第17話 契約
ひととおりエレナが持参した食事――パンや、サンドイッチなどではあったが――を食べ終えたカーライルは心なしか膨らんだ腹を叩いて「はー美味かった」と満ち足りた表情で呟いた。そう言われてエレナも悪い気はしない。持って来てよかった、と安堵の息を吐いたところでカーライルの値踏みするような視線に気づいた。
「――で?」
あの子とは違う、低く滑らかな大人の男の声でカーライルはエレナを促した。
「お見舞いだなんて白々しい嘘は横に置いておいてさ。俺に何か用があって来たんだろう、エレナ嬢」
ぎくりとしながらも出来るだけ表情に出ないようにエレナは気を付けた。散らかった室内の中でようやく座れそうな椅子を見つけ腰かけると、強張った指を膝の上で開いたり閉じたりした。
「あなたは、ルーヴェンのことを、あの子を憶えているのでしょう? ほかの村人は誰も知らないと言うの、だから……!」
あの子のことを聞きたくて――絞り出すようにエレナが口にすると「ああ」と鷹揚にカーライルは頷いた。
「【薔薇】が痕跡を消していったことに気付いたようだな」
「……痕跡?」
カーライルは憐れむような視線をエレナに向けながら「本当にあんたは何も知らないんだな」と苦笑した。
「【薔薇】の残り香は、深く関係したものにしか嗅ぎ分けることができないってわけだよ。意図的にあんたの中に残していったってのが正しいんだろうが」
カーライルの言っていることは抽象的すぎてよくわからない。ぽかんとしていると「要するに、だ」とカーライルは唇をゆがめた。
「【薔薇】は……ルーヴェンと名乗ったんだったか、あいつは自分の痕跡を消してからこの村を去ったってことだ。だからこの村の誰もがあの化物のことを忘れてしまっている――ただあんたにだけは覚えていてほしかったんだろうな」
俺みたいな【摘み取るもの】は薔薇を嗅ぎ分ける能力があるんだが、とカーライルはおどけたように自身の鼻を指さして付け加える。そのようすを見ていて無性に胸の中でふつふつと沸騰するような怒りが湧いた。
「あなたはルーヴェンを殺しに来たんでしょう……?」
「まあそうだな」
なんてことないようにカーライルは応える。エレナはずっと続くはずだった平穏を乱した男を睨みつけた。
「……あなたのせいで」
「ん?」
「あなたのせいで、ルーヴェンはいなくなってしまったってことよね?」
カーライルさえ来なければエレナとルーヴェンの生活は変わらないまま続いていたはずだった。怒気を孕んだ声音にもカーライルは気にしたようすもなく「まあそういうことかもな」と同意を示した。
「だが嘆いていても腹を立てていても仕方がないと思わないか。無意味だし非生産的だ」
どの口が、と言い返しそうになったところで「エレナ」とはっきりとした声でカーライルは呼びかけてきた。
「手を組まないか」
「……は?」
何を言っているのかわからないまま怪訝な眼でカーライルを見遣ると、肩を竦めて言った。
「君はルーヴェンと名乗ったあの【薔薇】の行方が気になるようだ。それは俺もおなじでね。だったら協力するというのはどうだろう」
優雅に長い脚を組んだ男は、困惑するエレナをじっと見つめた。その視線から逃げるように目を伏せれば、カーライルのよく磨かれた革靴と客室に敷かれた古ぼけた絨毯が目に入った。
「だけど……あなたはルーヴェンを殺すつもりなのでしょう?」
「すでに死んでいるような【薔薇】を殺すというのもおかしな話だと思うがね。まあ君の言うとおりだ、間違いではない」
持って回ったような言い方が、カーライルにはよく似合った。
はじかれたようにエレナは顔をあげる。
「だったら!」
「『協力は出来ない』? そうは言っても、君に探す当てはあるのかい」
「それ、は……」
エレナが口ごもると、とん、とテーブルの端をカーライルは叩いた。
「実は俺はね、
「っ、それはどこなの……⁉」
思わず反応してしまったことをエレナは悔いた。カーライルがそう簡単に教えてくれるわけがない。歯噛みしていると、エレナの食いつきがよかったことににやにやしていた。やっぱりこの男は気に食わない。
「君は【薔薇】をおびき寄せる餌になる」
「……わたしが?」
「おや、気が付いていなかったのかい? 君はあの【薔薇】にたいそう気に入られていたようだ。【薔薇】は自分に愛を注いでくれたものに愛を返す――そして吸血という行為には必ず愛が伴うものだからね。ルーヴェンは、この村で君以外の血を吸わなかったはずだ」
エレナはふと森の獣の話を思い出していた。ルーヴェンがエレナ以外から吸血しなかったとしたら、あの哀れな獣たちはいったい誰が――そこまで考えたところで思考が途切れた。
「しばらくは
「そんな……」
もう二度と、ルーヴェンに会えないなんて――ほかのひとの血を吸おうとするなんて。
愕然とするエレナに追い打ちをかけるようにカーライルは囁いた。
「なあに、君から会いに行けばいいんだよ。道案内は俺が務めよう。近くにいけば君の匂いに惹かれて【薔薇】は必ず、君の前に姿を現すだろう――そして、俺に殺されないように君がルーヴェンを守りさえすればいい」
「わたしが、ルーヴェンを守る……そう、ね。そうすれば……」
そのとおり、と畳み掛けるカーライルの声にエレナは無意識のうちに頷いていた。頷かされていた、と言ってもいい。ぱん、と手を叩かれた瞬間にハッとする。
「よし、これで契約成立だ」
「……見た目といい、ルーヴェンよりもあなたの方がよっぽど化物みたいだわ」
すると、くつくつと喉を鳴らして笑いながらカーライルは「よく言われる」と白銀の前髪を揺らして応えたのだった。
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