第52話 そして、これから
あの一夜の奇跡から一週間が経過し、街は少しずつ日常を取り戻しつつあった。
人々の間では、聖女の再来とも噂される出来事について、様々な憶測が飛び交っている。
だが、あの混乱の中――特に高濃度の瘴気が噴出した中央広場でライセの姿をまともに目撃したものはほとんどおらず、彼女が街を救ったことを知る者はライセに近しい者のごく少数だけだった。
ライセとしても聖女の再来などと注目を浴びるより、一人の冒険者として自由に生きていくほうが性に合っていた。
騒動が一段落した後、ライセたちは冒険者ギルドにてレイモンド捜索の顛末を報告した。
レイモンドを生きて連れて帰ることは叶わなかったが、彼を弔いそして彼の手記に遺されていた内容から瘴気溜まりを発見、教会の司祭ルシルとスラムにて宿を経営しているネーヴィアの協力の元、迅速に避難誘導を行ったというのが公的な記録だ。
そしてクエストの最中、討伐した
五等級冒険者は世間的には一人前の冒険者として扱われる。アルシオネ冒険者ギルド史上最速の七等級冒険者から五等級冒険者の昇格にギルドは大いに盛り上がったのだ。
「ねえアイン、今日のクエストはどんなのがあるの?」
「そうだな……街のドブ浚い、畑を荒らす魔物の討伐、農場の手伝いなど、いつも通りだ」
「はぁ……五等級になっても地味な仕事ばっかりね」
「駆け出し冒険者が一週間やそこらで五等級だぞ。肩書に対してまだ信用がついて来ないんだ。焦るなよ」
アインの言葉にライセは不満そうに頬を膨らませる。
以前に比べて口数が増えた彼にライセは内心嬉しさを感じていた。
あの時、自分を支えてくれた彼の温もりを今も忘れられずにいるのだ。
そんな二人のやり取りをノアは微笑ましく見守っていた。
エデン・エンデバーとの交信はあれ以来途絶えたままだ。
だが、ノアはもうそのことを気に留めてはいない。何かあったらまた通信してくるだろうの心構えだ。
髑髏亭ではライセたちは相変わらずの日々を送っている。朝早くに起き、三人揃って食事を済ませるとそれぞれの仕事に取り掛かる。この数日は目を引くような大きな仕事はなくライセは退屈そうだった。
「あら、ライセさんはこの前のような騒動に巻き込まれたいのかしら? アインから聞いたわよ? 今にも死にかけのボロボロにまたなりたいの?」
「うっ、そんなつもりじゃあ……ってアーイーン~~!」
ネーヴィアが冗談交じりにライセをからかうとライセは悪戯っぽくアインの胸を肘で小突いた。
アインはライセに対して以前よりも打ち解けた関係になっていた。
もっとも、本人に問うてもいつも通りだが?とそっけなく返されるが、二人の距離が縮まっているのは誰が見ても明らかだった。
新しい関係と言えばライセたちが寝泊まりをするこの髑髏亭に、新しくアルバイトが一人加わったのだ。
ドアベルを鳴らして男が入ってくる。目付きが悪くガラの悪そうな男ではあるが、その手の人間にありがちの威圧的な雰囲気は彼にはもうなかった。
「ネーヴィアさん、おざーす。今日も美人で……あっ、アインもライセもいるじゃねえか」
「おはよう、ガルバ。アルバイトの分際で随分と呑気ね。じゃあ早速だけど朝市に買い出しにいってきてちょうだい」
「えーっ、今来たばっかだぜ? まあいいけどよ……」
そう、あのガルバなのだ。中央広場で瘴気に巻き込まれライセによって九死に一生を得たガルバは、どういう心変わりなのか真っ当に働くことを決意してアルバイトとしてこの髑髏亭に転がり込んで来たのだ。
あの日、アインに因縁を付けたことが巡り巡って本人の変化が訪れるなんて誰が予想していたか。まさしく運命のいたずらだろう。
「まだ口は悪いが、態度は大分マシになったな。まさかネーヴィアに土下座して働かせてくれと頼み込んだ時は驚いたが……」
「ほんとよねー、あのガルバが心を入れ替えるなんてさあ」
アインの呟きにライセはガルバをからかう。
あの騒動の後、ガルバは改めて髑髏亭を訪れネーヴィアとライセたちに謝罪したのだった。
そして、その足で彼はネーヴィアに土下座をしてこの髑髏亭で働きたいと申し出たのだ。
「まあ……俺にだって、色々とあんだよ。その……あの時、ライセが俺のことを命がけで助けてくれた時……ライセの言葉で自分を省みるようになれたというか……今までクズのチンピラが今更何を調子の良いこと言ってんだと自分でも思うんだが、それでも……変わりたいって、思い始めたんだ」
照れ臭そうに頬を掻くガルバに、ライセは優しく微笑み返す。
まだまだ粗野な部分はあるが、以前のような荒んだ雰囲気を今の彼は纏っていない。
彼自身が変わりたいと願い行動したのならライセは何も言うことはない。
「本当は……あんな目に遭わなくても、変わらないといけなかったんだろうけどよ。と、まあ買い出し行ってくるわ!」
照れ臭さと決まりの悪さを誤魔化すようにガルバは足早に買い出しへと出掛けていった。
