最終話 新婚夫婦がいるので
「私もそろそろ、婚約しようと思うんだ」
兄の怪我も落ち着いて、数ヶ月。やっと以前と同じような生活が戻ってきた。そのタイミングでまたなんてことを言うんだ。この兄は。
兄のことだ、もうすでに、娘の結婚相手を探している家を探し始めているのだろう。
私の婚約破棄の件がらみだろうかと、すこし不安になる。
「……兄さま、私は兄さまが幸せになれる方と結婚してほしいと思っているの。国同士の友好関係を強める方法なんて婚姻の他にもたくさんあるわ」
私の言葉に兄は驚いた顔をして私をまじまじと見た。
「どうしたの?」
「いや? 大きくなったなって」
嬉しそうに笑う兄が、父のような瞳をしていて思わず笑ってしまう。
「……いちゃつくなよ」
隣にいたレイが小さくため息をつく。それをみて兄が挑戦的に笑った。
「まだ私が一番のようだ。なぁ、レイ?」
兄は悪いとは微塵も思ってなさそうな顔をしている。その視線の先にいるレイは何やら悔しそうだ。
ムッとしたレイを見て兄は声を上げて笑う。
「まぁ、それは置いといて。大丈夫だよ。私にぴったりの相手だから」
ひとしきり笑い終えたあと、兄はもうすでに相手がいるような口ぶりで言った。
レイの方を見ると、心当たりがあるのかないのか、微妙な顔をして眉をひそめている。
「知っているの?」
「……オレが大変になるってことは」
レイの答えの意図が分からず、聞き返すと、そのうちわかる、と言われてそれ以上は答えてもらえなかった。
*******
「旅行に行きたい?」
レイが聞き返してきたので頷く。
「そ、家の仕事も落ち着いてるし。あと、式の後はしばらく二人にしてあげたいなーって」
サラと兄が婚約したのは半年前。
二人は相性が悪いと持っていた私は婚約を報告されたとき随分と驚いた。
「二人とも、最優先事項が同じだから、遅かれ早かれだっただろう」
そんな私の横で、涼しい顔で報告を聞いていたレイは、後日私にそう話してくれた。パトリシアも似たようなことに加えて、『レイ様は二人が婚約するより先に勝負をかけたほうがよかったわ』とも言っていた。
レイはなにか勝負をしているらしい。
結婚式は半月後に控えている。両親もこちらへ来ていて準備やら、祝いやらで慌ただしく過ごしていた。
そんな中、ふと式後の予定を考えたときに、旅行を思いついたのだ。
「どこへいくんだ?」
「南のリゾート。ラクシフォリアの別邸もあるし」
「それは、デイヴィットには言ったのか?」
「えぇ、昨日話したわ」
「……デーブが昨日酔いつぶれていたのはそれが原因か」
「話した後一人で飲んでたみたいよ」
苦い顔をしたのは、酔いつぶれた兄を部屋で介抱したのがレイだからだろう。
私が絡むと酒に歯止めが利かなくなるのは兄の悪癖だ。今回は私も悪かったが、飲みすぎは心配なので辞めてほしい。
結婚したら変わるだろうか。
いや、サラと一緒に飲んで兄だけつぶれるだろう。サラは酒豪だ。
「それで、なんて言われたんだ?」
「猛反対。一人旅なんてとんでもないって」
「それで喧嘩したのか」
「えぇ、一年ぶりくらいかしら?」
あの一件以来、兄とは時折衝突する。
言いたいことを言い合って、意見をすり合わせる。それでも落としどころが見つからないと喧嘩になる。
今回は、もういい! と言って私が部屋を飛び出してしまったので、不完全燃焼となったようだ。
「どうするんだ?」
「もう少し説得するわ」
レイは少し考えるそぶりをして、口を開いた。
「……オレがついて行こうか?」
「え?」
「一人で行くなってことは、誰かがついて行けばいいんじゃないか? 超優秀な護衛になれると思うぞ。実績付き」
レイが冗談を交えながら言った。確かにレイが付いてきてくれたら心強い。
「……そうね。それはとても嬉しいわ」
レイが良い案だろ? と言って笑った。
頷くと、レイは真剣な瞳で私を見た。
和やかだった雰囲気が少し変わる。
「シャーロット。そろそろ気がつかないか?」
「え?」
聞き返した私に、レイは居心地が悪くなりそうなほどまっすぐ私を見つめる。
「デイヴィットもサラ嬢も、シャルを心から愛してると思う。でも、誰よりもシャーロットを愛していて、守りたいと思っていて、大事にしたいのはオレだってこと」
レイの眼差しを受け止めた。
私の顔が熱くなっていくのが分かる。レイの言葉が耳から離れない。しかもそれを驚きではなく、心地よい、嬉しいと感じている自分がいる。
私は自分の気持ちを、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
「レイ」
名前を呼ぶのが精いっぱいだったが、顔はそれ以上に雄弁に私の想いを語っていたらしい。
レイがほほ笑んで私の頬に触れた。
「シャルと二人で話したい事がいっぱいある」
その言葉に、話の途中で乱入してくる兄の姿がいくつも思い浮かぶ。
レイも何かを思い出したのか、苦い顔をしていた。
兄がレイによく向ける、意地の悪い笑顔が頭に浮かぶ。
それはレイも同じようだった。
「兄さまはレイと話しているとふてくされていたわね」
私がそう言うと、レイはムッとした顔をする。
「記憶にも邪魔をされるのか……」
そう呟いたあと、レイはにっこりと笑う。
「ゆっくり、時間をかけていくさ。覚悟はしておいてくれ。邪魔をされるのは慣れている」
そう言ったレイの笑顔は、兄とはまた違って、目が離せなくなるような笑顔だった。
そう思ってレイの笑顔を見つめていると、レイは、そんな顔するなよ、と目を細める。
頬に触れていた手が離れそうになって、思わず手を添えた。
その時、廊下を走るような足音が聞こえてきた。
「……ここまでか」
レイがそう呟いて、名残惜しそうに手を離す。
足音は私達がいる部屋の前で止まり、ノックもそこそこに勢いよく扉が開く。
「シャル! 旅行の件だけど! ……遅かったか」
兄が悔しそうに言った。
隣でレイが勝ち誇ったように笑う。
「そろそろ、任せてもらう」
そう宣言したレイを見て兄は悔しそうな顔をすると早足でレイに向かっていく。
そして、レイへあれこれ言葉を投げつけていく兄は、悔しいと言うよりも嬉しそうに見えた。
兄がいるので悪役令嬢にはなりません 藤也いらいち @Touya-mame
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