廃品回収

がしゃむくろ

ある清掃員の日常

「お前、冨田の話って聞いた?」

 運転席でハンドルを握りながら、先輩がそう問いかけてきた。

「あ、ええ。何となくは」

 俺と先輩は、二人一組のチームだった。

 市の清掃センターの職員で、廃棄物収集車に乗り、市内を廻るのが日課だ。

 冨田は俺達と同じ課に所属する六四歳の爺さんで、ひどい腰痛持ちだった。

「まったく迷惑なやつだよ。六〇過ぎて、エネルギンも飲まないで働きにくるなんてさ。それで怪我して、救急車を呼ばれるなんて、みっともない。非常識にも程がある」

 昨日、冨田は廃品処理の作業中、不注意で落とした重荷に足を砕かれて、病院に搬送された。

「まあ、たしかに。それはそうっすね」

「ヨボヨボな体で職場に来られても、戦力になんかならねえよ。社会のために、最期まで役に立ちたいと思うのが普通の日本人だろ。そのためには、エネルギンを飲まにゃ。金は無かったかもしれないけど、保険がきくし、国の補助だってあるんだ。まったく、自分勝手な野郎っていうのは、いなくなりはしないんだな」

「そうっすよね。やっぱ、飲まないとダメっすね。日本人なんだから」

 エネルギンというのは、国の事業として生産されている特殊な飲料で、小学生でも知っている。

 義務教育で習うからだ。

『弱ったあなたに、これ一本』

 この国のあらゆる場所には、そんなキャッチコピーで飾られた宣伝物が溢れている。

 前方の信号が赤になり、先輩はウィンカーを出しながらブレーキを踏んだ。

「うちの死んだ爺さんもさ、頑なに飲まなかったんだよ。死ぬ前の数年は、体中ガタガタで、碌に動けもしないから、一日中本なんか読んで、ちょっと調子良いときは、机に向かって何か書いてた。この穀潰しめ、一体何をしてやがるんだと思って、それを覗いたことがあってさ。何だったと思う? 小説だったんだよ! ウケるだろ。働きもしないで、そんな一銭にもならん、くだらない作文してるんだったら、さっさと逝っちまえって思うよな」

 信号が青になり、先輩はハンドルを左に切った。

「俺はああはなりたくないね。どんなに体が衰えても、エネルギンがあれば働ける。最期の最期まで金を稼いで、社会のために尽くして死ぬ。常識だよな。なのに、うちの爺さんみたいな古い価値観の人間は、だらだらと無駄に生きることしかできないんだよ。貢献度指数が一にも満たないくせに」

 貢献度指数は、年齢、資産力、健康の度合い、労働能力、生殖能力の有無、障害の有無などによって、個々に振られる点数のこと。

 ナリタ理論という学説によって世間に広まった指数で、以後、国の公式指標として政府に認定され、その基準で全国民を評価するようになった。

 その値が五を下回ると、エネルギンの服用が推奨される。

 エネルギンを飲むと、例えば七〇歳の老人だったら、三〇代、四〇代の頃のような肉体的な活力が蘇り、精神的にもタフになる。

 そのおかげで、今や多くの七〇代〜八〇代が第一線で働き、ハードな肉体労働にも従事している。

 用量は一日一本だが、人によっては二本、三本と摂取することもある。

 飲んだ分だけ、得られる効果も大きい。が、その分、副作用が起こる時期も早まる。

「さっきの現場、ホントひどかったな」

「いやーたまんなかったっすね。何度も手を洗ったのに、まだ臭いますもん」

「ああはなりたくねえな」

 車は、細い路地へと右折しながら入っていく。

「お前、どうやって死にたい?」

「えっ、いやー……わかんないっす」

「ちゃんと考えておけよ。俺は、なるべく周りに迷惑かけたくねえからさ。床を汚さないよう、ブルーシートをちゃんと準備するよ」

「まだ先の話ですよね?」

「馬鹿野郎! 人生、いつ何がどうなるかなんて判らねえだろ! 準備はいつでもしておくもんだぞ」

 エネルギンの効果の持続性は、個人差が大きい。半年で尽きる人もいれば、五年、中には十年継続した人もいる。

 いずれにせよ、効果が切れた後、極度の鬱症状を発することには変わらない。

 ほぼ確実に、全員が重度の鬱に陥る。

 そして、誰もが自死を選ぶ。

 昨日まで職場で元気にしていた老人が、次の日、電車に飛び込んだというのは、決して珍しいことではない。

 俺の勤務先でも、つい先週、佐々木が自ら焼却炉に飛び込んで、跡形もなくなった。

 享年八四。

 それは、事故死ということになった。

 原因がエネルギンの副作用であることは、みんな知っている。

 ただ、それはみんな知っているだけで、事実として記録に残ったり、会社や自治体がエネルギンに起因する自殺だと認定したりはしない。

 エネルギンによって鬱を発症するという因果関係は、公には存在しないからだ。

 それは、みんなが暗黙のうちに承知しているだけ。承知はしても、そのことを糾弾したり、おかしいと怒る人はいない。

 みんな、そういうものだと受け入れているから。

 働けるだけ働いて、社会のために汗をかいて、限界が来たら、潔くこの世から退場する。

 それが、この国の美徳だから。

 車が停まった。

「さあ、着いたぞ。仕事だ。さっさと済ませるぞ」

 

 翌日、俺は収集車を運転していた。

 助手席には、俺と同じくらいの歳の、すっかり頭の剥げたじじいが座っている。

 新人だが、もしかすると俺よりも歳上かもしれない。

「あのお……」

 傍らで細い声がした。「何?」と俺が聞くと、

「いま向かっているのって、同僚だった方の家なんですよね」

 少し間を置いてから「そうだけど」と答えた。

「だから何だよ?」

「この仕事って、こういうことが結構多いんですか?」

「どうだろうな。多いか少ないかは、あんたの感覚次第だと思うけど」

 それきり、新人は黙ってしまった。

 これで良い。俺はあまり、余計なおしゃべりをするのは好きじゃない。

 だから、無駄口の多い先輩のことが、はっきりと苦手だった。

 八〇を過ぎた頃から、その口数は衰えるどころかより一層増え、移動中の車内は苦痛でしかなかった。

 その苦痛も、昨日で終わった。

 目的の家の前で、ハザードランプを点灯させ、俺は車を留めた。

「さっさと済ませるぞ」

 一軒家の呼び鈴を押すと、先輩の奥さんと思しき老婆が俺達を出迎えた。

「こちらです」

 二階に案内され、連れて行かれたのはベランダだった。

 先輩は、そこにロープ一本でぶら下がっていた。

 物干し竿に固定されたロープが先輩の首を支え、その下に垂れ流された汚物が散乱していた。ブルーシートは、見当たらなかった。

 チッと舌打ちする。

 何が、準備はちゃんとしておけよ、だ。

 結局、てめえも迷惑千万な野郎じゃないか。

 俺は新人に床を掃除させ、それからロープをカッターで切った。

 先ドスンと床に転がったものを、新人と持ち上げた。

 俺は頭の方を、新人は両脚を持って、車へと運ぶ。

「ご苦労さまです」

 奥さんはそれだけ言うと、すぐ中へと引っ込んでしまった。

 車に到着すると、俺がパネルを操作して、投入口を開けた。

 せーの、というかけ声で、俺達は回収した廃棄物を大きく開かれたその口へと投げ込んだ。

 それはゴリッゴリッと複雑な響きをたてながら、プレス機に潰されていった。

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廃品回収 がしゃむくろ @ydrago

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