確かに彼のこれまでの行いは許されるものではないのだろう。だが、それでも彼が変わりたいと願ったのならその勇気は尊重されて然るべきなのだ。
「人間ってあんなにも変われるんですね……わたしびっくりしました」
ガルバの後姿を見送りながら、ノアがライセに声をかける。
彼女もまたガルバの変わりように驚いているのだろう。
しかし、その声色は彼に対する不安や恐怖ではなく彼の勇気を見守っていくことへの期待感に溢れていた。
「そうね……しばらくはここで扱き使って、彼の心の中でけじめがつけば……冒険者を薦めてみようと思うわ。元々冒険者は心を入れ替えようとするああいうのを受け入れてきた組織ですもの」
ネーヴィアはノアの言葉に頷いて言った。
彼女もまたガルバの変化を見守ることを決めているようだった。
「そういえば、ルシルさんが今日から仕事に復帰ですよ」
「あ、そうなんだ。また後で挨拶に行こっか」
「そうですねっ」
ルシルはあの夜の一件以降、諸事情により数日間入院していた。
その諸事情というのは彼女の――幼い時に失われたはずの両眼が、あの騒動を経て復活したためその検査のためだった。
あの夜、最初にライセに触れられ、彼女の力で全身の変異を戻されたルシル。
その影響が、失われた両眼をも復活させたのかもしれないという奇跡としかいいようのない出来事だった。
ただ、長年視力を失った状態で、マナの流れで周囲の状況を把握するという技に長けていたルシルは視力の回復で過剰に情報が流入するのが負担のため、慣れるまでは引き続き両眼を覆うとのことだ。
「あの女、ただ者ではないと思っていたが……浄罪局の人間だったとはな」
見舞いに訪れた時、ルシルは自らの本当の身分を明かした。
アルシオネに新たに赴任してきた司祭というのは表の顔、真の身分は教会の特務機関である浄罪局の上級執行官だと告白したのだった。
どことなく物騒な組織名で大昔こそ秘密警察めいた後ろ暗い組織ではあったようだが、現代は教会内の不正を取り締まったり重要人物の監視を行う公安としての役割を担っていた。
あまり一般にそう多く知られてはいないが、存在自体はオープンな組織でもあった。
ルシルの目的は、やはりというべきかライセの監視だったそうだ。
エデニア大聖堂からライセがノアと共に脱走した後、処遇を巡って教会上層部は紛糾し(あの時目覚めたライセを独断で殺そうとした隊長は責任を擦り付けられる形で罷免されたそうだ)、とりあえず監視を付けて動向を探ろうというお茶を濁したような玉虫色の結論に至り、その監視役としてルシルが派遣されたのだという。
そんな機密情報をライセに明かして良かったのかと尋ねると、ルシルは「命の恩人に隠し事はしたくありませんから」と、はにかんだ。
それとルシル自身も上層部の政治的な思惑ですぐに浄罪局を使い走りにされることに嫌気が差しており、上に上げる報告書には『特に懸念すべきものはない』という定型文のみで済ませているそうだ。
今回の瘴気噴出事件についても自分は瘴気に呑まれて死にかけていた、大神エデンの奇跡が起こって自分は命を救われ失った両眼すら復活したのだと報告書に記載し、ライセの関与を匂わせないようにするそうだ。
「思ってたより適当な仕事ぶりには驚いたけどね。それ以上に教会上層部のグダグダっぷりには開いた口が塞がらないというか」
「ああいう飼い犬家業は飼い主が無能だと苦労するからな。余程上に思うことがあるのだろう。まあ、当分は教会がライセとノアに強硬的な手段をとってくることはないだろうな」
とりあえずはのんびりと冒険者家業に勤しむことが出来そうだ。
ライセは肩の荷が降りたように、安堵するのだった。
ルシルにも立場があるので、いつまでも同じ関係でいられないのかもしれないが、今はルシルという新しい友人との関係を大事にしていこうとライセは心に決めた。
そして、その時が来たらその時に考えればいいのだ。
「さてと……そろそろ冒険者ギルドに行こっか。面白そうなクエストあるといいけどなー」
「まあ地味なクエストばかりだろうがな」
「地味でもがんばりましょう!」
三人は髑髏亭を後にして冒険者ギルドに向かう。
これから先の道のりはどうなるかは未知数だ。
だけど、三人なら大丈夫。根拠はないがライセはそう確信していた。
遥か上空では今日も星々が瞬いている。
大神エデンもまた彼女たちを見守っているのかもしれない。
空の彼方の蒼き星の意志を秘めながら、静かに。
「さあ! 今日も一日がんばるぞー!」
ライセは明るく声を上げて、今日の一歩を踏み出した。
『捨てられ大聖女のセカンドライフ ~失敗作呼ばわりされた私は天使と骸骨騎士と共に幸せに暮らしたい~』 黒木ココ @kokou_legacy
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