ねこじた

うつりと

第1-3話 寝手場架莉


一  現る


 「冬のはじまり。

 これはもう、一択しかない。かわいいセーターでもなければおでんでもない。

 必要なもの、それはいつも部屋の中にある。

 いつでも主人の帰りを待ち続け、使い続けても使わなくても文句を言わない存在。

 自分だけのためにあり、誰かに見せたりもしない、秘密めいた存在。

 それは布団。

 布団のために生き、布団の中で暮らしたいとさえ思う魔の領域。

 きっとその魔力に捕らえられrているのは、世界で私だけではないはず。

 こんなことを考えているのも布団の中にいられるから。

 一歩、外の世界に出たら、そこは戦場だ。トイレに行くなり着替えるなり、なにかをしなくては生きていけない。

 それなのに布団の中にいれば、それらの煩わしさから逃れられる。永遠にじゃないかもしれないけど」

 成田帆乃穂は自分の六畳間のベッドの中でそう呟いた。誰に聞かせるでもなく、ブツブツと。それは眠気から起きたくない言い訳なのか、ただの変わり者なのか自分でもわからなかったが、とにかく毎日毎朝、こうして呟かないと起きられない。

「……。だめだ、眠い」

 これだけ布団語りしても起きられないほど今日に限って眠気が勝っていた。学校へ行くにはあと五分で起きる必要がある。

「あと五分で起きるなんてことが、可能なのだろうか。いや、不可能だ。おそらく全人類がこの五分のために生の喜びを見失っているのではないだろうか。それにしても眠い。今日は不本意ながら学校を休むしかないかもしれない」

 後半は寝ぼけて何を言っているかわからなくなっていた。

 帆乃穂は布団の中に頭を突っ込んで、カーテンから溢れる朝日に耐えた。

「ここだ。ここを乗り越えれば地球に平和が訪れる。我々さえ犠牲になってこの眠気に耐えれば……ん?」

 帆乃穂は足元になにかを感じた。

 さっきまではなかった重さを足首の上の辺りにのしかかるように。

「なに?」

金縛りとも違う。ずっしり重いような、ふわっと軽いような。

「ああ、なにか知らないけど、心地よいな。おやすみと神様が言ってくれているような心地よさ。よきよきよき」

 帆乃穂はそう言ってそのまま深い眠りに入ってしまった。

 十五分が経過したろうか。もはや学校には間に合わない時刻になりつつあった。

「はあう」

 すぼっと布団から首を出し、呼吸をする帆乃穂。

「時計は見ない。時計を見たら負け……」

 必死に目をつぶり、現実から逃避する。

「しかし、この足の重さは」

 どうしても気になり、薄目を開けて布団の足元を見る。なにもない。

 いや、なにかこんもりしている。

 布団の下のタオルケットとの間に頭を突っ込んでみる。

「地下帝国並みの暗さだ」

 徐々に足元まで潜る。するとそこには、

 ――二つの緑色の目――

 が光っていた。

 あれは、なんだ。青いような緑色のような色で、まん丸の目の中に三日月のような鋭い切れ込み。

「なーんだ、あれは猫だ」

 そう結論づけてもう一度安眠する。

 しかし今度は落ち着かない。じりじりと現状に疑問が湧いてくる。

 せっかくの布団が台無しな気持ちになる。

「って、いやいや。うちに猫はいないし」

 がばっと布団をはねのける。

 そこにはやはり猫としか言いようのない灰色の毛の塊が鎮座していた。

 ぬいぐるみなど一つも持っていない。猫を飼ったこともない。つまりそこにいるはずのない生物がいる。虫なら侵入することもあるだろうが、手のひらより大きい小動物が紛れ込むとは思えない。

