第12話 薔薇の香
「もう、ミセス・カーターってば何か勘違いをしていたようだわ」
「ん? ああ、勘違い、ねえ……」
含み笑いをしながらカーライルは歩き始めた。送り出された手前、彼を放置するわけにもいかない。慌てて彼の後を追いかけたエレナを、カーライルは一旦足を止めて待っていてくれる。
ざくざくと雪を踏みしめる靴音が寒空に響く。自分で話を振ったもののどう繋げたものかと思案していると、
「俺と君が親密な関係だ、って? くく、あながち勘違いでもないだろうに」
「は……?」
思いがけない言葉が聞こえた気がした。胡乱な目で見遣ればカーライルはやれやれとこぼした吐息を白く凍らせた。
「冗談が通じないな、エレナは」
「からかわれるのは好きではないです」
つん、とエレナが顔を背けてみてもカーライルは気にしたようすもない。なんだやはり興味も何もないんじゃないか、とエレナが嘆息している間、カーライルは周囲を注意深く見回していた。まるで何かを観察しているようだ、と思う。ただその何かがエレナにはまったく思い当たらないのだった。
「……そんなに物珍しいかしら? 来たばかりでまだ余所者のわたしが言うのもなんですが、いたって平凡な村だと思いますけど」
「ああ。興味深いよ、実に――まあ、君にはわからないだろうがな」
カチンとくる言い方が続いたせいでエレナがむうっと頬を膨らませていると、それに気づいたカーライルがなだめるように声を掛けてきた。
「なあ。エレナには、この村がどう見える」
「どうって……」
王都までおよそ二日ほどの距離にあるこの村は、列車の駅があるというのが不思議なくらい小規模な集落だ。自然豊かな、といえば聞こえがいいが鬱蒼と茂る森を切り開いたところに家屋を建てたに違いない。
なにしろ生活用品がひととおり揃う隣町まで出るには馬車で半日ほどかかるのだ。そこから商品を仕入れて村の小さな雑貨屋で売っているのだが、すぐ品切れになってしまうことも多かった。
「辺鄙な場所、というところね……村の皆が顔見知りで、時々窮屈に感じるもの」
この地域は、都会暮らしが長かったエレナには不便な田舎、という印象が強い。子供の頃から王都で何十人も使用人がいるお屋敷で下働きをしていたこともあって、狭い世界ながら仕事に必要なものはすぐ手に入った。それが叶わないこともあり、村に来てすぐのうちは困ったものだ。だが次第に慣れた。
がみがみいう雇用主もメイド長もおらず、親切な老婦人の生活の支援をする暮らしはさほど悪いものではなかった。むしろこれ以上ない幸せといってもいい。それにいまのエレナはひとりではない――ルーヴェンがいる。
「君は変わったね」
「えっ」
歩みを止めて、カーライルはエレナをじっと見つめた。呻くような鴉の鳴き声が村はずれの森に響いている。いつのまにか、住居や納屋が立ち並ぶ道を通り過ぎて村の端まで来ていたようだ。
「この先は子供たちがよく遊んでいる森で……あ、最近熊が出たらしいから近寄らない方が――ちょっと待ってくださいっ、カーライルさん!」
エレナの制止もきかずにざくざく雪を掻き分け、森の中へ入っていく。
「ほらエレナ、見てごらん」
「はぁ……何ですか?」
やっとカーライルに追いついたエレナは息を切らしていた。
彼が指さした先には、雪の上についた足跡が見える。
「この森に俺たちより早く誰かが入っていったみたいだ」
「……それがどうしたっていうんですか」
足跡をなぞるように歩き始めたカーライルの数歩後ろをエレナはついていく。時折茂みや木の枝が揺れて、雪がどさっと落ちてきた。そのたびにびくっとするエレナをからかうように、カーライルがにやにやしながら振り返ってくる。
「ルーヴェン」
ぼそりと呟くようにしてカーライルは言った。
思いの外低く冷たい声音に、エレナは思わず肩を揺らした。
「……って言ったっけ。君の『弟』は」
急に元の温度に戻った声にエレナは「ええ」と応える。
「弟のようなもの、というのが正しいけれど」
「……へえ?」
先程ミセス・カーターと接していたときとは真逆の、皮肉びた口調だった。
動揺を押し隠しながらも「王都にいたときに出会ったんだけど、身寄りがないらしくてなつかれたのよ」と、詮索好きではあったが信じやすい村人たちにも話して聞かせた内容をカーライルの前でも繰り返してみせた。
すると、静かに息を吐くようにカーライルは嗤った。
「ふ、嘘が下手だな、エレナは」
「嘘じゃないわよ! 何を根拠に……っ」
おもむろにカーライルはエレナの腕を掴んだ。
そしてそのまま――かじかんだ指先を鼻に近づけ、すん、と匂いを嗅いだ。
「【薔薇】の匂いがするな、エレナ。甘い香りだ……吐き気がするほどに」
「は――離してよ!」
振り払おうとしたエレナを阻止し、カーライルはぎりぎりと手首を掴んだまま締め上げた。痛みで涙が目尻に滲む。
「言ったじゃないか、【薔薇】にはじゅうぶん気を付けろ、と。すっかり骨抜きにされてしまったと見える。嘆かわしいことだ」
「痛いわ……カーライル!」
涙声で訴えるとわずかに力が緩んだ。その隙に掴まれていた手を振りほどいた。
唇をきつく噛みしめ睨みつけると、カーライルは呆れたと言わんばかりに肩を竦めたのだった。
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