第3話 運命との再開②
——甲子園を懸けた高校野球都道府県予選。その激戦区の1つ、東京。名だたる強豪犇めく中、頭1つ抜け始めた存在——それは、
その歴史はまだ7年と浅いものの創部1年目から甲子園出場を果たすなど、東京都だけでなく日本中にその名を轟かせていった。
ここ数年甲子園から遠ざかっていると囁かれていたが、昨年は東京都大会決勝に駒を進め、悲願の甲子園出場まであと一歩と迫っていた。
——しかし。ここで、彼らをアクシデントが襲う。
当時1年生ながらエースと4番を任されていたとある天才投手が——試合を欠場したのだ。
その理由は未だ不明。ただそれが彼らにとって大きな影響を与えたのは確か。名帝は決勝で敗れ、甲子園の目の前で逃し涙を飲む結末。
それからその天才は忽然と姿を消した。退学した、問題を起こした——あらゆる噂が噂を呼ぶだけ呼び、それが真実に辿り着く事は無く。
やがてその噂は、人々の記憶から消えていったのだった。
△▽
……話を今に戻そう。男女混合野球部に入部する事となった俺は、早速翌日の放課後から部活に出る事に。
とは言えど俺に活動をする気は無い。グラウンドの外で見学。不審者を見る眼を向けられながら、居た堪れない気持ちを抑え見物する。
「……何あれ」
「変な人だね」
「
「うん。見学らしいよ〜、平山先生が言ってた」
「へー」
「名帝って言うんなら、その実力見せて欲しいねぇ」
……皮肉が聞こえてくる。男女混合野球部唯一……俺を除いて唯一の男子、名前は
……やっぱり色眼鏡になるよな。名帝から来たって聞いたら。まあ、もうあいつらとは何の関係も無いんだけど。
「久しぶりに顔見たと思えば。何してんの? ずっと」
そよ風にたなびく紫紺の髪。捕乃華と比べてかなり大人びた眉目は、俺を見下ろしてそう問い掛ける。
「……
「うん。で?」
「見学だ。見たら分かるだろ?」
「まーね。いつまでそうしてるの?」
「少なくとも、今日はこのままだ」
「ふーん」
フルネームは
そんな横山は俺の隣に腰掛け、
「まさかまた同級生になるとはね。名帝に行くって聞いてたから、あんたはそのままプロ野球選手にでもなるんだと思ってた」
「……そうかね」
「捕乃華、あんたがこの学校に来てから凄い嬉しそうだったよ」
「……そうか」
「……あんた、なんか暗くなったね。名帝に1年居たらみんなそうなるの?」
「……」
たった1年。思い出せばパワハラモラハラのオンパレードで、良い思い出なんて数えながらでも思い出せない。それでも、そんな日々が仲間との絆になるんだって信じていた。
――でもそれはまやかしだった。所詮は、俺の妄想でしか無かったのだ。
「おっしゃ、更科さん! ノック行くぞ!」
「はーい! お願いしまーす!」
「……こんなとこでサボってていいのか」
「よくないね。じゃ」
「おう」
……捕乃華のポジションは
こうやって捕乃華が野球に打ち込んでいる姿を見ていると、あの時の記憶が蘇ってくる。あいつと共に挑んだ日本一への道。成し遂げた事はないが、あの時は毎日が充実していた。
心の底はこう言っている。「野球が好きだ」、と。まだ俺の中にこんな気持ちが残っているなんて知らなかった。でも少し安心した。まだ、俺は野球をやろうと思えるのだと。
夢も目標も潰えた。だけどまたこうしてグラウンドに戻ってきた。翼をもがれた今の俺が望む事は、たった1つ。このままずっと野球が好きなままいれたら、それで良い。
そうして練習を終えた彼女ら。すると捕乃華は迷う事なく、俺のもとへと真っ直ぐに走って来た。
「とーいち! 自主練手伝ってくれ!」
「自主練って……俺制服だぞ?」
「ボールトスするだけで良いから!」
「そ、そうか……ま、まあそのくらいなら」
捕乃華は小柄な体だが長打力がある。肩も強い。だけどいかんせん攻守共に技術に欠ける。そんなロマンある彼女は、中学時代俺の球を捕れた唯一の捕手だ。
