青秋
宮野徹
~ ハグ ~
これは、二人の高校生の恋愛模様のほんの一部を切り取った、日常の物語である。
彼女の名前は、出雲(いづも)秋。
容姿端麗、成績優秀。そんな漫画の登場人物にいそうな一人の女子高生。そんな彼女が一人の男子と交際関係になって早一か月。
彼の名は、水野青斗。出雲に比べて、パッとした特徴もなく、勉学も平凡である。強いて言えば多少運動神経がいいくらいで、それ以外は一般的な男子高生である。
プロフィールだけを見れば似通った点はあまりない二人であるが、それは、実際には全く意味のないものである。
好きになった女性が、多くの人から好かれる人気者だろうと、自身に思いを寄せる男性が、どれだけ臆病であろうと、それは決して不釣り合いなものとは呼ばない。
しかし、若さゆえに人は、そういった外見や弱い部分のみを見ようとしてしまうものだ。
二人が本当の意味で、自分の気持ちに素直になるのは、もう少し先のことだ。
「おはよ。」
先に駅についていた出雲が、片手を上げながら挨拶をしてきた。いつもと変わらない、とても長いポニーテールを悠然と靡かせながら、彼女の瞳はまっすぐ自分に向けられている。
「おはよう。暑いね。」
「そうねぇ。」
本日の天気は晴れ。雲一つない空の元、僕と彼女は駅の改札を通り抜けていく。ホームは当然炎天下に晒されて、コンクリートの床からは熱線が反射し、屋根のある日影であっても体感温度に変化はない。転々と天井扇風機が設置されてはいるが、根本的な解決にはなっていない。夏のこの時期の登下校は、学生たちにとっては命懸けに等しいものだ。
「暑い。」
「暑いねぇ。朝っぱらからこれじゃあ、嫌になるよ。」
「・・・熱い。本当に。」
暑い、暑い言うのは、ここの所の彼女の口癖の様なものだ。出雲は自身のシャツの襟をつまんで、パタパタと衣服の中へ空気を送っていた。男子としては、正直人前でそんなことはしないでほしいと思わなくもない。彼女は学校へ着くまで、上のボタンを外したり、スカートをはためかせたり、いろいろとやっているのだ。男子からすれば目のやり様に困る、というのもあるし、一応ボーイフレンドととして、そういうあられもない姿を他所へ見せたくないないという願望もある。だが、青斗はそれを黙って眺めることしかできない。なぜなら、額や項に汗を滴らせる彼女の姿はとてもきれいだからだ。中学の頃から彼女を知っているが、その天性の容姿は高校へ入ってからも男女問わず人を引き付ける。彼女の周りには、いつも多くの友人たちがいるものだ。そして、そんな彼、彼女たちといつも自分を比べてしまう。平凡な男子が抱く劣等感は、相手が輝けば輝くほど大きなるものだ。例え、彼女へのまっすぐな想いがあったとしても、それはぬぐえるものではない。
尚もシャツをはためかせながら、出雲はキョロキョロしていた。何を見ているのかと青斗も倣ってホームを見渡してみたが、いつもと変わらない風景だった。ただ少し人が多いだけで・・・。
「なんか今日、人多いね?」
出雲が、今まさに思っていたことを口にしてくれた。
「そうだね。旅行客、とかかな。会津の方まで行くんじゃない?」
「でも、この駅、特急止まらないよね?」
「あぁ、そっか。」
二人が通学に使っている路線には、運賃とは別に支払う特急券を利用した、特急車がある。特急車は決められた駅でしか止まらず、青斗たちが出発するこの駅には止まらないはずだった。
「えっ、じゃあもしかして、これ全部快速に乗るの?」
出雲の表情がいかにも嫌そうに歪んだ。もしそうなれば、これから来る電車の車内は、おそらく地獄に変わるのではないだろうか。二人はもともと利用客が多い快速電車を使っていて、それよりもさらに多いとなれば、ラッシュアワーになることは容易に想像できる。北関東のド田舎でそんなことになるなど、ほとんどないのに。
