第14話 選択

「あ……」

「心配しないで、エレナ。あんなやつを消すぐらい僕には簡単なことなんだ」


 す、と手のひらをかざしただけだった。

 それなのに、カーライルは磔にされたように木の幹からいまも動けずにいる。すっかり言葉を失ってしまったエレナを見ながら、ルーヴェンは糸を繰るように指を動かした。


「ぐっ……!」

「ほら、ね?」


 褒めて、と言わんばかりにルーヴェンは満面の笑みを浮かべていた。他者を苦しめることに何の罪悪感も抱いていないのが見てとれる。ただ単に邪魔者を排除したというだけにすぎないのだろう。どさ、と木の枝から落ちた雪がカーライルに降り積もった。


「エレナはどうしたい?」

「……どうしたい、って」


 ルーヴェンはエレナの手を握り、まっすぐに見上げてくる。

 その手は氷のように冷たかった。


「あの男、邪魔だよね。僕たちはお互いに満たされているのに……余計な口出しをするのは無粋というものだよ」


 大人びた口調で、あどけない表情の少年がエレナと向かい合っている。ぞくりと寒気がこみ上げてくる。ルーヴェンのことを知っているはずなのに、実際は何も理解していなかったのだと思い知らされた。


「ね、殺しちゃおうか?」


 天使のような美貌に不穏な言葉は似合わない。それでもいまのルーヴェンにはひどく似つかわしく思えた。歯の根が合わず、かちかちと鳴っているのは寒さのせいだけではないだろう。


「……だめよ、ルーヴェン。ひとを傷つけないで。約束して」

「仕方ないなあ。エレナがそう言うなら出来るだけ気を付けるね」


 彼は、危険だ。

 それでも離れがたく――彼と共にいたい、そう願う気持ちが、エレナの胸の奥から湧き上がってくる。

 魅了されている、という言葉が頭にすっと浮かび上がる。警鐘を何度も鳴らされていても少年の冷たい手を取りたいと願ってしまうのは、おそらく。


 がん、と空気が破裂したような音が凍てついた空に響き渡った。銃口から銀の煙がふわりと立ちのぼる。


「エレナ! 早くそいつをこっちに差し出せ。【薔薇】は危険だ――あっという間に呑み込まれるぞ」

「……しぶといなあ」


 ふらつきながらもたれていた木から離れ、カーライルはルーヴェンを睨みつける。ぽた、と血痕が白い地面に滴り落ちる。額を切ったのだろう、雪を思わせる白銀の髪が血で赤く染まっていた。


いてぇじゃねえか。人間に寄生することでしか生きられない毒花め……」


 カーライルは構えていた拳銃の照準をルーヴェンへと向けた。


「大体おまえは何? 僕からエレナを奪うつもりなの?」

「ハ、ようやくこっちを見たな。俺はカーライル……【薔薇】を摘み取るもの――狩人ハンターとでも言った方が話が早いか。この化物め」

狩人ハンター、ね――要するに、俺を殺したくてたまらないわけだ。その銃にもきっと銀の弾丸でも充填めてあるんでしょ。殺意がすごいなあ、怖いなあ……僕はただこの村で静かに暮らしているだけなのに」


 醒めた目つきでカーライルを見遣ると、エレナの前に立った。それでもルーヴェンの背では視界を塞ぐほどにはならない。


「エレナ、こんな薄汚い虫を潰すところを見る必要はないからね。目を瞑っていてくれていい」

「かっこつけやがって……俺はお前がこの村の住人すべてを殺して回っても驚かないね」

「馬鹿だな、そんな野蛮なことはしないよ。僕は満たされているんだ、彼女のおかげでね」


 目の前にいるのは確かにルーヴェンなのに、エレナの知っている「ルーヴェン」ではない。茫然としているエレナに向かって、ルーヴェンは微笑みかけた。


「エレナ、大好きだよ。ずうっと僕のそばにいてね」


 エレナの身体に腕を回してぎゅっとしがみつくと、ルーヴェンはカーライルに向かって舌を出した。


「……このクソガキ、っつうかガキでもないんだろうけどよ!」


 青筋を立てながらカーライルは銃口をルーヴェンに向ける。引き金に指をかけた瞬間、エレナは叫んでいた。


「待って! やめて」


 カーライルに背を向け、ルーヴェンを庇うように抱きしめた。発砲する一歩手前だったカーライルは激しく舌打ちした。


「くそ……すっかり毒されちまったようだな、お嬢さん――そいつから離れろ! この【薔薇】は此処で枯らしておかないといけない」

「嫌よ! ルーヴェンを死なせない……死なせたりなんかしない」


 わたしのルーヴェン。わたしの宝物――涙ぐんだエレナを見て、ルーヴェンはきょとんとした顔をしていた。


「大丈夫だよ、エレナ。僕は死んだりしない、強いんだ。あんなやつよりも」

「……っ、でも」

「お嬢さん――いや、エレナ」


 冷ややかな声でカーライルが言った。ざり、と雪を踏む音が響いた。

 絶対外さない位置まで近づいたあとで、口を開いた。


「いますぐ、そいつから離れてくれ。さもなければ【薔薇】をこのまま、君ごと撃つ」

「……あ」


 撃つ、という言葉に怯んだもののエレナはいっそう強くルーヴェンを抱き込んだ。怖い。死ぬかもしれない。それにきっとひどく痛いんだろう。それでもルーヴェンから離れようとは思わなかった。


「エレナ……僕は大丈夫だよ?」


 ルーヴェンがなだめるようにエレナの肩に触れた。それでも身じろぎひとつせずただ、エレナはその瞬間を受け容れた。


「悪いな、お嬢さん――忠告はした」


 皮肉びたその声を聞いて。

 瞬間、焼けるような痛みが胸を貫いた。

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