第4話 運命との邂逅①


 マウンドからホームベースまで、その距離18.4m。


睨み合う2人。勝負は1打席勝負、一瞬の失投失打も許されない、文字通りの意地のぶつかり合い。


突如として始まった一戦に、混合野球部の面々は神妙な様相で見守る。その視線を一身に背負うのは、最強かつ未知数な助っ人新人打川投一うちかわ とういち


野球部エース・葛田を相手に、渡り84cmの木製バットが、右打席にて火を噴く——。


「……おい落ちこぼれ君、良いのかよ? それ木製だろ?」

「混合野球で男は木製バットしか使えないので……というより、貴方こそ良いんですか?」

「あ?」

「……マウンドの距離、そんな遠くて」

「……はっ! やっぱ奴隷にするの無しだ!! ぶっ殺してやる!!」

「……」


 その眼差しは、衰える事なく。


その一回り大きくなった背中に、投華は安心感と頼もしさを覚えていた。



 ▽△



「……何? 葛田と打川が勝負を始めた!?」

「は、はい!」


 職員室に響き渡る平山先生の悲鳴。思わず他の先生もその声に反応、慌てて会釈しその場を後にする。


「一体どういうことだ? 葛田はともかく、打川がそれに応じるなど」

「打川君が打った打球が当たって怪我したとか因縁付けてきて……最後には前みたいに更科さんに手を出そうとして、それに打川君が……」

「……あの男、意外と血の気が多いのだな……!」

「ごめんなさい、止められなくて……!」

「構わん! この際だ、葛田も良い薬になるだろうからな」

「葛田君はあれでもウチの野球部のエースですよ!? 打川君に何ができるんですか!?」

「何だ、城田は知らんのか? 奴の経歴を」

「め、名帝に居たのは知ってますけど……」

「それだけじゃない。あいつはその名帝の――」



 △▽



 右のオーバーハンド、マウンドからの1球目。


投じた軌跡は体の内側に近い。唸り声の後、ボールはミット。


「ストライク、だよな?」

「……どうぞ、続けてください」


 まず初球を取った。不敵な笑みを浮かべる葛田。続く2球目、間髪入れず早いテンポで投げ込んでくる。


「——!」

「——とーいち!!」


 直球が後頭部のすぐ後ろを通過した。その直後、捕乃華らの悲鳴が辺りに響き渡る。


その場はやや騒然。葛田は帽子を取るどころかその笑みを更に深め、寧ろこちらの反応を愉しんでいるようだった。


「ワンボールワンストライクだよなぁ? なら、こいつはどうだっ!!」

「——!」


 葛田自慢のスライダー。右打者の外角低めで軌道は着弾。キャッチャーはそれをわざとらしくストライクゾーンに寄せるようにして掴み取った。


「ストライクツー!」

「けけ……追い込んだぜ、どうすんだ名帝さんよぉ!!」

「……」


「追い込まれたか……!」

「今のは外れてない……?」

「ちょい捕乃華、あいつほんとに打てんの!?」

「と、とーいちなら大丈夫! 絶対!」


 捕乃華が最後にその姿を見たのは今から約2年前。中学卒業を最後に別々の高校へと進み、その邁進をずっと追いかけ続けた。


だからこそ分かる。その肉体の充実度、打席での勝負運び、ボールの見逃し方……これらが全て、進化を果たしているということを。そして、何より変わらないのが1つ。



「——とーいちが、負けるわけ無いから!!」



 その大きな背中と圧倒的な実力で、常に皆を引っ張り続けた天才エース


同じタイミングで野球を始め、捕乃華は捕手として彼のボールを受け続け、また彼に導かれ続けた。その年季は10年近く。


困った時、助けて欲しい時——そして、誰もが打って欲しいと願う時。


想い人打川投一は、絶大な力を発揮する――。



「これでぇ、終わりだあああああっ!!」



 轟く唸り声、視界に広がる白球と赤い縫い目。


両手で担いだバットが反応する。軽く上げた左脚は右脚の股関節へ全体重を乗せ、溜まった出力を——解放。


右半身に集中させた全感覚をその一振りに注ぐ。右から背中全体に広がる負荷、自然とバットを押し込む右手——。



 ——初球と2球目は内、3球目は外の変化球。


当然、配球とは打者の反応を見て行うものだ。2球目は挑発の意味合いがあったものの、3球目のスライダーを振らせて打者にプレッシャーを与えるという意味合いでは——狙いは正しい。


