透明な子供たち

尾八原ジュージ

透明な子供たち

 空っぽの飼育小屋なんか、だれも気にしないものだ。チャボとかウサギとか、何か生き物がいるならともかく、ぼろぼろのホウキとかとっくに死んだ鳥の羽とかなんかのゴミとか、そんなものが入ってるだけの空間なんてわざわざ見ない。小学校の中にはもっと見るべきところ、注目しなければならないところがたくさんあるし、先生も職員も児童も、みんなけっこう忙しいのだ。

 ところでぼくは、小学四年生のある日、ふとした拍子にたまたま飼育小屋の存在に気づいてしまった。これはすごいラッキーだ。みんなが意識してない、まるで透明人間みたいな場所があることを、ぼくだけが知ってしまったってことなのだから。

 ためしに中に入ってみた。鍵は壊れていたけれど、だれも気にしていないらしい。とびらを押すと、ギイィと小さな音をたてて開いた。四方を緑色の金網に囲まれたコンクリートの床には、何年も前の鶏の糞がくっついている。

 飼育小屋の中央に立ってみた。登校してくる生徒たちが何人も前を通り過ぎる。でも、だれもこっちを見ない。思い切ってラジオ体操なんかしてみる。踊ってみる。やっぱりだれも気付かない。友だちも、知らない子も、先生も、みんなぼくのことを無視するのだ。

 どうやら透明人間みたいな場所に入ると、自分も透明人間になれるらしい。そういうことがわかって、ぼくはとてもうれしくなった。


 それからというもの、ぼくは休み時間や放課後になると、飼育小屋に入りびたるようになった。ちょっと臭いのにもすっかり慣れた。読みかけのジャンプとか、コーラの2Lのペットボトルとか、そういうものを持ち込むようになっても、だれも気付かない。飼育小屋はぼく専用の秘密基地になった。

 そういう状態で二年半を過ごし、そのうちぼくは小学校を卒業して、中学生になった。

 卒業してしまうと、もう飼育小屋になんか行かない。というか、行けない。もはやぼくは小学生ではなく、したがって小学校という空間においては異質な存在だ。門をくぐって飼育小屋へたどり着くまでの間に、絶対にだれかに見つかってしまう。見つかってしまうともうだめだ。その状態で飼育小屋に到着しても、透明人間ではいられない。

 飼育小屋の中には、卒業式の後に持ち出し損ねたジャンプとか、古い座布団とか、飲みかけのコーラとか、そういうものが全部置きっぱなしになってしまっている。でも、やっぱり誰も気にしない。その辺の品物はどうでもいいけど、飼育小屋の空間自体にはかなり未練があった。

 なんとか自然に小学校に入る機会はないだろうかと考えながら、ぼくはいつの間にか中学三年生になった。


 ある日、大雨が降った。ぼくの住んでいるあたりに洪水警報が発令され、家族そろって小学校の体育館に避難することになった。

 体育館には老若男女、いろんな人が集まっている。こんな日には、だれが小学校にいたっておかしくない――ということに、ぼくは気づいてしまった。つまり今日にかぎってぼくは、小学校における異質な存在ではない。透明人間になれるのだ。

 家族といっしょに体育館に入り、「無事に避難できてよかった」なんて話しながら、ぼくは全然落ち着かなかった。飼育小屋が気になって仕方がない。あそこに透明人間のままたどりつくことができるチャンスなんて、もうないかもしれない。

「トイレに行ってくる」

 うそをついて、ぼくは体育館を出た。

 ものすごい雨が降っている。雨どいからどぼどぼと音をたてて水が落ちてくる。雨音がざんざんと響くうす暗い廊下を走って、通用口から外に出た。飼育小屋はもう目の前だ。靴下ばきのまま雨の中に飛び出したそのとき、ぼくはあのなつかしい飼育小屋の中に、何かがあるのに気づいた。

 ゴミでも積んでいるのだろうか。目を凝らしたけれど、強すぎる雨のせいでよくわからない。とうとう金網に手がふれるところまでやってきたとき、ぼくはようやく中にあるものの正体に気づいた。

 人間が積まれているのだ。

 子供が飼育小屋の中に何人も何人も折り重なって、ぼくの身長よりも高い山を作っている。どの子も目を閉じて、ぴくりとも動かない。よく見ると校章の入った名札をつけていたり、学校指定の上履きをはいたままの子がいたりする。きっとみんな、この小学校の児童なんだろう。

 ぼくは飼育小屋の中に入って、手前の子供のほっぺたをつついてみた。冷たくて、固い。ほかの子も次々に触ってみたけれど、どれも同じだった。

 ここに積まれているのはみんな死体なのだ。だれかがここに子供の死体を積んだのだ。ここは透明な場所なんだから、どんなものを置いたってばれない。ぼくが小学校を卒業してから三年、その間にだれかがこれだけの子供を殺して、死体をここに捨てた。こんなに人が死んでいたのに、誰も気づかなかった。捨てられた子供たちは透明になってまうから、大人は探しもしないし、事件にもならない。

 雨の冷たさと恐怖で体が震えた。立ち尽くしているぼくの後ろで、ギイィ、という音がした。なつかしい、飼育小屋のとびらを開けるときの音だった。

 冷たい手が、ぼくの肩をポンと叩いた。

「みんな、自分からここに来たんだよ」

 男か女か、大人か子供かもわからない、奇妙な声がそう言った。


 気がつくと、ぼくは飼育小屋の外に立っていた。雨でずぶぬれになって、体がすっかり冷えていた。

 飼育小屋の中には、やっぱり子供の死体が積まれている。

「きみはもう中学生だから、だめだよ」

 近くの暗がりから、さっきの声が聞こえてきた。「帰りなさい」

 なすすべもなく、ぼくは体育館に戻った。ずぶぬれになっていたので両親に叱られたけれど、そんなことは全然気にならなかった。

 その夜はみんなが寝静まったあとも、体育館の屋根をたたく雨音を聞きながら、飼育小屋のことばかり考えていた。

 今思うと、あそこはとても静かだった。

 ぼくが見た限り、死者たちはみんな穏やかな顔をしていた。

 もうあの場所に入る資格をもたない自分が、とてももったいないことをしたような気がした。

 ぼくはマットの上で寝返りを打ち、目を閉じた。まぶたの裏に飼育小屋の緑の金網が、子供の死体の山が、次々に浮かんでは消えた。


 それ以来、ぼくには飼育小屋が見えなくなった。

 フェンス越しに小学校の中を覗いても、飼育小屋があったはずのところには、雑草だらけの花壇が見えるだけだった。

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