第20話 禁輸品の中身


 貨物船から運び出された品々はセイシャ港に立ち並ぶ背の高い倉庫の中に納入される。大陸北東部に位置する大国、流漣国りゅうれんこくからの茶葉や、島国サガン公国由来の香辛料などはカラント王国における上流階級、富裕層からの人気が高い。ヴィーダ帝国から輸入した毛織物の積み荷がまとめて並ぶ倉庫を一瞥し、黒い影はそっとその場を離れた。


 林立する倉庫はまるで群れのように港に集まっているが、目的のものを安置してあるのはひとつだけだ。近づきさえすれば肌がちりちりとして感じられるので、しらみつぶしに当たってみるしかないと割り切っていた。


「……ん?」

「おい、どうした?」


 倉庫街を警邏している港湾関係者がきょろきょろとあたりを見回している。同僚の男が肩を叩いたので、いや、と口ごもりながら答えた。


「なんだかいいにおいしねえか?」

「はあ? ……いや、待て、確かに」


 すんすん、と鼻を鳴らし空気中に漂う香りを嗅ぐ。芳香を放つ「何か」に向かって足を踏み出したところで同僚から呼び止められた。


「遊んでる場合か。どうせ積み荷からにおってるんだろうよ。異国の香料とかそういうのに違いねえ」

「そうだな……悪い悪い、さあて今日も巡回頑張りますかっ、と」


 腕をぐるぐると回し、二人組の男たちはその場を離れていった――倉庫の脇に摘まれた木箱の陰に隠れていた小柄な少年には気付くことなく。


「……鼻が利く輩は厄介だなあ」


 月の光を弾いたような金髪が夜風にふわりとなびいている。

 闇に溶け込むようにして歩き始めた少年からは甘くかぐわしい「薔薇」の香が漂っていた。暗闇をダンスのステップを踏むように歩きながら、目当ての場所を探してさまよう。


「この眼が疼くということは……ふふ、近くにあるのは間違いなさそうだ」


 恍惚とした笑みを浮かべ、月に向かって語り掛けるさまは狂気じみてはいたが呼吸を忘れるほどに美しい。


『ルーヴェン様――あちらの倉庫にて発見があった、と』

「そう」


 闇に沈んだ影からすっと姿を現したのは黒い毛並みの猟犬だった。よくやったと撫でてやると『それでは潜ります』とふたたび少年――ルーヴェンの影の中に戻っていった。


 眷属が残していった道しるべを頼りに目的の倉庫に向かうと、ルーヴェンにもその気配が感じられた。見張りも厳重で常に二名ほどが入り口を固めている。強引に突破することは不可能ではないが、目立つのは極力避けたい。


 気配を断って近づき、倉庫の裏の明り取りの窓から侵入する。

 身体を霧状に変えてしまえばどんな隙間からでも潜り込むことが可能だ。中に入って実体化し、周囲を見回すと埃っぽい倉庫の中に所狭しと木箱が積み上げられていた。

 どうやら此処は禁輸品の倉庫らしい。

 試しに幾つか箱を開けてみると、希少な動物の剝製やら牙やら、いかにもどこぞの美術館に所蔵されていそうな名画らしきものが出てくる。盗品も混じっていることは想像がついた。倉庫群の中でもより警備が厳重だったこともあり、後ろ暗い品物を運び込んでいることは確かだろう。


 ルーヴェンが広い倉庫の中を歩き回っているとひときわ肌がちりちりとざわめくような区画があった。目星をつけて、梱包を解いていくと目星のものはすぐに見つけられた。


 箱の中から出てきたのは、宝石箱だった。古びたアンティーク調で厳重なことに鍵がかかっている。箱を壊せば中を確かめることはたやすいが、ルーヴェンは元の場所にそっと戻した。


「……オークション、だっけ? これにいくらの値段をつけるのか少し興味があるな」

『ルーヴェン様、倉庫の中に何者かが入ってきます』

「ん? ……物音でも立ててしまったかな。うっかりしたよ――それともこの倉庫の中に何か仕掛けを施しているのかもしれないな」


 たとえば何者かが、この倉庫に侵入するようなことがあれば外に居る警備に伝わる、といったような。

 そのようなことが出来る者は限られているが、けして不可能なことではない。

 ルーヴェンは木箱の影に身体を溶け込ませ、機会を待った。




 ちりりりりん、と手にした鈴が激しく鳴り響いている。

 倉庫の中に足を踏み入れたのは、警備を担当していた男たちである。

「本当に誰かいるのか?」と訝しげに手にした明かりで周囲を照らしている。運び込まれた禁輸品が収められた木箱が所狭しと並んでいるため物陰は幾らでもあった。昼間でも薄暗い場所だが、夜だといっそう不気味である。


「この鈴なんなんだろうな」

「なんでも侵入者を察知する不思議な道具なんだと。雇い主がまじない師か何かから買ったらしいが眉唾物だろうよ」


 振ったり動かしたりしてもいないのに、激しく鳴り響く鈴の仕組みがわからず困惑してはいたが倉庫の奥へと進んだときにふと何かに気付いた。


「……甘い匂いがするな」


 すん、と男は鼻を鳴らす。どこかで嗅いだことがあるような、花のような香りが倉庫の中に充満している。


「女か」

「いや……もっと、別の、うわっ」


 ぶわ、と黒い靄のようなものが男にまとわりついた。悲鳴を上げる男を靄から引きずり出そうとしたがすでに手遅れだった。


「うわあああああああああああ!」

 

 靄に見えていたものは黒い甲虫で、それがびっしりと全身を覆っていたのだ。虫たちは肌を喰い破り、体内へと侵入しようとしている。耳にこびりつくような羽音が倉庫内にこだましていた。


「っ、う」


 もうひとりの男はのけぞり悲鳴をあげる。明かりを手から滑り落とし、木箱にぶつかりながら倉庫の入り口に向かって走っていった。

 あと一歩、踏み出せば外に出られる。

 そう思った瞬間に男は引き倒され、地面に這いつくばった。


『ルーヴェン様』


 ねだるような犬の吠え声が男の呻き声に重なる。


「――ああ、食べていいよ」


 男が最期に聞いたのは、あどけない子供の声だった。

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