 ただバッテリーはここで間違いを犯した——否、失策を犯したと言うべきだろうか。


元名帝、名帝の落ちこぼれ——そう呼んで彼を誹り、目にも止めなかった事……それが、彼らの運命を決定付けた。



「——平山先生、投打君ってそんなに凄いんですか!?」

「……ああ、知っている。ですらな」



 ……彗勢南中学出身。ポジションは投手、その打棒とピッチングで数多くの大会の優勝を経験。最優秀選手賞の受賞もさることながら、それ以上の名声をもその手中に収めた。


——スーパー中学生、そう呼ばれた彼は強豪・名楼帝国大附属に進学。1年春から4番とエースを任され、チームを甲子園予選決勝にまで導いた。


大会打率.571、盗塁阻止率1.000。1年生史上初、南東京都大会のベストナインに選出された天才。それが、打川投一という男の正体だ。



「——!」



 学校全体に響き渡った強烈な破裂音、思わず脚を止める2人。


その頭上で描かれる放物線は目にも止まらぬ疾さで飛翔。2人の遥か後方、グラウンドにて着弾したボールは、その実力を示すには充分。


 そしてグラウンド。呆然とするのは葛田達だけではない。その場に居た混合野球部ナインらも同様。そしてその畏怖の視線は、やはりその光景に向けられる。


 ……けれど、捕乃華は1人満面の笑みを零していた。


 打球の行方を見据えながら優雅にバットを放り投げる、勝者アーチストの姿に——。


「……」

「ウソだろ、葛田さんのボールがあんなとこまで……」

「……勝負アリ、ですね。バックスクリーン直撃ってとこですか」

「……!」

「狙いは良かった、でも相手が悪かったですね。名帝の落ちこぼれから言わせれば、この程度のピッチャーは飽きるほど見てきました。ね」

「……せ、センターフライだろ! この勝負は俺の勝ちだ!」

「まだそんな屁理屈を言うんですか? 良い加減にした方が良いですよ? ねぇ、先生方?」

「はっ!?」


 葛田は慌てて背後を見やる。ちんまりとこちらを睨む平山先生と、両手を組んで立っている……野球部の顧問らしき先生。


「か、監督っ!? どうしてここに!?」

「それはこっちのセリフだ。と言うより、どっかの誰かさんがあんなホームラン打たれれば誰でも気付くぞ」

「だそうですよ」

「……」

「……こんな馬鹿げた勝負を受けた打川も打川だが……よれよりも葛田。お前には、そろそろお灸を据える事にしよう」

「ま、待ってくれよ。これは、その……」

「どうやらお前は俺が生徒指導の先生であることを忘れているようだな。うし」

「ひえっ!?」

「お前ら全員来い」

「うわああああ!! 嫌だあああああ!!」


 顧問の先生に連れて行かれる葛田。さっきまでの態度はどこへやら、観念したのか摘み出された狗のように大人しくなる。


そんな喧騒が姿を消し日常が戻ってきたグラウンド。緊張の糸が張りを失った時、俺の胸に捕乃華が勢い良く飛び込んできた。


「とーいち! ナイスバッティングだったぞー!」

「おお、ありがとうな捕乃華」

「えへへ……良かった、良かった……とーいち……」


 ……どうやらかなり心配させてしまったようだ。仕方無い、帰りにガストのパフェでも食わせてやろう。何せこいつは、自分のせいで俺が危険に晒されたと考えているみたいだからな。


