第23話 入札開始

「天才画家レオニス・ミレッティの少女画、五百万キャリトからのスタートです」


 どうやらホールに入るときに手渡された番号が書かれた札を上げることで、オークションは進行していくらしい。客側が声を張り上げるでもなく淡々と、競売人オークショニアを読み上げていく。なんとなく市場の競りを思い出したがおそらく似たようなものなのだろう。


「八千万、他に入札希望の方はおられませんか――では、八千万でミレッティの絵画は帽子の紳士が落札されました」


 どよめきと共に落札者が決まる。波紋のような瞬間的な動揺は競売人の木槌の音でぴたりと止んでしまう。次に出品される希少な品を慎重な手つきでアシスタントが運んでくる。どうやら展示してあったティアラが競売にかけられるらしい。

 ある種のショーを見ているような感覚で、集まった参加者たちは一様に興奮状態にあった。どんどん吊り上がっていく値の動き、それに落札できた者、できなかった者との間の悲喜こもごもを見ているだけで手に汗握る。エレナとおなじようにオークションには参加せず、見学に徹している者もいるようだ。この場にいるだけでスリルを共有できるのだから、非日常に飢えた客たちにとっては一流の娯楽であるとも言えた。


 あっという間にティアラの落札者が決まり、次に壇上に現れたのは小さな宝箱だった。目が肥えた招待客はなんだこれは、と落胆したように競売人をじろりと見た。


「皆様、お待たせいたしました。今夜、ご用意しました品々の中でもとりわけ希少な品をご紹介させていただきたいと思います」


 先ほどまでとは違う競売人のようすに、会場中に「なんだなんだ」とざわめきが広がった。身を乗り出して壇上の小箱を見ようとする者もいる。隣に座るカーライルが気になって振り返れば、強張った表情で競売人の手の中に視線を向けていた。


「皆様に御覧に入れますのは、こちら――『吸血鬼の眼球』です」


 もったいぶったようすで競売人は小箱を開ける。

 中には澄んだ碧の宝石のようなものが二つ入っていた。


「どこが眼球なんだ、というお声もおありでしょう。なんでも吸血鬼――そう呼ばれた怪物が死んだときにえぐり取った眼球が、このように美しい宝石となった。そんな伝説があるいわくつきの逸品なのです。信じるか信じないかはお客様次第、ではありますが滅多に出回らないモノであることは確かでございます」


 いかがでしょう、と競売人はショーの観客たちを見回した。この珍品に値をつけるとしたら幾らになるだろうか、そう考えさせるような間をたっぷりと置いてから宣言した。


「一億キャリトからのスタートとなります」


 わあっ、と人々の間から歓声が上がる。エレナは開かれた小箱の中身を凝視していた。あの空を映した青は言われてみれば確かに、見覚えがあった。


「ルーヴェン……」


 ぼそりと呟いたエレナの声は歓声に掻き消されたが、すぐそばにいたカーライルだけは拾っていたようだ。


「君がそう思うなら、間違いないだろう。あれは【薔薇】の眼球……あのガキが探し求めていたモノだ」

「でもどうして……」


 そのとき、ふっと会場内の明かりが消え去った。


 興奮のただなかにいたオークション参加者たちが椅子を倒したり、手にしていたグラスを落として硝子が割れたりする音がホールの中に響き渡る。「どうか皆様、落ち着いてください」と競売人のよく通る声が、暗闇を裂くように届いたが混乱は収束する気配がなかった。


「来るぞ」

「えっ、何が――っ、う」


 カーライルが庇うようにエレナを抱いた途端窓が開いた。

 と思えば勢いよく風が吹き込んで来た。まるで嵐のような強風が会場内に吹きすさぶ。甲高い悲鳴と喚き声が会場の中にこだまする。カーライルの腕に守られながら闇の中、なお黒い影が蠢くのをエレナは目にした。


 あれは、何。


 ずずず、と裾を引きずるようにして黒い何かが動き回る。騒ぐ人々には目もくれずに長い影が伸びていく先は、おそらく壇上だった。

 そこには呆然と立ち尽くす競売人と、その手の中の宝石がある。


「――返してもらうよ」


 狂乱の中で澄んだ少年の声が、聞こえたような気がした。


「ルーヴェン!」


 エレナの叫びに重なるようにして男の悲鳴が上がった。

 じわじわと影の中に呑み込まれた競売人が、床に引き倒され得体の知れない「何か」に捕食されている。がつがつと血肉を貪る音が闇の中で響いていることに気付いている者はいない。


 エレナとカーライルを除いては。


 明かりをつけろ、と騒ぐ人々に紛れてカーライルがエレナの手を引いた。逃げ惑う参加者たちにぶつかりながら、部屋を抜け出した。


「行くぞ」

「でも……ルーヴェンが」


 ひとを、殺している――最後まで続けることが出来ず口ごもる。眷属とかいうものに命じて、やらせているにしてもむごすぎる。吐き気を堪え、口を手で押さえた。


「あいつなら外にいるはず。ホールにいるのは眷属だけだ。こんなところでもたもたしていちゃ、あいつを取り逃がしてしまう。それはお嬢さんにとっても本意じゃないはずだ」


 ――【薔薇】を捕まえたいんだろう?


 その声に促され、長い廊下を走り抜ける。どれほど悲鳴が聞こえてきても振り返らなかった。代わりに目を瞑って、歯を食いしばった。

 

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