第19話 港湾都市セイシャ
村があった王国南西部のエダムシャー内に目的地はあった。
二度ほど馬車を乗り継いでさらに南下したところにあるのが港湾都市セイシャである。王都にも引けを取らない賑わいに、エレナは瞬きを繰り返した。潮の香りがふわりと風に乗って流れてくるし、港には大きな商船が何隻も泊まっている。
エレナは幼い頃から王都で暮らしていたし、外に出たのは仕事を辞めてあてもなく列車に飛び乗ったあのときが初めてだった。
「海を見るのは初めて?」
ぼうっと陽光を
「ええ――綺麗ね。時間を忘れちゃうほどだわ」
「ほう、それはそれは得難い経験をしたな。観光船も出ているらしい。行ってみるかい?」
「え、そんなことをしている余裕は……ちょっと!」
エレナの腕を取り、カーライルは波止場の方へとずんずん歩いていく。観光客らしい一団が桟橋の上でチケットを購入している。その列にさりげなく並んで二枚分の乗船券を手に入れてしまった。
ほら、と手渡されたそれをまじまじ眺める暇もなく、出港の鐘が鳴り響く。
「さあ急ぐぞ」
「えっえっ、待ってわたしそんなつもりじゃ……」
観光船に乗り込むとすぐに船は桟橋から離れていった。足元がふわふわしている感覚が慣れなくて、よろけそうになるとカーライルが支えてくれた。
甲板に設けられた座席につくのかと思えば、ふちの手すりまで身を乗り出して海風を顔に浴びさせられた。セイシャの街中で感じたよりもはるかに強い潮風が頬を叩く。
「わわわわ!」
「どうだ、すごいだろう」
誇らしげに胸を張ったカーライルの相手をすることも怖くて必死に手すりを掴んだ。うっかりすると振り落とされて海の中へと真っ逆さまに落ちていきそうな気さえする。
「こわ……」
「え、ロマンチックではなくて?」
どうやらカーライルと感性は合わないらしい。船長のアナウンスで名所が案内されているのだが頭にろくに入ってこなかった。沖合まで出ると周囲に建造物もなくなって、重なり合う船の駆動音と波音が響いている。
退屈してきた乗客――幼い子供が両親に連れられて乗っていたらしい――が泣きわめいて、周囲から白い目で見られた母親が肩身が狭そうにしている。気を逸らしてやるにも見渡す限り海、と遠くに見える港ぐらいで興味が惹けそうなものがないようだった。
「いま【薔薇】のことを考えていただろう」
「……どうしてわかったんですか?」
カーライルの指摘にエレナが驚くと、肩をすくめてみせた。
「あてずっぽうだよ。第一、君はたいていルーヴェンとやらのことを考えているじゃないか……妬けるね、我が婚約者殿?」
「どうせただの振りなんだから、そんなふうにあなたまで茶化さないで」
ふん、と不満げに鼻を鳴らすとカーライルはぐい、とエレナの肩を抱いて引き寄せた。
「ちょっと、いきなり何……⁉」
「こらこら暴れるなって、海に落ちても知らないぞ♪」
カーライルは楽しそうにエレナの耳元に唇を寄せて囁いた。
「振りとはいえ、こうして睦まじい仕草に慣れていかないと。肝心な場面でぼろが出たら情けないだろう?」
「それは……そうかもしれないけれど」
唇が耳朶に振れてくすぐったい、身をよじろうとしたとき急に体勢を崩して足元から滑りそうになった。
「おっと、危ない」
「っ!」
ぎりぎりのところでカーライルが支えてくれたおかげで転ばずに済んだし、甲板から海に落ちずに済んだ。安堵の息を吐きながら「ありがとう、カーライル」と礼を言うとにやりと笑った。
「何よ」
「君にお礼を言われるなんて珍しいからさ」
腰に手を添えて支えながらカーライルはにまにま笑いを続けている。慌てて距離を取ろうとしたが、放してくれなかった。むうと頬を膨らませながら見上げるとカーライルは楽しそうに水面を覗き込んでいる。
「また滑って転んだら大変だからね、しばらくはこのままおとなしくしているといい。ほらそろそろ船が旋回するぞ」
ゆっくりと時間をかけて船は行き先を岸へと戻した。汽笛を鳴らしながらゆっくりと建物が並ぶ街の港へと戻っていく。
「ルーヴェンは、今頃どうしているかしら」
ぼそりと呟いたせいでおそらくカーライルの耳には届かないだろうと思っていたのだが律義に「さあてな」と返事があった。
「しばしばこの街で禁輸品を対象としたオークションが開かれているらしい――いわゆる闇オークションってやつだな」
「それが、わたしたちがこのセイシャに来た理由ということ?」
ああ、と顎をしゃくりながらカーライルは応える。
「俺の予想が正しければ、そのオークション目当てに【薔薇】は姿を現すはずだ。あいつにとって喉から手が出るほど欲しい逸品が出品される可能性があるからな」
ルーヴェンがどうしても手に入れたいもの――それが何なのかはエレナには見当がつかないがカーライルには【
エレナを置いてまで、ルーヴェンが此処に来ることを選んだのだとしたら――それは一体なんだというのだろう。
ぎしりと軋んだ胸の痛みに封をして、エレナは流れる海風に身体を委ねて目を閉じた。
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