第13話 摘み取るもの

「そんなに怯えるなよ。俺が酷いことでもしたような気分になる」

 

 睨みつけるエレナを落ち着かせるように、カーライルは柔和な微笑を口元に浮かべる。警戒心をあらわにじりじりと距離を取ると「参ったな」と心にもないようなことを口にした。


「そのようすじゃあ【薔薇】はもうんだろうな――ああ、やっぱり間に合わなかったか」


 カーライルは目を伏せ、ポケットからライターを取り出すと煙草に火をつけた。凍てついた空気の中、煙がふわりと立ちのぼる。そのさまを見ながら、エレナは恐る恐る口を開いた。


「――ねえ、あなたの言う薔薇って何なの? 植物の薔薇……のこと?」


 カーライルは一瞬呆けたような表情になり、エレナが本気で尋ねていることに気付くと渋面を作った。


「あのなあ、お嬢さん。そんなわけがないだろう。おいおい、まだ気づいていないのか――この村の連中、特に君からは【薔薇】に魅入られた者特有の匂いがぷんぷんするのに」

「は――匂い……?」


 カーライルの言葉で、エレナはふとミセス・カーターについこないだ言われたことを思い出した。


『エレナ、最近香水でもつけている? 貴女からすごく甘くて芳しい香りがするのよ』


 どくん、と心臓が跳ねた。

 カーライルの言っていることはまるで理解できないのに、嫌な予感がした。背中を冷たい汗が伝っていく。


「だからなぁ――あいつらは、美しい『花』に擬態するんだよ」


 肺に溜まった煙を吐き出しながら、カーライルは淡々と語った。先端に灯ったちいさな火がちりりと煙草をくゆらせていく。


「花……」

「そう。それを俺は【薔薇】と呼んでいる。奴はその外見やいたいけな態度でおびき寄せるのさ。美しく、それでいて芳しい香りを放つ花には、蝶や蜂が群がるだろう? それをぱくりと捕食するってわけだ」


 カーライルは名前も知らない「花」の話をしているだけなのに……自分とは関係のない話のはずなのに寒気がした。ぶる、と身体を震わせたエレナを眺め、カーライルは吐息を凍らせつつ話を続けた。


「賢い賢い【薔薇】は迷わず選ぶことが出来る。自らの信奉者の中から最も優れた個体を――御しやすく、自分の言うことにはけして逆らわない者を」


 じっとエレナの瞳を見つめ、カーライルは断言した。

 それが君だ、と。言いたげな表情だった。


「心に根を張り、巣食い、自分のこと以外考えられないようにしてしまう。身に覚えがあるだろう?」

「な、っ……」


 いっそ耳を塞いでしまいたいのに、指が震えて言うことをきこうとしない。わけのわからないたとえ話を延々と続けられて、もううんざりだ。そう言ってやりたいのに唇は寒さのあまり凍てついてしまったかのようにぴくりとも動かなかった。


「あれは口づけで香気を送り込み、肌を擦り付けてにおいを移す。いわゆるマーキングをするんだ、他の者には手出しされないように」

「だから! あなたはさっきから、何を……言っているのっ」


 両腕を抱きしめながらエレナが叫ぶと、カーライルは強張った顔にわずかな憐れみを滲ませた。


「【薔薇】は愛で育つ――その宿主になったものは、もうあいつの虜囚モノだ。だがまだ間に合うかもしれない」 

「……あ」


 エレナ、と穏やかにカーライルは呼んだ。祈るように。


「あいつのことは忘れろ」

「あいつ、ってルーヴェンのこと? どうしてっ……」

「あれは人間じゃない。君もわかっているだろう? 国立博物館で屍体として展示されているのを見たはずだ」


 容赦なく、エレナを抉るその言葉に耳を塞ぎたくなった。ずっと目を背けていたこと。どう考えてもおかしいと頭ではわかっていても、それを上回る喜びで日々が満たされて、受け容れてしまう方がずっと楽だった【異変】。


 最も美しい屍体――ルーヴェン。彼との暮らしを知ってしまったから。


「屍体とは言い得て妙だが、あれは標本だ――悪趣味なことに生きたまま展示された【薔薇】。生者の生気……血を喰らい、永遠の命を得る毒花だ。悪いことは言わない、あのルーヴェンとかいう化物から離れろ。この村はもう手遅れだ、君だけでも早く此処から逃げるんだ」

「……っ!」


 ぐい、と強引に腕を掴まれたまま森の入口へと引き返すよう促されたときのことだった。


「どこへ行くつもりなの、エレナ」


 冷ややかな声が耳朶を打った。

 来やがったか、とカーライルが派手に舌打ちすると掴んでいたエレナの腕から手を解き、ホルスターから銃を抜いた。いまのいままで彼が拳銃を持っていたことにエレナは気が付かなかった。

 エレナを背で庇い、森の奥から現れた少年に照準を合わせた。

 冬の陽光を浴びて金砂の髪はきらきらと煌めき、澄んだ青空を湛えた眸はまっすぐにその銃口を捉えていた。怯えたようすは微塵もなく、醒めた目でルーヴェンはカーライルを見た。


「よう、【薔薇】。こんな田舎に潜んでいたとはな――これ以上誰かを傷つける前に屍体に戻ってくれよ。今度こそ二度と目覚めることのない躰にしてやる」


 ルーヴェンは、吐いた息を白く凍らせて唇をゆがめた。子供らしさの欠片もない大人びた表情に、エレナはぎくりとする。


は僕のだ。返してもらおうか」

「本人の意思ぐらい確認したらどうだ? いい加減、お嬢さんも目が醒めただろう」


 く、と喉を鳴らすようにルーヴェンは嗤った。


「エレナ」


 澄んだ声音で名前を呼ばれると、途端に息が苦しくなる。ルーヴェンが自分を必要としてくれているのがその声だけでわかる。

 ふらふらとルーヴェンの方に歩み始めようとしたエレナをカーライルが制した。


「馬鹿、下がっていろ! 利用されているだけだ」

「でも……!」


 カーライルはぐ、と奥歯を噛みしめルーヴェンを睨んだ。


「俺は【摘み取るもの】――ずっと、この化物を追っていた。博物館に展示されているのを見たときは度肝を抜かれたぜ」


 仕方がないだろう、そう言ってルーヴェンは顔をしかめた。


「僕も弱っていたんだ。ただ眠ってるだけなのに、屍体扱いされていい迷惑だったよ――僕も君が監視しているのは気づいていたよ、呪い子。君が僕を消滅させようと隙をうかがっていたことも、ね?」


 銃口から目を逸らさずにルーヴェンは、一歩前に出た。


「おい」

「邪魔だよ。僕とエレナの邪魔をするんだったら」


 発砲する前にルーヴェンが手をかざすと、カーライルは遥か後方に吹っ飛んだ。


「――殺すよ」


 エレナの視界を遮るものは何もなくなる。

 目の前にはにっこりと微笑むルーヴェンの姿があった。

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