第6話 嫉妬

 ルーヴェンは村の子供たちの中でもあっという間に人気者になっていた。

 突如として現れた異物として疎まれ、嫌われるのではと気をもんでいたエレナだったがすべて杞憂に終わった。


「ルーヴェン! はーやーくー!」

「わかった、すぐ行く!」

「待って、ルーヴェン」


 ミセス・カーターの家から毬のように弾んで飛び出して行こうとするルーヴェンを呼び止め、エレナは金色の頭に帽子をかぶせた。


「今日は日差しが強いから」

「ありがとう、エレナっ」


 ルーヴェンはふにゃりと気の抜けたような笑みを見せた。早く来てよ、と呼ぶ子供たちに向かって手を振ってからもう一度エレナの方を見た。


「いってきます」

「……いってらっしゃい」


 駆けていくルーヴェンの背中を見送ってから、エレナは室内へと戻った。すると待っていたかのようにミセス・カーターが声を掛けてくる。


「あの子も随分この村に慣れたようね」

「ええ、本当に」


 村に突如として現れた謎の少年を気にしていたのだろう子供たちが、初めてミセス・カーターの家を訪ねてきたとき、ルーヴェンは大きくて青い目を丸くして驚いていた。

 ただ、遊ぼう、となつっこく誘われたことには喜んでいるように見えた。

 うずうずしたようすでエレナとミセス・カーターの顔色をうかがっていたが「行っていらっしゃいな」と鷹揚にミセス・カーターが頷いてみせると風のように、ぴゅうっと玄関を出て行ってしまった。


 それ以来、ルーヴェンは村の子供たちに交じって遊ぶようになった。

 これまでのようにしきりに遊ぼう、と仔犬のようにルーヴェンがまとわりついてくることが減ってエレナは安堵しながらも、どこかさみしい気持ちを抱えていた。子供は子供同士で遊ぶのが一番、そうに決まっているのに。


 ――ルーヴェンは他の子たちとは違う。ただの子供ではないのに?


 頭によぎった考えを打ち消すように、エレナはモップで床を強くごしごしと磨いた。


 あるとき子供たちと遊びに出掛けたルーヴェンが約束した時間になっても帰ってこないことがあった。ミセス・カーターと顔を見合わせたエレナは、夕食の準備をする手を一旦止めてようすを見に行ってみることにした。


「ルーヴェン! どこにいるの?」


 村はずれの森は、エレナとよく出かけたビクニックの場所であったし、子供たちもよく遊びに出掛ける場所ではあった。あまり奥には入るなよ、と大人たちは言い聞かせているが、子供が素直に聞き入れるとは限らない。


 一歩、また一歩と森の奥深くへと足を踏み入れていくとあっという間に夜闇がすぐそこまで迫ってきた。吹く風もだんだん冷たくなって、持っていきなさいとミセス・カーターから手渡されたショールを掻き合わせるように纏う。

 唇からこぼれる吐息が白く凍るようだった。


「ルーヴェン!」


 彼の名を呼びながら森の奥へと進んでいく。一向に返事がないせいで、黒くて重たい靄がエレナの胸をふさぎ、覆っていく。足元から寒気が這い上がって来る。嫌な予感がする。


「……ねえ、それって本当なの?」

「ふふ、どう思う――?」


 くすくすと笑う少女の声が風に乗ってエレナの耳に届いた。もう少し先に進むと浅い湿地が広がっている場所に出る。そちらの方から話し声が聞こえてくるのだった。

 そのほとりで、ふたりの子供が向かい合っている。


 思わず足を止めて、エレナは木々の合間からそのようすを覗いた。


 遠目からでもひとりはルーヴェンであることがわかった。もうひとりは村の少女だ――真っ赤なリボンで結わえた長い三つ編みが可愛らしい。美しい少年と愛らしい少女。まるで完成された絵画のような一場面だった。


「もう、からかわないでよ」

「からかってなんていないさ」


 ルーヴェンの言葉はどこか大人びた口調に聞こえる。じっとルーヴェンに見つめられると少女はもじもじしたように俯いてしまった。こうして覗き見していることを後ろめたく思っているせいか、エレナは先ほどから胸がぎしぎしと軋むように痛むのを感じていた。


 これ以上、見ていたくはない。

 そっと踵を返そうとしたとき、射貫くような青い目が自分に向けられた。


 ぎくりとして凍り付いたエレナを、冷ややかな眼差しが捉えている。いますぐに逃げ出したいと思うのに足が石にでもなったかのように動かなかった。

 ルーヴェンの視線が自分に向けられていないことに不満げに頬を膨らませた少女は、エレナが少し離れたところにいることに気付いたようだった。


 ぎゅっと唇を噛み、ふたたびひらいて冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでからエレナは叫ぶようにして言った。


「ルーヴェン! こんな時間まで何をしていたの」


 精一杯、大人の虚勢を張った。エレナを見るひんやりと醒めた青い眸から目を逸らさず続けた。


「――あなたも、早く帰りなさい。もう日が暮れてしまったでしょう?」


 かつて王都のジョーンズ家で通いで子守をしつつ家事をしていたときと同じ、厳しい声音を作って、眉を吊り上げて睨む。

 少女は困惑したようにルーヴェンの方を見たが、ルーヴェンは何も言わずに視線で促した。ぱっと弾かれたように少女はエレナの脇を通り過ぎ、森の出口へと駆けて行った。


 薄青い闇の中に、金色の髪の少年が佇んでいる。

 水辺の鳥が鳴き、黒い骨のような影となった木々の合間にこだまする。


 少年の均整の取れた身体つきは闇の中に沈みつつあっても明らかで、エレナは思わず目を逸らした。ゆったりとした足取りで、ルーヴェンが此方に向かって歩いて来る。


「ねえ、エレナ」


 ぎゅうっと腕にしがみつくようにして、ルーヴェンはエレナにその身体を寄せた。


「あの子はただの遊び仲間さ。本当に大切なのは、エレナだけだよ」


 思わずエレナの肩が揺れたのをおそらくルーヴェンは見ていただろう。薄く笑みながら、しがみつく手に力を込めた。


「早く帰ろうよ。ほら、転ばないように手を繋いで、ね? いいでしょう?」


 甘えるように囁いたその声は、漆黒の闇の中に溶けて消えていった。

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