅とは言えど冬の庭はうら寂しいものがある。枯れた草木は丁寧に取り除かれ、しっとりと濡れた色の土が花壇に露出していた。春に向けて咲く花の種蒔きを終えたばかりのようで手入れの跡が見受けられる。

 どこに行くつもりなのだろう、と考えているとエリーゼはぴたりと足を止めて立ち止まった。

 視線の先には薔薇の苗木があった。

 一目でそうとわかったのは、花を一輪だけ咲かせていたからだ。季節外れに花をつけたその花は漆黒の花弁を有し、吹きすさぶ凍て風にその身を震わせていた。

 種類はわからないが、艶やかで存在感のある薔薇の花だった。


 それではわたくしはこれで。

 淡々と告げてエリーゼは屋敷の中へと戻っていった。食い入るように薔薇を見つめるカーライルと、困惑しきったエレナだけがその場に残される。


「この薔薇がどうかしたの?」


 エレナの問いに応える代わりに、カーライルは手にしていた剪定ばさみでこの美しい薔薇を切った。思いがけない行動にエレナがぎょっとしているとカーライルはようやく口を開いた。


「黒き星だよ」

「えっ?」


 摘み取った薔薇はエレナに向かって差し出され、反射的に受け取ってしまう。持っているだけでも薔薇の甘い香気がふわりと立ちのぼる。星、と言われてみれば花の開き方が独特な形状をしていることに気付く。鋭角ではないが五つの角があり、上から見ると星形に見えなくもない。


「これが不死の【薔薇】を殺すための切り札だと言われている」


 ぽたり、と切り口から赤黒い汁が滴っている。それが渇いた地面にしたたり落ちて、丸い文様を描いた。エレナは絶句して、思わず持たされたその花を取り落としそうになる。


「ねえ……何故、そんなものがこの屋敷に在るの。それにこの薔薇の花にそんな力があるなんて到底思えないわ」


 カーライルはエレナの手の中にある黒薔薇をじっと見つめてから息を吐くようにして言った。


「この花は【薔薇】がその身を糧に咲かせるものだ」


 視線が思わず薔薇の苗木が植わっている花壇へと吸い寄せられた。まさかこの下には――浮かんだ想像を言葉にしようとして、思わず口を閉じていた。そんな忌まわしくおぞましいことが行われているとはにわかに信じがたかった。


「ああ、そうだ」


 エレナの妄想を肯定するように、カーライルは地中を指さした。


「この中には、【薔薇】の肉体が埋まっている――俺がかつて殺した【薔薇】の死体がな」

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