第18話 出立

 エレナはお世話になっていたミセス・カーターに暇乞いをした。

 夫人の悲しそうな顔を見ると胸が張り裂けそうな心地になる。しかしながらミセス・カーターはエレナがカーライルと共に村を発つと知ると「まあ」と嬉しそうに微笑んだ。


「良い人が出来たのね!」

「い、いえ……そういうわけでは」

「隠さなくたっていいのよ。だけど嫌になったらすぐこの村に戻っていらっしゃい。歓迎するわ、エレナ」


 違う、とこれ以上否定するのもかえって申し訳がなく、あいまいに微笑んで誤魔化しているとカーライルが「エレナのことは俺が守りますのでご安心を」とさらに誤解を招きそうな発言をした。

 訂正する代わりに思いっきりカーライルの足を踏んづけてやったところ、大げさに痛がってみせたのでミセス・カーターが声を上げて笑った。


 荷物を整理し、私物を鞄に詰めていったがすぐに終わってしまった。これといってルーヴェンと過ごした日々の思い出になるようなものもなく、本当に彼が自分の目の前にいたのかも次第に疑わしく思えてくる。静かで穏やかな村でエレナがみた、ただの夢なのではないか、と。


 そのとき、トントントンとノックの音が室内に響き渡った。

 ドアを開ければそこに立っていたのはカーライルだった。カーライルはあっという間にミセス・カーターの心を掴んでしまったために、エレナに与えられた部屋にまで立ち入りを許されてしまったようだった。


「おお、使用人にしては広い部屋じゃないか」

「……元は子供部屋だったそうよ。もうお子さんは巣立ってしまって使う人もいないから、って使わせてくださったの。で、何か用?」


 きょろきょろ不躾な視線を向けるカーライルに辟易しつつ、エレナは室内に招いた。一応、旅先での今後の設定を詰めに来たんだよ、とカーライルは何のためらいもなくベッドに腰かける。


「年頃の男女が一緒に旅をするんだ――婚約者、ということにしてはどうだろうと思ってね。村の連中も俺と君が恋仲だって勘違いするくらいなんだ、それなりにつり合いは取れて見えるんだろう」

「はあ……わかったわ」


 若干、もやっとしたがいちいちただの知人男性と旅をしているだけだと訂正するのも面倒だし不審がられるかもしれない。それくらいなら、婚約者と割り切って伝えていった方が余計な詮索もされないだろう。


「話はそれだけ?」


 ふい、とベッドの上の「婚約者」から顔を背けてエレナが言うと「つれないなあ」とカーライルはくすくす笑った。


「婚約者が部屋を訪ねてきてるんだぜ。キスのひとつでもくれないのか、ハニー」

「しょうもない冗談を言うようならたたき出すわよ」


 そしてついでに契約もなかったことにさせてもらう。言外に匂わせると、カーライルは「はいはい」とかったるそうに膝の上で頬杖をついた。


「君、俺に対して遠慮がなくなってきたよねえ。まあいいや。それにしてもエレナ、君は真面目すぎると言われないか? そんなにいつも肩肘を張っていると疲れるだろう」

「わたしは不真面目なあなたよりは幾分かマシだと思っているから大丈夫、問題ないわ」


 つん、と言い放ったエレナをカーライルは面白がっているようだ。こういうところを好きになったのかもなあ、と言って感心したように口笛を吹いた。


「何の話よ」

「いや、女の子には聞かせられないような話」

「……最低ね」


 う、と眉をひそめたエレナを気にしたようすもなく、カーライルはすん、と鼻を鳴らした。


「何?」

「ああやっぱり匂うな、と思って――って違う、クサいとかじゃなくてぇ! 【薔薇】が匂いを残していったなと思っただけだよ」


 室内靴を投げつけようとしていたエレナに手を上げて降参の意を示す。カーライルは攻撃が止んだことに安堵の息を洩らした。

 

「どういう意味」

「いや、だからマーキングみたいなものさ。この部屋は自分の領域だ、って主張してる……愛されてるねえ」


 茶化すように言われて、エレナは唇をぎゅっと噛みしめた。ルーヴェンの考えていることはよくわからない。どうして、ひとり――エレナを置いて出て行ってしまったのかもわからないままだ。

 自分よりもよほど……カーライルの方がルーヴェンのことを理解しているような気がして胸の中がもやもやした。


「それで、この村を出てどこに向かうというの」

「あー、それね。うん、そこは気になるよなあ」


 カーライルは懐から折りたたまれた紙を取り出して、膝の上に広げた。古びたその紙は地図のようだった。


「このカラント王国の王都はわかるな、で、この村がこの位置」


 二つの点をとん、とカーライルは指し示してみせた。


「で、俺たちの目的地がここだ」


 帽子のような形をしているカラント王国のの左端あたりをトントンと人差し指で叩いた。南を海に面しており、異国からの交易品が入って来ることもあり華やかな港湾都市だった。


「此処にルーヴェンがいるの?」

「その可能性はある、と考えている――あとはまあ俺の勘だがな、あっはっは」


 勘と言われた瞬間に、顔が引きつったがエレナはどうにか表情筋を引っ張って元に戻した。

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