「……はぁ、ほんと良かったよ。打川君」

「すいません、城田先輩。お騒がせして。じゃあ俺は戻りますから」

「おいおい待てよ兄弟。そう言わずに練習してけよ」

「きょ、兄弟?」

「俺は鈴原一兵すずはら いっぺい。この部唯一の男子だ。よろしくな兄弟」

「お、おう……」

「あの葛田君の球をあそこまで飛ばすなんてね〜」

「名帝は伊達じゃなかったってことか。てか兄弟、打球の音やばすぎだろ。撃たれたのかと思ったぜ」

「鈴原君の言う通りだよ」

「お褒めに預かり光栄です」

「ねぇ城田さん、こりゃ今年行けるとこまで行けるんじゃないッスか?」

「行けるかもだね〜、何なら全国優勝しちゃうかも?」

「とーいちがいるから大丈夫です! 絶対! な、とーいち!」

「……お、おお……俺、戦力として数えられてんのか」

「当たり前だろ? なぁ更科さん?」

「当たり前だーっ!」

「あははは」

「……喜んでいる所に水を差して悪いが、今は練習の時間であることを忘れていないだろうな」

「おおお、そうだったそうだった! 兄弟が衝撃的すぎて忘れてた」

「よぉーし! あたしもとーいちみたいに打つぞぉ!」

「俺も頑張るぞ〜!」


 ……本当に、久しく忘れていたのかもしれない。「野球が楽しい」、そんな感覚を。


白熱し緊迫した勝負、そして捕乃華の笑顔。この部にいると忘れていたものを沢山思い出せる気がする。忘れてはいけないのに、蓋せざるを得なかったものが。


 ……俺の野球がずっと、こうだったら良いのに——。


「……ふぅ、久しぶりにこんな練習したぜ」

「私も……疲れちゃった」

「でも城田さん大分飛ぶようになったんじゃないッスか?」

「そうかなぁ」

「……全員集合。ミーティングを行うぞ」

「あ、はーい」


 全員が集まり見合った面持ちになったのを見て、平山先生は咳払い。その神妙な様相に、和気藹々としていた皆は打って変わって怪訝な表情を浮かべた。



「……今日、職員会議でこの部の話が上がった。前々から言われている、部の存続に関する話だ」



 空気が変わる。城田先輩の表情が——曇る。



「私も色々な手段で食い下がったが——校長先生から、結果が伴わない活動を認める事はできない、と言われた」

「……!」

「じゃ、じゃあ……平山先生、俺ら……」

「は、廃部ってことですか……? 先生……」

「……落ち着け城田。まだそうと決まったわけじゃない。校長先生は、日々練習に励む君達の為に結果を出す場所をくださった」

「結果を出す場所……?」

「今週の土曜、朝10時。我が校の校庭で、練習試合を行うことになった。相手は——」

「……?」


 平山先生が俺を一瞥する。そして一拍置き、



「——名楼帝国大附属、男女混合野球部だ」



 名楼帝国大附属、男女混合野球部。


その言葉を聞いた瞬間、真っ白になる思考。


俺に視線が向く。それが居た堪れなくなって、それぞれ隣に居た者へ視線をを泳がせた。



「相手は名帝、しかも練習試合明後日じゃないッスか」

「あの……先生。その試合って……やっぱり……」

「無論、勝利する以外に無いだろう。結果を出せと言われたが具体的には何も言われなかった。当日は校長先生もいらっしゃる。ならば、勝利という分かりやすい結果を見せるのが一番だ」

「そう……ですよね」

「打川。お前も部の一員だ。当日は試合に出てもらう。各々、しっかりと準備をして臨むように。以上」


 かくしてミーティングを終えた――のだが、やはり皆はより一層不安を深めてしまったようだ。


「……名帝ってさ、強いとこ……だよね」

「……いや無理じゃね? 名帝が相手とか」

やなぎさん。まだ何もしてないわよ」

「いや普通に無理っしょ。廃部じゃん」

「待てよ待てよ。今回は兄弟が居るんだぜ?」

「……まぁ、そうだけどさ」

「とーいち……平気か?」

「……ああ。問題ねえよ」

「……ほんとか?」

「……」


 ……名帝は近年、男女混合野球部にも力を入れ始めている。県内から有望な選手を集めているという話も聞く。


そしてその極め付けには、硬式野球部から何人かを助っ人として派遣しているのだ。


「……つくづく、自分の運命を呪いたくなる」


 沸々と湧き上がる怒り、悔恨。怪訝と諦念に塗れたグラウンドの中で俺はただ1人、情熱をエサに克己心を燃やすのだった。


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球児と球女 〜甲子園で花咲く扇の詩〜 真洋 透水 @hideto0245

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