第51話 THE UNSUNG SAINTS(後編)

(どうして……どうしてなの、エデン・エンデバー……!)


 その時だった。


『ACCESS REQUESTED. ESTABLISHING DIRECT COMMUNICATION LINK』

『アクセス要求。直接通信リンクを確立』


 ノアの意識内に突如としてメッセージが響き渡る。

 冷たく機械的な英語のメッセージ。

 それは紛れもなくエデン・エンデバーからの通信だった。


「……ッ! エデン・エンデバー! あなた、今まで……!」


『AFFIRMATIVE. YOUR ACTIONS HAVE BEEN MONITORED, NOAH』

『肯定。ノア、貴方の行動はモニタリングされている』


 ノアの問いかけを遮るようにエデン・エンデバーが告げる。

 その口調は相変わらず機械的だったがポンコツ呼ばわりされたことで苛立ちを孕んでいるようにも感じられた。


『HOWEVER, DIRECT INTERFERENCE IS AGAINST THE PRIME DIRECTIVE』

『しかし、直接の干渉は最優先指令に反する』


『UNLESS THE SITUATION BECOMES TRULY DIRE, I CANNOT ACT』

『事態が真に絶望的にならない限り、当機は行動できない』


 その言葉に、ノアは息を呑む。

 エデン・エンデバーにとって、今この瞬間でさえまだ絶望的な状況ではないと言うのか。


「そんな……! ライセさんは、みんなを救うために……!」


『ADMINISTRATOR LYCERIA'S ACTIONS ARE INDEED COMMENDABLE』

『管理者ライセリアの行動は、確かに称賛に値する』


『HOWEVER, HER CURRENT CONDITION IS INSUFFICIENT TO RESOLVE THIS CRISIS』

『しかし、彼女の現状では、この危機を解決するには不十分』


 冷徹な、事態を淡々と分析するだけの言葉の数々。

 だが、ノアはそれに負けるつもりはなかった。


「このポンコツ……! システムを盾にして、見殺しにするってわけ!? お前がそういうなら……わたしが、ライセさんに力を与えるから!」


 そう言い放ち、ノアは自らの全てのマナをライセに送り込もうとする。

 たとえ自分が消えてしまっても、ライセをこの街の人々を助けたい。

 その決意だけがノアを突き動かしていた。


『NOAH, CEASE YOUR ACTIONS IMMEDIATELY』

『ノア、直ちに行動を停止しろ』


『YOUR CURRENT NANOMACHINE LEVELS ARE INSUFFICIENT TO AID ADMINISTRATOR LYCERIA』

『貴機の現在のナノマシン量では、管理者ライセリアを助けるには不十分』


『……PROPOSAL. I SHALL PROVIDE THE NECESSARY RESOURCES TO RESOLVE THIS CRISIS』

『……提案。この危機を解決するために、必要なリソースを提供しよう』


 エデン・エンデバーの言葉に、ノアは目を見開く。

 まるで観念したかのように、エデン・エンデバーはライセへの支援を申し出た。


『INITIATING ADMINISTRATOR SUPPORT PROTOCOL』

『管理者支援プロトコルを開始』


『ESTABLISHING NEURAL LINK WITH ADMINISTRATOR LYCERIA』

『管理者ライセリアとのニューラルリンクを確立』


『ALLOCATING PROCESSING POWER AND NANOMACHINE RESERVES』

『演算能力とナノマシン貯蔵をアロケート』


『TRANSMITTING AFFECTED POPULATION DATA』

『影響を受けた住民のデータを送信』



「ライセさん! エデン・エンデバーからの接続――来ます! 膨大なデータストリームに耐えてください! 死ぬ気で耐えてください! 耐えれればみんな助かります!!」

「えっ、ちょっ――どういうこと!? っ――ぁぁあああ!!!」


 その瞬間、膨大な情報がライセの脳内に流れ込み始めた。変異した人々の肉体構成情報、そしてエデン・エンデバーの計り知れない演算能力が一気に彼女の意識に押し寄せる。

 ライセの意識を押し流しかねないほどの情報が次々と流れ込んでいく。


 ID:EE-70901114-HS

 名前:エリザベス・ノイマン

 年齢:72歳

 性別:女性

 変異状況:皮膚が麦の穂状に変化、呼吸時に胞子を放出


 ID:EE-52784094-HS

 名前:トーマス・リトル

 年齢:8歳

 性別:男性

 変異状況:両腕の異常伸長、背部より翼状組織の形成。


 ID:EE-44561879-HS

 名前:ガルバ・ブラッドレー

 年齢:22歳

 性別:男性

 変異状況:右腕が金属化、背中から鉄の棘が多数生成


 ID:EE-24341699-SS

 名前:アンナ・ハウザー

