第31話 帰還
列車を下りて混雑する駅の人混みを抜けると、ガス灯のともる王都の夜がそこにあった。骨の奥まで染み入るような冬の寒さが足元から這い上がって来る。足早に雑踏を抜けようとするカーライルの背を追いかけるように、エレナはあとに続いた。
懸命に声を張り上げる花売りの呼びかけに顧みることもなくカーライルは慣れたようすで馬車に乗り込む。差し出された手を取りエレナが座席につくとすぐに馬車は出発した。
「俺は、レニ――我が家に寄生していた【薔薇】を葬ることに成功した。とある状況を利用してな」
寄生、とは悪意のあるいい方である。もやもやとした気持ちを抱えながらもそれ以上に気になる点があったのでエレナは指摘することを控えた。
「で……その、利用したものというのは一体何なの?」
エレナが尋ねてもカーライルは何も答えようとはしなかった。
食い入るように馬車の窓から外を見ている。さすがにむっとして「ねえ」と呼びかけても無反応だ。呆れて嘆息するとようやく「いまにわかる」という返事があった。
何も説明する気がないことはわかったのでおとなしくしているよりほかにない。なじみのある大通りを抜けて、閑静な住宅街の方へ馬車が入っていく。造りが明らかに違う、貴族の邸宅が並ぶ通りの一画で馬車が止まった。
「此処で降りるぞ」
「えっ、え、ちょっと待って嘘でしょ……⁉」
カーライルは何の説明もなしに、とある邸宅の中に無断で入っていってしまう。戸惑いながら後に続けば、使用人が慌てたように玄関ホールから飛び出てきた。
「失礼いたします。当家に何か御用でしょうか」
「ロイが来た、と伝えてくれ。それでわかる。主人が顔を店に来るあいだ俺は応接間で待たせてもらうとしよう」
「は……? あの困ります!」
ぽかんとした使用人が、ずかずかと屋敷の中にに入ろうとしたカーライルを制止する。それに続いて数人の使用人が異変に気付いたようで慌てて屋敷から出てきた。不審人物が邸内に侵入してきたのだから当然である。
「いいか、俺はロイ・カーライルだ。いいからエリーゼに会いに来てやったと伝えろ!」
使用人に取り囲まれても横柄な態度を崩すことがなかったカーライルに、年若い使用人たちは困惑したように首をかしげて顔を見合わせる。取り次ぐ気配がないことにカーライルは苛立ったようだった。
「っ、お前らじゃ埒が明かない。ジョンを呼べ……呼ぶ気がないなら俺が探してやろうか? おいジョン、いるんだろう?」
「ちょっと、カーライル! いきなり失礼よ」
大声で叫び始めたカーライルの袖を引っ張り、なんとか制止しようとしたところで「何の騒ぎだ」と初老の男が屋敷の外に出てきた。
カーライルに視線を向け、目を瞠る。
「どなたかと思えばロイ様……こんな時間にどうなされたのですか」
「ようジョン。久しぶりだな。此処は俺の実家でもあるんだ。いつ立ち寄ったっていいはずだろう?」
ジョン、と呼ばれた初老の男が警戒するようにカーライルを見ていた若手の使用人たちを下がらせ、非礼を詫びるように一礼した。
「ええ、勿論でございます。貴方様のお帰りを心待ちにしておりました」
「そのわりには新人の教育がなっていないな」
「返す言葉もございません」
茫然としていたエレナの腕を掴むと、カーライルは屋敷に入っていってしまった。勝手知ったる、とばかりに案内人もなく応接間に入っていったカーライルは立派な客用ソファに長い脚を組んで座った。エレナも座るように視線で促され、気後れしながらも隣に腰を下ろす。
かつてエレナがメイドとして働いていた家も中流家庭としてそこそこ裕福な暮らしをしていたが、貴族の屋敷に足を踏み入れたのは初めてだった。
「あまりきょろきょろするな。落ち着きがないな」
「だって落ち着かないんだもの! 当然じゃない」
いかにも高級そうな壺やら絵画やらの調度品がこれ見よがしに飾られていて、此処をひとりで掃除しろとでも言われたら緊張で冷や汗をかいてしまいそうだ。
「……このお屋敷、あなたの実家と言っていたけれど」
「まあそういうことだな」
平然としたようすでカーライルは頷いた。
第一印象こそ、カーライルに上流階級の出らしい雰囲気を感じていたがいつのまにか馴染みすぎてぞんざいに接していたことを思い出し、エレナは青ざめた。不敬だ、といまさらながら叱責されたりするのだろうか。
「お、遅いわね……あなたの、えっとご親族の方」
ぶるぶる震えているエレナを一瞥すると、カーライルは唇をゆがめた。
「妹だよ。エリーゼは」
エレナの挙動がおかしいことに気付いていながら、皮肉びた口調で続ける。
「此処に女を連れてきたのは初めてだから、君は婚約者とでも思われたんじゃないか? さて、俺たちの親密なようすを見せつけてやるとしようか」
いかにもわざとらしく肩に回された腕をエレナはぺしりと叩いた。
「ちょ……婚約者は振りだけでしょ! さすがに親族の前で嘘を吐くつもりはないわよ」
そのとき、見計らったかのようにドアが開かれた。
「失礼いたします。お久しぶりです、お兄さま」
入ってきたのは儚げな雰囲気の女性だった。エレナよりもいくつか年上と思われるが、少女のような可憐さがあった。夜遅い時間だということもあってか薄い素材の白い夜用ドレスにストールを羽織っている。
「エリーゼ……身体の調子はどうだ」
「変わりなく、といったところです」
口元に微笑みをたたえた女性は、こほ、と弱々しげに咳き込んだ。
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