第24話 月夜の対峙
煌々と輝く月の下は、真っ暗だったホールよりも眩く明るかった。冴え冴えとした光が寒々しく矢のように降り注いでいる。
ホールの中で引き起こされた喧騒がまるで何もなかったかのように、穏やかな夜闇と静寂が辺りを包み込んでいた。
カーライルの袖を引くと、険しい表情で頷いた。
近くにいるということなのだろう。闇の中に目を凝らしていると、数歩ほど離れた場所で空間のゆらぎのようなものがぼんやりと見えた。そこに銃口を向けたカーライルが発砲する。
がぅん、と頭に響く銃声が夜闇の幕を裂くように轟いた。
「相変わらず……乱暴者だな」
すると夜の天幕に溶けこんだような甘やかな声音が耳朶を打った。エレナは思わず息を呑む。
空間の継ぎ目のような場所からするりと猫のように伸びをしながら姿を現したのはいままでずっと会いたいと願っていた人物のはずだった。それなのに、ぎしりと胸が痛む。
――このひとは、誰。
エレナが知っている、可愛くてあどけない少年はそこにはいなかった。
ひどく醒めた目つきでカーライルを睥睨しているこの子供は、本当にエレナの探していた子なのだろうか。
「……ルーヴェン?」
エレナがつぶやくと、ルーヴェンは視線を此方に向けてにっこりと微笑んだ。
「やあ、エレナ。会いに来てくれたの? 嬉しいなあ……この男がいなければもっと嬉しかったんだけど」
ちら、とエレナを庇うように立つカーライルを一瞥し少年らしくない苦笑をその端正な顔立ちに浮かべた。つい先ほどオークション会場で見た、水色の宝石とよく似た双眸が確かにそこに在るのが目に入ってエレナはぎくりとした。
そっくり同じだった。
あの「吸血鬼の眼球」と呼ばれていた宝石と同じ色の眼。そしてルーヴェンの手のひらの上には、競売人が手にしていたあの二対の宝石が在った。
「はは、禁輸品オークションにはお前の探しモノが出品されがちだと思って、こんなとこまで来た甲斐があるってもんだ。それにお嬢さんを連れていれば必ず姿を現す、そこまで読みが当たって怖いくらいだよ」
「待ち伏せかい? 趣味が悪いなあ。僕をつけ狙ってこんな街まで追いかけてきたんだ。熱心だね。それに
ほざけ、と吐き捨てながらカーライルは銃を構える。いつものひょうひょうとした態度はなりを潜め、獲物を狙う刈人の眼をしていた。
「もうわかったと思ったんだけどなあ。おまえには僕は殺せないよ」
片手をあげるとルーヴェンの影から無数の羽虫が浮かび上がる。眷属、という言葉が頭に浮かんだ。会場で競売人に襲い掛かったのと同じ、「化物」の仲間――そこまで考えて吐き気をおぼえた。
あの子は……ルーヴェンは化物などではないのに。少なくとも自分だけはそう信じていなければ。震える身体を支えながらルーヴェンを見つめると、青空を映した彼の眸と目が合った。
「大丈夫だよ、エレナ――エレナが心配することは何もないよ。すぐに終わらせるからそこで見ていると良い。全部終わったら、たくさん甘やかしてあげる。たっぷりとね」
まるで何も知らない子供をなだめすかすような顔つきで、ルーヴェンはエレナを見遣る。たじろいだエレナにすかさずカーライルが声をかけた。
「お嬢さん。わかっただろう、こいつは……【薔薇】ってのはただの怪物だ。信じるな。さっきの競売人だけじゃない。新聞の殺しだってルーヴェンの仕業だ、他にも何人も
冷や水を浴びせるようなカーライルの言葉に身動きが出来なくなる。
「人聞きが悪いことを言わないでよ。エレナが怯えるじゃないか。ねえ、エレナ……君は、僕を信じてくれるよね? 僕はそんな『悪い子』じゃないって、わかってくれるよね」
「あ……わたし、は」
反射的に俯いて対峙する両者から目を逸らすと、エレナは空気を求めてあえいだ。そのまま胸を押さえ蹲って荒い呼吸を何度も繰り返す。
いますぐにでもルーヴェンに駆け寄りたい。
駆け寄って抱きしめて、会いたかったと言えたならどれほどいいだろう。それでも、いまはもうあの小さな村にいた頃の自分たちには戻れないのだということを肌で感じていた。エレナの逡巡を見透かしたかのように、ルーヴェンは目を眇める。
「そう、まだ決心がつかないんだね。いいよ、構わない。僕はいつまでだって待てるから――よかった、【薔薇】で! いくらでも迷うといいよ。心が決まったら僕の名前を呼んで、求めてくれればいい。たとえエレナがしわしわのおばあちゃんになっていたって、僕は許してあげる」
愛してあげる――そう囁くように、夢見るようなまなざしでつぶやいた。
そして、ルーヴェンはカーライルに冷ややかな目を向けた。
「ああ、やっぱりおまえはあのとき殺しておくべきだったな。エレナを使って付け入ろうとするなんて許しがたいよ」
殺気も何も感じさせない淡々とした口調だったにもかかわらず、ぞっと背筋が凍った。がく、と腰が抜けて座り込んでしまっているエレナにだけ、ルーヴェンはとびきり甘い表情を向ける。
「エレナ、またね」
そう言うと夜の闇に溶け込むようにしてルーヴェンは姿を消してしまった。ふわりと甘い薔薇の残り香と、いまにもカーライルに飛び掛かっていきそうな眷属だけ残して。
「っ、待って……ルーヴェン!」
「お嬢さん! 無駄だ、もう遠くに転移している。気配が感じられない」
慌てて立ち上がり追いすがろうとするエレナの肩をカーライルが掴んで引き留める。そのとき、ぶぶぶぶ、と羽音を響かせながらルーヴェンによって放たれた虫の群れが大きな影を作る。それが一斉にカーライルに向かって襲い掛かって来た。
「くそ、逃げるぞお嬢さん!」
「は、はいっ」
手を引かれながら倉庫街を逃げ回る。途中、何度も追いつかれ虫たちに絡まれたがもともとの殺傷能力は低いのか、カーライルが追い払おうとして擦り傷を負っただけ済んだのが救いだった。
「いや……眷属に命じて手加減してるんだよ。あんたまで攻撃させる気はないんだ。だから俺はあんたを盾に逃げてるってわけ」
「……はあ」
ではマントで虫を払いのけ、走り続けているカーライルを見捨ててしまえばどうなるのだろう。少し試したくもあったが眷属に襲われる競売人の姿を思い出すとためらってしまう。
そして朝日が海から昇る頃には、眷属の姿は跡形もなく消え去っていた。
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