3番俺、4番捕乃華。男顔負けのパワーは、子どもの頃から俺の後ろで存分に発揮してくれた。
「よく飛ぶな、相変わらず」
「はい!」
「ん?」
「とーいちも打って良いよ!」
「いや、俺は……」
「良いから良いから!」
「お、おう……」
バットを握る感触。ペンや箸を持っても感じない納得感。このしっくりくる感覚……どうやら俺の手も、いつの間にか野球バカになってしまっていたようだ。
——放物線。軽い力で放った白球は、いつの間にか空へと消えていく。この混合野球部の小さいグラウンドに別れを告げて、向こうの校庭へと姿を消した。
「相変わらずすっごい飛ばすんだな! とーいち!」
「……」
……また、こうやって野球ができたら。
そんな事を考えながら放った俺の打球は、またグラウンドから校庭へと未来を描いたのだった。
▽△
「次、インコース低め〜」
「はーーい!」
今日捕乃華はブルペンでマスクを被っている。チームのエースで主将、唯一の3年生……
技術はまだまだだが、このキャッチングは一級品だ。思わず真似してしまう。
「……?」
ふと、ずかずかとグラウンドに上がり込む生徒らの姿を捉える。外から見ていた俺以外にも少しずつ、グラウンドにいた選手達も気付き始め、その異変にブルペンの2人も気付く。
そして城田先輩の反応はみるみる内に悪くなっていく。そんな様相など気にせず、寧ろ先頭の男はそれを嘲笑うようにして笑みを見せた。
「よう恵ちゃん、ちょっと良い?」
「……何?
「そんな警戒しないでよ、飛んできたボール返しに来たんだって」
「……ありがとう」
差し出されたボールを掴もうとする——が、葛田はその手を引いた。
「何!」
「いやさぁ恵ちゃん。このボールさぁ、こいつの頭に当たったんだよねぇ」
「痛かったっすわぁ」
「こっちにサボりに来てた途中で当たったんでしょ? 自業自得だよ。因縁付けるのやめて! あっち行って!」
「いやぁでもさぁ、当たっちゃったもんはちゃんと謝るのが筋じゃない?」
「私達の中にグラウンドまで飛ばせる人なんて居ないから!」
「はあ? 昨日
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくて良いよ更科さん。さああっち行って! あっちで真面目に練習しなよ!」
「いやあさあ……このボールこいつの頭に当たってるんだよねぇ。責任取ってもらわなきゃ引き下がれねえんだわ」
「どう考えてもここからそっちのグラウンドには飛ばせない! 当たったとしたら自業自得! さあ帰って! これ以上後輩達に迷惑かけないで!」
「……ほ〜ん? そのキャッチャーの子がやったのに?」
「……!」
「やめて! そっちの自業自得だから!」
……捕乃華が震えている。目が合った。どうやらこっちのボールが1個あっちの人に当たったらしい。そして原因は、昨日俺が放った打球のようだ。
ここはちゃんと俺が行って謝ろう。捕乃華や他の人達に迷惑はかけられない。
「……あ? 何だお前」
「すいません。俺は混合野球部2年の打川と言います。恐らくそのボールは、昨日俺が打ったものだと思います」
「はあ? 何? お前かやったん?」
「はい。故意ではなかったとはいえ、部員の方に怪我を負わせてしまい……申し訳ありませんでした」
「……ほ〜ん?」
「――!」
右頬に容赦無い
「噂になってんのよ、名帝から転校してきた落ちこぼれが混合野球部に入ったって。名帝さんは他の部の奴に怪我させるんだ? お?」
「やめてよ! やめて!!」
ここで言い返せば荒立ててしまう事になる。必要なのは大人としての判断。なら、取るべき選択は。
「……申し訳ありませんでした」
「打川君! 謝らなくて良いよ!」
「……はっ、それが謝罪かよ。普通土下座だろ? 土下座。
「……」
膝と額を地に着けて、
「……申し訳ありませんでした」
「打川君!!」
「ふはっ、ほんとにやったよ。さすがは落ちこぼれだな。じゃあ次は——」