「やばいかもね。電車。」
「すぐ降りられるように、位置取りしなきゃね。」
田舎の観光客程、電車に成れていない者はいない。降りる人間より先に乗ろうとする者なんていくらでもいる。慣れの問題ですらないが、ようはマナーの悪い人間が多いのだ。もっともそれさえも慣れてしまっているため、誰も指摘しないし、それぞれうまく折り合いをつけているから、大した問題ではない。のだが・・・。
電車がようやく来ると、二人は早めに扉の前に待機した。人の波に飲み込まれず、かつしばらく開くことのない反対側の扉へ位置どったのだが、案の定、堰を切ったように大勢の旅行客らしき人達が押し寄せてくる。
「「うわっ。」」
二人で口をそろえて言いながら、必死に体を小さくさせていた。一応、出雲を潰れさせないように、青斗は彼女の真ん前に立つようにしているが、予想以上に人が多く、二人の距離はほんの数センチもないくらいにぎゅうぎゅうだった。
「っ、ごめん。」
どんと、ガラスに腕をつき、出雲と向き合う体勢になったが、これは思っていた以上にこっぱずかしい。意図せず壁ドン状態になってしまったわけだが、背中に感じる人の団子の重みはテコでも動かないだろう。
ようやく扉がしまり、電車が動き出すと人の団子は、それに沿って前へ後ろへ、時には左右へ動き出す。動いた重みが容赦なく青斗の背中にのしかかってくる。その度に腕を踏ん張り、出雲を守るので必死だった。全身に力を入れているせいか、余計に汗も掻く。
いくら付き合っている者同士であっても、こんな風に密着するのは照れくさいし、何より汗ばんだ肌を触れ合わせるのは気持ちが悪い。彼女を触れてはいけないものとは思わない。けれど、彼女を守りたい気持ちと、触れてしまって嫌な思いをしてほしくない、嫌われたくないという思いがごっちゃになっている。その結果、二人の間には見えない隙間が常に存在していた。電車が揺れ動き、団子に押されようと、青斗は必死にその隙間を保ち続けていた。
学校の最寄り駅までは六駅。時間にしてだいたい二十分ほどだが、その時間はそれよりも長く感じられた。電車内は、旅行客のみならず普段から通勤通学に利用している者たちもいる。話し声は途切れることはなく、車内は酷く騒々しかった。エアコンはついているはずなのだが。人間の熱でそんなものはないとでも言わんばかりの暑さで、現に青斗も出雲も、乗る前からの汗を引き継ぎ、全身にそれを滴らせていた。
騒々しい車内とは打って変わって、二人が口を開くことはなかった。青斗は、腕に力を込め、足を踏ん張りながら、目の前の彼女を見れないでいた。好きになった人の容姿を直視できないなんて、情けない話ではあるが、彼女の顔は目と鼻の先にあるのだ。
当の本人が、俯き加減でいてくれているおかげで、見つめ合うことにはなっていないが。汗をだらだらたらしながら、踏ん張っている姿なんて、こんなのみっともないって思うのは自分だけだろうか。俯いたまま、じっと縮こまっている彼女には、自分がどう映っているのか、とても不安になってしまうのだ。
二つ目の駅をついた辺りで、どうやら腕が限界に来たみたいだった。乳酸が溜まり、力が入らなくなってきて、肘が曲がったり伸びたりを繰り返していた。運動は得意だが、部活には入ってないし、普段から鍛えているわけではないので、当然と言えば当然だ。電車が止まった時、少しの間休めるだろうから、その時に腕を下ろして休ませないといけない。そう思っていたのだが、その駅でさらに数人が乗り込むようで、もはや休む暇もなく更なる重圧が青斗に襲い掛かった。
(・・・近いって・・・。)
こんなに近くで出雲の御顔を拝見するのは初めてだった。それを喜んでいいのかどうか。こんな状況で考えることなんて、いかに下心がないかを見せること位しかない。好きだからこそ、今の関係のままでいたいからこそ、近づくことも、離れることもしたくない。それが、今自分と出雲の間にある隙間なのだ。
