第2部 硝煙

第26話 古き薔薇


 不死の肉体を持つ者が【薔薇】と呼ばれる理由は定かではないが、その外見の美しさからだという説がある。眩い黄金の髪を持ち、青空を映した双眸を有した者もいれば、漆黒の闇を思わせる黒髪に、神秘的な紫水晶の瞳を持つ者もいた。


 また彼らはいちように血を好んで、自らの糧とした。人間の有する喜び、悲しみ、苦しみ……様々な感情を肥料として育った。


 そうして、たとえ刈り取られても再び再生できるように力を蓄えていたのだ。





「ルーヴェン」


 甘く優しい声音で呼ばれると、身体の中から力があふれていく心持がする。まばゆい月明りを紡ぎあげたような黄金の髪は、昼よりも黄昏時よりもいっそう夜が似合った。

 管弦の調べが流れる夜会の会場から少し外れた庭園で呼び止められ、金髪の青年――ルーヴェンは振り返る。立っていたのは近ごろ懇意にしている紅茶色の髪の女性だった。下級貴族の令嬢である。名前はなんだったか、と思い出そうとする間に彼女はするりと腕を絡ませてきた。


「探したのよ。こんなところにいるなんて」


 少し拗ねたような口調が愛らしい。まるで恋人のように接してくるところに煩わしさを感じないでもなかったが、好意を向けられること自体は悪くない。むしろ心地よさすら感じている。


「ふふ、月があまりにも綺麗だったから、つい。月光浴がてら伯爵ご自慢の庭を散歩しようかと思ってね」

「何よ、月光浴って。でも確かにとても綺麗な満月ね……吸い込まれそうだわ」


 呆れたように笑って彼女もルーヴェンに倣うように空を見上げる。煌々と輝く月を見ていると心が安らぐ。人々が太陽に焦がれるように、【薔薇】は月を愛した。

 冷ややかな夜風こそが甘い芳香を運び、愚かな人間を吸い寄せる。


「ねえ、ルーヴェン。そろそろ戻りましょう? 私寒くなってきちゃったわ」

「美しい貴女の仰せのままに」



 男爵令嬢エミリーが亡くなったのは夜会の翌朝のことだった。


 透き通るような肌には青い血管が浮き出ていて、その死に顔はひどく安らかだったという。愛するひとの胸に抱かれているかのようだったとも。

 病弱だった彼女は心不全で亡くなったのではないかと親類や友人など周囲の人間は決めつけたようだが、彼女の死の真相は社交界には出回ることはなく、静かにエミリーは埋葬された。

 ただ埋葬後、まことしやかに流れたのは彼女は「怪物」に殺されたのだ、という荒唐無稽な噂だった。


「ルーヴェン、あの噂聞いたか?」


 会員制のクラブで琥珀色の酒を飲みながら、ルーヴェンは眉を上げた。数拍考えたのちに、首を微かに傾げてこの場に最もふさわしい返しをした。


「どの噂? あいにく友人が少ないものだから」


 そう言うと数少ない友人のひとりは満足そうに笑った。

 誰もが、この美しい男ルーヴェンの特別でありたがる。亡くなったエミリーもそうだったし、彼もおなじだった。その優越感に浸る彼らの表情を眺めているとルーヴェンは不思議と満たされるのだ。

 ただ、それでも足りない。身体中が渇いて、飢えている。この強烈な衝動に抗うことは到底不可能だと言えた。彼女だけでは足りない。もっと欲しい。


「そんなことより、今度きみの屋敷に招待してくれないか。此処よりもゆっくり話せるだろう?」

「あ、ああ……構わないが」


 どぎまぎしながら友人は応える。ルーヴェンと親しくなることは社交界でもステータスのひとつだった。高位貴族でもあったルーヴェンを誰もが羨み、崇拝し、熱視線を向けていた。いまクラブの中でも、ちらちらとルーヴェンのことを見ている者がいることに気が付いていた。


 店を出てひとりになると待たせていた馬車まで歩み寄ろうとした、そのときだった。


「派手に暴れているみたいじゃないの」


 外套を翻して振り返るとそこには蠱惑的な美女が立っていた。闇に溶け込む漆黒の髪と紫水晶の瞳が印象的な彼女は、ルーヴェンと同類だった。太陽よりも月の下が似合う生きものだ。


「……レニ」

「ちょうどいいわ、あなたに話があったのよ。乗せてくれないかしら」


 半ば強引に馬車に乗り込もうとしたので、形だけエスコートしてやるとにこっと唇を吊り上げて礼を言った。御者に合図を送り走り出すと、隣に身を寄せて座って来たレニが囁くようにして言った。


「あなたもお盛んね」

「何のことかな」


 わかっているのよ、と彼女は笑みを深くした。


「若いお嬢さんを文字どおり食いものにしたでしょう。残酷なことね、無邪気にあなたを慕っていたみたいじゃないの。酷い男」

「君に言われたくはないな――恋人、今月に入って何度変わったんだい?」

 

 言い返すとレニは紅い唇をつんと尖らせた。


「仕方がないじゃない、美味しそうだったんだもの。それにあたしにならすべてを捧げてもいい、だなんてみんな言うから――それじゃあ有難く、って頂戴しただけよ」

「さすがだね。こうして強引に相乗りしてきたのは、君の自慢話を聞かされるためかな」


 あら、怒らないでよ――レニはくすくす笑いながらルーヴェンの髪に指を差し入れた。優しく髪を撫でられ、少し居心地が悪くなった。


「ねえ聞いて。ナイショの話」

「なんだろう、少し怖いね」


 冗談じゃなくて、とレニは声を潜めた。


「あたしたちを狙っているやつがいるみたいなの」

「……ハンター?」

「たぶんそうね。ディーンがやられた、って……だから忠告。あまり派手な行動は慎んだ方が良いわよ」

「君もね、レニ。気を付けて」

「ええ、ありがとう。じゃあね、これくらいであたしはお暇するわ」


 途端にレニの輪郭がぐにゃりとほどける。霧状になって馬車の窓からするりと外に出て行ってしまった。先ほどまですぐそばにあった座席には、まだレニの温もりが残っていた。

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