第2話 運命との再開①
校舎から少し離れ、見えてくる小規模なグラウンド。
真横では大きな校庭で運動部が部活に勤しんでいる。聞こえてくるのは野球部サッカー部のむさ苦しい声や、女子テニス部の可愛らしい掛け声。
そんなアオハル華やかな場所には目もくれず、開く気配の無い裏門の近く。それが今回の目的地。
「……で、ここに何があるんです?」
「見えているじゃないか。君の新しい居場所が」
「……は?」
これはグラウンドか何かだろうか。いかにも見窄らしい台形は校庭の半分以下程しかなく、無造作にツタが伸びる裏門同様不規則に雑草が生い茂っている。
そしてその中で広がる
両翼50mも無い狭いグラウンドで所狭しと、8人の選手達が汗を流していた。
「あそこに居るのはどう見ても……女子、ですよね」
「ああ。ここは
——男女混合野球。野球人口の減少や男女平等などの社会情勢に伴い誕生した、文字通り
基本的なルールは野球とあまり変わりない。高校野球と比べ規模はあまり大きくないものの、現在は高校野球からドロップアウトした球児や、野球に興味のある女子などが参戦してそれなりの市民権を得ているらしい。
「……それで、こんな汗臭い俺にあの花園の中へ入れと」
「上手くやるのもコミュニケーションの一環だ」
(横暴だろ……)
「平山せんせー、ここで何してるんですか?」
鈴を転がしたような心地良い声。声色に溢れ出るその内に秘めた闊達さ。その声の主を俺は知っている。
「
「——とーいち!」
特徴的な茶髪が小動物のように跳ね動く。俺の腹付近で、
「とーいち、こんなとこでどうしたんだ? また野球やりたくなったのか!」
「打川、更科と知り合いか?」
「幼馴染です」
「ずっと一緒に野球やってました!」
「そうか。なら丁度良い。打川、お前には罰としてこの部での活動を命じる」
「!!」
「え゛……お、俺は——」
——心臓の、跳ねる音。
記憶が呼び起こされる。恐怖を思い出す。地獄の味に脳が灼かれる。血が巡っていくように。
【お前が試合に来なかったせいで俺達の夏が終わった】
……歪む視界。
【チームよりも自分の都合が大事か】
……歪む視界。
【チームを大事にしない奴なんかに、エースの資格は無い】
……荒れる呼吸、込み上げる吐き気、心臓の痛み。
【お前、もう野球辞めろ】
四方八方から向けられた悪意と、目の前で冷たくなった亡骸——。
「……悪いが拒否権は無い。恨むなら日頃の授業態度を恨め。丁度男手が足りていなかった事だ、しっかりと活動しチームに貢献するように」
「……」
「……とーいち?」
「何だ? どうした」
「野球やるの……まだ、嫌か?」
「ん……? どういうことだ?」
「……すいません、先生。やっぱり帰ります」
「待て。拒否権は無いと言ったはずだ。それに一体何故だ? 理由を言え」
「……迷惑になるからです。こんな俺じゃ、野球なんてできません」
「始める前から何を言う」
「……じゃ、俺はこれで——」
「——とーいち!」
「!」
俺の腕を掴む捕乃華の眼は、とても悲しい眼をしていた。
心の中にある罪悪感が脚を止め、逃げる意思が無くなったのを感じ取った捕乃華も、手を引く力を弱める。
「……わたしはとーいちと野球がしたい。前みたいにできなくてもいいから……また、一緒にやろ?」
「……」
「……とにかくだ。どんな事情があるにしても、部活にはちゃんと所属してもらうのが我が校の校則だ。最初は見学でも良い。少しずつ、活動をしていけ」
「……分かりました」
「ならとーいち! 一緒に行こう!」
「お、おい! 引っ張るなよ」
……俺は皆の夏を終わらせた。皆を犠牲にして。
そんな俺に野球をやる資格など無い。なのに、運命はどうしてか野球と引き合わせてくる。
捕乃華は何を思うのだろう。かつての輝きも価値も失ってしまった、屍同然の俺を——。
△▽
「……ただいま」
夕暮れ。家の中は殆ど暗がりに染まる。靴を脱いでいると照り付ける照明が目を眩ませ、目の前に立っている人物は俺に微笑んだ。
「おかえり、お兄ちゃん」
「……ただいま、
俺と同じ黒髪をハーフアップにしたこの美女は、妹の
眉目秀麗、才色兼備。家事も炊事も熟す。優秀すぎて母ちゃんなのか奥さんなのか妹なのかも分からない。
「ご飯できてるよ。待ってるから」
「ああ」
こんな俺にも甲斐甲斐しく、早く帰っては美味い飯を作ってくれている。中学3年生のこの時期、成績の良い支絵なら受験勉強がしたいだろうに。しかし上手い。やっぱり支絵の味噌汁は体に染みるなぁ。
「……」
「……? どうした?」
「お兄ちゃん、今日何かあった?」
「……何で?」
「お箸全然進んでないから」
「……」
「……ねえ、お兄ちゃんはもう野球やらないの?」
「野球はもう良いんだよ。そんなことより、支絵は高校受験の事考えなきゃな」
「よく言うよ。毎朝ランニングと筋トレと素振りは欠かさないくせに。今日もバッティングセンター行って来たんでしょ」
「……その内忘れる。今はまだ、やらないと気持ち悪いだけだ」
「ふーん……」
含みのある相槌を最後に、食事の会話は終わった。
「手伝うよ」
「良いよ、座ってろ」
皿洗いをする後ろ、申し訳無さそうにソファに腰掛ける支絵。一頻り終えて俺もその隣に合流、それを見てテレビの電源を入れる。猫が両手を広げる可愛らしい映像に、隣から小さな絶叫が。
「……また、野球やろうって誘われたんだ? 捕乃華さんに」
「またその話か。猫が逃げるぞ」
「この怪我はお兄ちゃんのせいなんかじゃないよ。だから——」
「——そうじゃないんだよ」
「……」
「……色々、難しいんだ。言葉にするのが」
「……そう」
……支絵は今、左脚に障害がある。
去年の夏。車で俺の試合の観戦に向かっていた際、居眠り運転をしていた大型トラックに衝突された。その時運転していた母に庇われる形で奇跡的に生還したものの、母はそのまま帰らぬ人となった。
唯一の肉親を
——最も、俺の凋落はそこから始まったのだが。
「……私はまた見たいなぁ、お兄ちゃんが野球してるとこ」
「……気が向いたら、バッティングセンターにでも連れてってやるよ」
「えー、野球場じゃないの?」
「さぁな」
「……私は信じてるよ。お兄ちゃんがまた野球やるって。甲子園に行くって」
「……」
……「信じてる」。不思議な言葉だ。自然と、鬱屈した心が洗われ、挫折したなけなしのプライドが許されるような気がする。だから、俺はこの言葉が好きだ。
そしてこの言葉を聞くととても懐かしい感覚になる。だけど、その正体が何なのかは分からない。それでも。
……大切な何かを、思い出しそうな気がした。
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