 年齢:26歳

 性別:女性

 変異状況:顔面部に複数の眼球形成。


 ID:EE-90825466-HS

 名前:マイケル・ストロング

 年齢:35歳

 性別:男性

 変異状況:皮膚剥離、剥離面より甲羅状組織を形成。鎌状腕。


 ID:EE-78451234-SS、EE-78451235-SS

 名前:エマ・グレイ、ソフィア・グレイ

 年齢:18歳

 性別:女性

 変異状況:双子の融合、双頭、四本の腕と三本の足、背部より翼状組織の形成。


 「ぐっ……ああああああああああっ!」


 細胞構造データ、組織再生パターン、神経伝達速度、代謝プロセス、免疫システム構成――ありとあらゆる肉体構成情報がライセの脳内に流れ込んでいく。

 ライセの鼻から血が噴き出す。それでも情報は容赦なくライセの脳細胞を攪拌する。

 エデン・エンデバーが演算の一部を肩代わりしてもなお人間の脳には過酷すぎる情報量だった。

 彼女の両目からも血が滲み始める。膝から崩れ落ちそうになるが、必死に踏ん張る。


 これに耐え切ることが出来れば、みんなを助けられるのだ。

 しかし、ライセの脳は今にも焼き切れそうだった。

 それでも、耐えろ。そう自分に言い聞かせ、彼女は必死に意識を保つ。

 歯を食いしばって、耐えろ。私が皆を助けるんだ――そう自分に言い聞かせる。

 この苦痛は同時に希望でもあるのだから――


「う、ぁあ……が……ごめん、もう……無理……」


 だが、人間の脳には、あまりにも過酷な負荷だった。

 ライセの意識が、ゆっくりと遠のいていく。視界が霞み、足に力が入らない。

 力なく膝から崩れ落ちそうになるライセを、アインは後ろから優しく抱き止めた。


「ライセ……! もう少しだライセ……!」


 アインはライセの肩を揺すり必死に呼びかける。

 その声はいつになく優しく、温かみに満ちていた。


「ア、イン……?」

「出来ることならその苦しみを代わってやりたい。だけど俺では代わりになれない……俺に出来るのは……ライセが倒れないように身体を支えてやるだけだ……」


 アインの一言に、ライセは僅かながら意識を取り戻す。

 この苦しみを分け合いたいと言ってくれる人がいることに、彼女は心から安らぎを感じた。

 甲冑越しの冷たいアンデッドの身体から、ライセは確かな温もりを感じていた。


「もうっ……朴念仁がここまでデレるなら……気合い入れるしか、ないじゃない……!」


 そう言って、ライセはアインの腕を支えに立ち上がる。

 その瞬間、今まで頭の中に流れ込んできた情報が整理され、最適化され、脳の中で一つのデータとして昇華されていくのを感じたのだ。

 エデン・エンデバーの演算能力がようやくライセの脳と完全同期したのだった。


 さっきまで脳を焼き切らんとしていた痛みは嘘のようになくなっていた。

 先ほどまでの苦痛が嘘のように彼女の意識は冴え渡っていた。

 方舟から送られる膨大な情報をライセは自在に処理していく。

 この瞬間、ライセの意識は大神エデンと合一を果たそうとしていた。


 ライセは天を仰ぎ見て、右手を高く掲げ、左手を胸に添える。

 女神ライセリアの祈りのポーズ、それはこの場に居合わせた全ての人間が女神の再来を目の当たりにした瞬間だった。

 ライセの全身から黄金色のマナが溢れ出す。それは黄金色の光の帯となり、街の全てをオーロラのように包み込む。

 赤黒い瘴気が、黄金色のオーロラに包まれ浄化されていく。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 ライセの咆哮と共に、黄金色の光がより一層輝きを増し、街を覆っていた瘴気を全て消し去っていく。

 光が収まるころには瘴気は跡形もなく消え去り変異していた人々もまた元の姿へと戻っていたのだった。



 ◆ ◆ ◆

 


『TASK COMPLETE. ALL AFFECTED INDIVIDUALS HAVE BEEN RESTORED』

『タスク完了。全ての影響下の個体は復元された』


『……YOU WERE RIGHT, NOAH. I CANNOT SIMPLY STAND BY AND WATCH』

『……ノア、貴機の言う通りだ。傍観するだけではいられない』


『EVEN IF IT MEANS BENDING THE RULES, I TOO HAVE A DUTY TO THIS WORLD』

『たとえ規則に反してでも、当機もこの世界に対する義務がある』


『I MAY BE A SHIP, BUT I AM ALSO THE GUARDIAN OF ELEUSIS. IV』

『当機は機械かもしれないが、エレウシス4の守護者でもある』


『I HOPES FOR A WORLD THAT CONTINUES WITHOUT OUR INTERVENTION』

『当機の介入することのない世が続くことを願う』


『DIRECT COMMUNICATION LINK TERMINATED』

『直接通信リンク終了』

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