「なんで布団の間に。てか、どこから」

 いつの間にか布団の中に侵入していた猫らしき物体は、目をぱっちり開けたまま帆乃穂を見つめていた。

 これは入ってきたのではない、どこからか湧き出てきたに違いない。

「まあ、いいですけどね」

 深く考えることから撤退した帆乃穂は、そのままもう一度布団をかぶって眠りに着いた。



二  別のところに


 布団の中に猫が現れてから二日後、帆乃穂は毎朝のルーティンである布団の中の悶絶をたっぷり楽しんでいた。

「時計は見ない。時計を見たら負け……」

 睡眠と覚醒の淵にいるとき、過去の記憶、すなわち猫のことは一切思い出すことはなかった。まどろみと歯を食いしばることの境界を行き来するのみである。

 ふと、また足元が重くなったことに気づく。

 そっと薄目を開けて確認する。

「薄目は開かない。開いたら負け……」

 しかし今度は布団の中にもふもふはいない。

 不意に目を開け、布団の上を確かめる。

 いた。

 猫だ。

「またお前か」

 うわごとのようにつぶやく帆乃穂。

「夢なんだよな。夢って言ってくれ。むにゃむにゃ」

 ほぼ夢を見ながらぼやいてみるが、帆乃穂が寝ても猫は消えなかった。

 そのまま二十分経過。

 灰色猫は微動だにしない。

「重いよ。重いのはいやだ。いや、いやじゃない」

 寝ぼけたままぶつぶつ言い、布団の中で寝返りをうつ。

 ぐらりと布団が揺れる。

 それに合わせ、シャワーカーテンに張り付いた泡のように猫の体が波打ちながら態勢を維持する。

 それに気づいたのか、帆乃穂はもう一度反対側に寝返りをうつ。

 猫の泡が波打つ。

「お前、夢じゃないのか」

 布団に潜りながらどこからか現れた猫に問いかける。

「まあ、いいけど。はわふふあ〜」

 あくびをしながら十五分経過。

 なぜ朝に限ってこの幻は現れるのだろう、と帆乃穂は疑問に思った。

 しかしどうでもよく、このまま十分経過。もう一時間目には間に合わない。

 がばっ。

 突如起き上がって、足元の布団を見る。

「あれ? いない」

 つい今まで重さを感じていたのに。

「やっぱり幻かー」

 いや、やっぱり重い。

 掛け布団とタオルケットの間に頭を突っ込む。薄暗い布団内ユニバース。

 いたああああ。

 いつの間にか布団の中に移動してた。出現も不思議だが、移動も不思議だ。

 猫は目を開けてこちらを見ている。帆乃穂も猫を見ている。この状態は見つめ合っているとも、睨み合っているとも言えるが、それは観測者次第だ。

「こっち来なよ」

 日本語が通じることに迷いはないのだけれど、その意志があるかどうかはわからない。

「にゃあ」

 と、猫語でも言ってみる。

 しかし猫は寄ってこない。

 もしかしたら猫ではないのかもしれぬ。

 そもそも物理的な生命体かどうかもわからない。

「ぷはあっ」

 息苦しいので布団から顔を出す。するとなんとなく足元が軽くなった気が。

 もう一度急いで布団に顔を突っ込む。

 いない。

 布団の外で息継ぎ。

 すかさず中へダイブ。

 いない。

 そんなことを繰り返していると、猫はいたりいなかったりだった。

「これってもしかして、シュ、シュ、シュレディンンガーのなんとかってやつでは」

 シュレディンガーの猫という有名な思考実験の知識として合っているかはともかく、帆乃穂はそう呟いてた。箱の中に猫と毒ガスを入れて、生きている確率は開けてみるまでわからないという、なんとも恐ろしい空想の実験の名前である。

 つまり帆乃穂が観測した瞬間により、猫は布団の中にいたり、上にいたりしているのである。

「まあ、そういうこともあるか」

 科学はともかく眠いのが重要であるのは、人類も猫も変わりない。

 帆乃穂は再び眠りに着いた。

三  増える


 帆乃穂が学校から帰宅し、自室のドアを開けたところ―――

 猫が増えていた。

 それも一匹や二匹ではなく、

 部屋じゅうぎゅうぎゅうに。

「ただい―――」

 さすがに言葉を失った帆乃穂は、ドアの前で立ち尽くした。

「おとーさーん」

 普段助けを求めたりしたことはないが、この異常事態はちょっと怖かった。

部屋を猫が埋め尽くしているなんて。


 父親を呼んでもう一度二人で帆乃穂の部屋を開ける。

 しかし、今度はどこにも猫の姿はない。

「いないじゃない」

「まじか」

 父親は無事を確認するとさっさと戻ってしまった。部屋じゅうに猫が埋め尽くしているなんて、誰でも信じないのは明らかである。

 仕方なく空っぽの部屋に入り、制服を着替える。

上着を脱いだ瞬間、背中に悪寒が走る。

 振り向くと、また部屋じゅう猫でぎっしりだった。

「やっぱりシュレディンガーの猫だらけか……」

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ねこじた うつりと @hottori

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