第11話 来訪者

 静謐な空気が流れる早朝の村にこつこつと長靴ちょうかの足音が響き渡る。

 きっと勤勉な新聞配達員だろうと思って、エレナが玄関ポーチの掃き掃除を続けていると涼やかな声が頭上から降ってきた。


「やあお嬢さん」


 思いがけず声を掛けてきたのは見慣れない長身痩躯の男だった。間違いなく、顔見知りの気のいい新聞配達員ではない。


 エレナは思わず手にしていた箒を取り落とす。

 はっと息を呑むほどの美貌の青年。

 白銀の髪に赤褐色の眼という華やかな――ひとつ間違えると禍々しさすら感じる容姿を前にしていると、鮮やかに眼裏まなうらによみがえる一幕があった。


『薔薇に気を付けて』


 揺れる列車の中で相対した記憶が本の頁をめくるようにエレナの前に現れる。

 このエダムシャーの小さな村にやってくる前の、ほんの些細な出来事ではあった。それでも頭の隅にだとしても確かに彼の姿はエレナに根付いていた。

 

「……カーライル、さん?」


 覚えていてくれたんだな、と青年――カーライルは首をわずかに傾け、エレナに微笑みかけた。つい、どぎまぎしてしまってぱっと視線を逸らすと、カーライルは一歩距離を詰めてきた。俯いた顔を覗き込まれ、考え込むような数拍の間をおいてから唇を震わせた。


「――ああ。そっちはエレナだっけ? あまり元気ではなさそうだが……顔色が真っ青じゃないか」


 先日、目にしたのと同様の仕立ての良い紳士服を身に纏った青年は太陽の下でかろやかに笑ってみせた。何故だかその笑みが、エレナには精巧な作り物のように見えた。




「エレナのお知り合いなら大歓迎だわ」


 ミセス・カーターは、突然現れた青年にも不快感を示すことなく屋敷の中へと招き入れた。実際のところは知り合いと呼べるような間柄ではないのだ、とエレナが口を挟む隙も無く、カーライルはカーター夫人お気に入りのサンルームで紅茶を供されていた。


「王都にいたときからエレナのことは気になっていましてね。共通の趣味があるものだから」


 カーライルは愛想よくミセス・カーターの話に相槌を打ち、息子の自慢話にもそれはすごいと感心してみせた。妙な居心地の悪さを感じながらようすをうかがっていると、カーライルは意味ありげにエレナを見遣った。


「あら、どんな趣味かしら」

「花ですよ――俺たちは同じ花に引き寄せられた」


 琥珀色の液体が満ちたカップを覗き込みながら、カーライルは囁くように言った。「花」という言葉が引っかかる。エレナが格別花が好きだというわけでもない。それにそんな話を列車の中でした記憶もなかった。


 ――カーライルはいったい何を言っているのだろうか。


 温かな日差しが差し込むサンルームで、エレナはじっと動かずにカーライルを観察していた。白銀の髪は陽光を浴びた雪原のようで、神秘的な深紅の双眸は悪戯っぽい輝きを放っていた。それに魅せられたかのようにミセス・カーターが息を呑んだのがわかった。

 まるで宝石のような男だ――それでも、エレナにはルーヴェンの方が、美しく思えるのだけれど。

 見惚れてしまったことを恥じ入るかのようにこほん、と咳払いをしてミセス・カーターは紅茶に口をつけた。

 

「そういえば、エレナ。ルーヴェンはどうしているの」

「えっ、ああ……外に出掛けたみたいで――いつのまにか部屋からいなくなっていたんです」

「もう、仕方がないわねえ。あの子ったら、すぐ保護者エレナの目を盗んで遊びに出掛けてしまうんだから」

「ルーヴェン? もしやお孫さんですか、ミセス・カーター」


 カーライルが尋ねたとき、首筋にひやりとしたものを押し当てられたかのようにぎくりとした。


「いいえ! ルーヴェンはエレナの……なんだったかしら、弟みたいなものなのよ」

「ええ……」


 言葉を濁したエレナを気にしたようすもなく、ミセス・カーターはルーヴェンについて雄弁に語った。金髪碧眼のとても可愛らしい少年であること、姉がわりであるエレナにとてもよくなついていること……そんな他愛もない夫人のお喋りをカーライルは興味深そうに頷いて聞き入っているようだった。


「それはぜひ俺も会ってみたいなあ」

「カーライルさんは村の宿屋にしばらく泊まっていくのでしょう? きっとすぐに会えますわ」


 にこにこしながらミセス・カーターは請け合った。会話が途切れたのを見計らうようにして「さて、そろそろお暇しようかな」と言いながら椅子を引いてカーライルが立ち上がった。


「お招きいただきありがとうございました、ミセス・カーター」

「何もない村だけれど、ゆっくりしていってね。そうだ、エレナ……! カーライルさんにこの村を案内して差し上げたらどうかしら」


 ミセス・カーターはこの思い付きが気に入ったようで、エレナの肩を押してサンルームから玄関へと向かわせる。戸惑いながらエレナがカーライルの隣に並ぶと、満足げに微笑んだ。


「急いで戻らなくても大丈夫よ、ゆっくりしてきていいですからね。それでは、カーライルさんのことをよろしくね、エレナ」


 呆気に取られているうちに玄関のドアが閉じられて、その場にはこみ上げる笑いを身体を折って堪えているカーライルと、途方に暮れたエレナが残された。

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