「大丈夫?」
電車が動き始めて、出雲は初めて声を発した。小さな声で。初めて彼女と目が合う。心配そうに見上げる彼女の瞳は、やっぱりきれいなままだ。どう答えようか迷っているうちに、出雲は横目で、震える青斗の腕を確認していた。すると何を思ったのか、彼女は腰に手を伸ばしてきた。
「来て。」
「え?」
腰に手を回され、彼女ゆっくりと自分の方へ抱き寄せていた。青斗が必死に守っていた隙間は徐々に無くなっていき、やがてシャツとシャツが触れ合う感触が伝わってきた。同時に、彼女の柔肌と、胸元のふくらみの感触も。
「いや、悪いって。」
そう言って青斗は体を離そうとしたが、出雲はそうさせてくれなかった。
「・・・いいから。」
扉に寄り掛かる彼女に、更に寄り掛かるように体を預けると、今まで踏ん張っていた手や足が解放されて、身体のキツさはほとんどなくなった。背中からくる圧迫感は尚も健在だが、あまり気にならなくなった。お互いの足の間に、片足ずついれて、座標がほぼ重なっている。抱き合っているようなものだ。それなのに彼女は、嫌がりもせず、ずっと背中に手を回したまま離してはくれない。いや、離れたいわけではない。何を根拠にしていいかはわからないが、申し訳ない気持ちが罪悪感となって押し寄せているのだ。
青斗は何も言えないまま、ずっと彼女の抱擁に寄り掛かる事しかできなかった。
目的地に着き、ようやく解放された二人は、タオルを取り出し、とにかく汗を拭いていた。本当は制服の中の方がとんでもない状態になっているのだが、外じゃどうにもできないので、首や額を重点的に。そして自販機で水を買い、飲みながら残りの登校路へついた。
「なんか、ごめん。」
歩き出してすぐに、青斗は出雲に謝っていた。
「どうして謝るの?」
謝罪をするのは、あまりの意味がないと思っている。全部自分の中での問題だからだ。彼女と密着して、少なからず意識してしまったこと。不快な思いをさせたんじゃないかという不安。何より偶然そうなってしまったからこそ、謝りたいと思ったのだ。
「いや、だって嫌だったでしょ?その、胸とか、あたってたわけだし。汗だって。」
恋人同士なのだから、何をしてもいいというわけじゃない。付き合い初めて一か月。そういうふれ合いをしてこなかったがために、青斗は余計に罪悪感を感じていた。
「私は、嫌だとは思わないかな。」
「え?」
出雲は、買ったペットボトルをシャカシャカ振りながら、言葉を選んでいるようだった。
「アオが、・・・彼氏が人ごみに潰れないように必死に耐えてくれたのに、胸にあたったとか、汗が気持ち悪いだなんて、思えないよ。だって、私のこと・・・守ろうとしてくれたんでしょ?私は、すごくうれしかったよ?」
出雲のはそう言って苦笑いの様な笑みを浮かべた。
「ありがとね。」
そのまま僅かに冷感ののこるペットボトルを首に当ててきた。驚くほど冷たくはなかったけど、胸の内で高まっていた何かがさーっと覚める様な感覚が青斗の体を巡っていった。
自分が考えすぎているのか、彼女を見くびっていたのか。青斗は大きく息を吐くと、お返しと言わんばかりに、自分のペットボトルも彼女に額に当ててあげた。
「ちょ、冷た。なによ、もう。」
「気持ちいいっしょ?」
「ふふっ・・・ねぇ、初めてのハグの感想は?」
「へ?いや、感想って言われても。」
「ないの?」
「うーん。すごく・・・柔らかかった?」
「うわっ、めっちゃ変態っぽい」
「なんでだよ!」
二人はいつにもまして騒々しく学校へ向かっていった。
青秋 宮野徹 @inamurasann67
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