「もう辞めてよ!! 去年からずっとずっと! そっちが悪いんでしょ!? それを棚に上げて!」
「いやいや、これ硬球だよ? 痛いんだよ? 元名帝さんは知らないだろうけど、ほら」
俺の頭に、勢い良く硬球が投げ付けられた。
「……どう? 痛い? 分かったか元名帝さんよ」
「辞めてよ! もう良い加減にして! また先生に言い付けるから!!」
「やってみろよ、今回はこっちが被害者だし。なぁ?」
「はい」
「……わ、私が! 私が悪いんです! 私が居残り練習に付き合って欲しいって言ったから……」
「だよねえだよねえ! 分かるじゃん! じゃあさじゃあさ! この後一緒にどこか遊びに行こうよ」
「え、え」
「君可愛いしさ。こんなとこで野球してないでさ、俺と一緒に遊ぼうよ」
「わ、私は……」
「もう辞めてよ葛田君! 先生に言い付けるよ!?」
「じゃあ選べよ。こいつボコボコにするか、その子か」
「……!」
……理不尽には慣れている。それに怒る理由はあっても、冷静さを失ってはいけない事も知っている。
屁理屈を言われるのも、土下座を強要されるのも、頭に硬球を投げられるのも、暴力を受けるのも、理不尽をやる輩が被害者面するのも慣れている。皮肉な話、名帝ではそれが日常茶飯事だからだ。
それでもう1つ。これは嬉しい話だ。
名帝で心は摩耗した。感覚は麻痺した。だけど、この気持ちだけは失っていなかった。
自分が理不尽に晒されるのは良い。でも仲間がそうなるのは、我慢ならない。
何より嬉しいのは、その気持ちを忘れていなかった事だ——。
「……は? 何立ってんのお前」
「もう必要ないですから。もう貴方は
「は?」
「……理不尽をすることでしか人と関われない輩には、その女は落とせませんよ」
「ああ!?」
胸ぐらを掴んでくる。下手くそなキスのような舌打ちを何度もしながらガンを飛ばして来るその顔を見ると、吐き気を催しそうだ。
「お前マジで何様? 人に怪我さしといてその態度何なの?」
「ただの高校生です。して、怒るということは図星ということでしょうか?」
「怒ってねえから。マジでどうなってんの? 名帝は」
「お得意のクレームでも入れれば良いじゃないですか。最も、もうお互い関係ありませんが」
「……お前、マジで舐めてんの?」
「実力じゃ勝てないから、理不尽をやろう。なんて考える輩を尊敬する理由は、貴方のどこにあるんですか? 隙だらけですよ? 野球部の葛田さん?」
「……!!」
「どうしました? お得意の舌打ちはどこへ? クレームもできない舌打ちもできない。……何が出来るんですか?」
「……はっ! そうかよ! ならやってるやるよ!」
他のメンバーらが俺を取り囲むように広がる。
「……これは?」
「クソガキ、俺と野球で勝負しろや。バッターのお前が俺のボールをヒットにできたらお前の勝ち! ピッチャーの俺が抑えたら俺の勝ち! どうだ?」
「ほう、良いですね、やりましょう」
「かなめ!」
「打川君乗る必要無いよ! 今から先生呼んでくるから!」
「ではその間に相手ができますね。それだけの時間があれば充分でしょう、1打席くらいなら」
「……はぁ? お前が俺に勝てると思ってんの?」
「……はい——」
野球選手らしくないこの肉体、そして胸ぐらを掴むこの手。そこから導き出せる答えは。
「——はっきり言って、余裕かと」
「……ハッ、俺が勝ったらお前奴隷な」
「では俺が勝ったら、2度とこの学校に来ないでくださいね」
「……良いぜ、やってやんよ落ちこぼれ君」
「とーいち……」
「……すまん、我慢ならんかった。ちょっとバット貸してくれ」
「……」
入部して早1週間。訪れたまさかの展開。
とんだ大立ち回りだ、だがこれも一興。
眼には眼を、歯には歯を。打席から見える葛田の不敵な笑みには、相応の一撃を。
——その不敵な笑みを、フルスイングで打ち砕く——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます