第11話 最終回

ゴゴゴゴゴッ……


突然、地鳴りとともに激しい揺れが足もとを襲った。

私はとっさに女の子をかかえて空中に避難した。

「なっ……!?」

空から見えたのは、まるで世界の終焉のような光景だった。

亀裂の入ったアスファルトが高層ビル群を次々と飲み込んでゆく。

『こちら中野基地。大気圏外に異神反応あり。種別不明。間もなく、異界ゲートレベル〘∞〙開きます』

サキの無線が切れるのと同時に、巨大な満月が赤く染まった。

月の中心からは、瞼を開けるようにゆっくりと闇が広がった。

中で、何かが蠢いている。

「マホリ、この子をお願い」

何かを悟ったのか、女の子は今にも泣き出しそうで私から離れたがらなかった。

私は女の子のおでこにピタッと額をくっつけた。

「お姉さんは今から大事な仕事なの。だからいい子にして待ってて。大丈夫、また会えるから」

私は女の子のおでこにキスをしてマホリに言った。

「今すぐその子を連れてできるだけ遠くへ逃げて。ここは私がなんとかする」

「なんとかするって、先輩またひとりで戦うつもりなんですか? わたしだって……」

「これは命令なの。ぐずぐずしないでさっさと行け」

「……わかりました。この子を避難させたらまた戻って来ます。だから先輩、どうかそれまでは……」

「心配しないで。こう見えても老後のプランまでしっかり考えて生きて来たんだから。年金もらうまでは死んでも死にきれないよ」

小さな女の子を抱いて佇むマホリは、どこか寂しげだった。

私は、そんなマホリにウィンクをして言った。

「たとえおばあちゃんになっても、私は美少女戦士だから」

その時、闇と同化した月から淡い光が差した。

その光が私を包むと、無重力となって空へと押し上げた。

「先輩!」

私はひとつやり残したことを思い出した。

だからティアラを外して、まだ届くところにいるマホリに手渡した。

「遅くなってごめん。マホリが引退する時になったら、後輩にこのティアラを渡してほしい。その美少女戦士の証を……」

それは、さよならは言わない主義の私からの告別だった。

「次の世代に繋いでね」

離れ行くマホリは小さく頷いた。

その目から流れたひとすじの涙は、夜風にさらわれて私の頬をかすめた。

女の子を抱いたマホリがどんどんと遠ざかっていく。

私の声は、もうとっくに届かない距離だった。

「マホリ、君に逢えて本当によかった。ステキな後輩ができて、私は幸せだった」

ネオンは消えて、星の瞬きだけが東京を照らしている。

闇に侵食された月は真っ黒で、宇宙と見分けがつかなかった。

大気圏を抜けた私は、その深淵のような黒い月の内部へと誘われた。

「誰もいない?」

そこは、しんと静まり返った空白のような場所だった。

辺り一帯なにもなく、上下も左右もわからない真っ暗な世界だった。

「お姉さん」

声のするほうを見ると、まだ中学生ぐらいの男の子が玉座に坐っていた。

金髪で色が白く、サファイアのような青い目。とても落ち着いた雰囲気の少年だった。

私は少年の瞳を覗き込みながら言った。

「もしかして、君がラスボス?」

少年はニッコリと笑って頷いた。

「どうぞ」

パイプ椅子が一脚、いつの間にか私の後ろにあった。

私は警戒しながらも腰をおろすと、レオタードが見えないように足を組んだ。

「死ぬ覚悟でここまで来たから拍子抜けしてるんだけど。もっと化け物みたいなヤツが出てくるんだとばっかり思ってた」

少年は優しそうな目をしていた。

あまりに優しすぎて、私はこの少年が異神の皇帝であることを忘れそうになっていた。

少年は、少し申し訳なさそうに口を開いた。

「本当は、地球の人たちと仲良くなれればそのほうがよかった。でも、お姉さんの世界の歴史を知れば知るほど、それは不可能だと思えた。だから、殺すほうを選んだ」

悪意も敵愾心もない、まるで神話のように澄んだ声だった。

そんな少年に、私はこの20年疑問に思っていたことを訊いてみた。

「貴方たちはどこから来るの? 異神とは、いったい何者なの?」

はじめからこの質問をされることを想定していたかのように、少年は淀みなく答えてくれた。

「僕たちがいるのは、お姉さんの寿命をすべて使っても辿り着けない遠い惑星ほし。そこには希望も絶望もなく、いつ明けるとも知れない夜だけがある。そう、まるで眠れない午前2時のような、そんな世界。だから、光を求めた」

一拍置いて、少年は言った。

「そして僕たちが何者なのか。それは誰にもわからない」

自分が何者なのか、私だってわからなかった。

いつかわかる日が来ると思っていたけど、結局何もわからないまま時間だけが過ぎた。

少年の言葉を聞いていると、まだ見ぬ未来を信じて自分を探しているのは、人間だけではないと思えた。

人間と異神の間にある距離は、たぶんそんなに遠くない。

そんなことを考えていたら、いつしか私の闘争心は消えていた。

「話し合えないかな? 今からでも、仲良くなれない?」

少年は私から視線を逸らした。

この質問は、想定していなかったのだろうか。

「僕はお姉さんのことが好きだよ。この20年、ずっと見ていたんだ。なんとかお姉さんを倒そうとがんばったけど、ついにダメだった」

おもむろに立ち上がった少年は、ゆっくりと歩を進めた。

「だから時間を使うことにした。人間は僕たちに比べると世代の循環がずっと短い。僕たちは、数千年先まで生きているからね」

そして私の前で立ち止まると、まるでピアニストのような手を差し伸べた。

私はコスチュームの手袋を外して、その握手に応じた。

「ますますお姉さんのことが好きになった。礼儀は、どこの世界へ行っても大切だから」

少年の手はとても暖かかった。

この少年の中に、人間に対する殺意があることが信じられなかった。

「今日は千年に一度の赤い月の日。僕らの棲む世界の扉が大きく開く日なんだ。だから、お姉さんを招待することができた」

私は誰に促されることなく立ち上がった。

そうしないといけないような気がした。

もう、あまり時間は残されていないような感覚があった。

「また、千年待つとしよう。その時まで、美少女戦士が続いているといいね」

少年はドアを開けるジェスチャーをした。

鉄扉の軋む音とともに、古ぼけた階段が現れた。

私はその階段の前で立ち止まった。

「もし千年後に私の後輩と会うことがあったら、その時は仲良くしてあげてね」

少年は屈託のない笑顔で応えてくれた。

「考えておくよ。前向きにね」

10段ほど階段を上ったところで扉の閉まる音がした。

私は振り返らずにそのまま上り続けた。

身体は重く、まるで老人にでもなったかのように息苦しかった。

しばらく歩くと、階段を挟む壁の間から赤い鉄塔が見えた。

「帰って来れたんだ」

階段を上り切った私は、ライトアップされた東京タワーを見上げた。

夜空には、綺麗な満月が輝いている。

「そうだ、マホリたちはどうなったかな」

辺りを見回しても誰もいない。

とりあえず、私は怠い身体を引きずるように東京タワーの出入口を目指した。

それにしても、さっきまでは平気だったのにこの倦怠感はなんだろう。

久しぶりに異神と戦って疲れが出たのだろうか。

ふと、私は東京タワー正面のショーウィンドウを見た。

「え?」

そこに映ったのは、美少女戦士のコスチュームを着た老婆だった。

驚いた私は、ショーウィンドウに両手をついてその顔をまじまじと見た。

どこからどう見ても、それは老人になった私だった。

とぼとぼと歩いて、出入口の横にあるベンチに座った。

そして、胸のブローチをタップしてデジタル時計を確認した。

2103/12/31(金) 23:49

これが夢じゃないとしたら、今の私は79歳ということになる。

でも、夢じゃないとしたら、これはいったい何なのだろうか。

「あ、雪だ」

それは、エンドロールのようにゆっくりと降る雪だった。

雪は月光に照らされて、舞う時だけ自由であるかのように散って積もった。

少しして、積雪を踏みしだく音が聞こえた。

その足音が私のそばで止まると、聞き覚えのある声がした。

「先輩」

私は眼球だけを動かして声のするほうを見た。

「おばさんになったんだ」

そこには、オールバックで黒いスーツを着た、凛々しい姿のマホリが立っていた。

白い息を弾ませながら、マホリは言った。

「先輩のブローチに通信反応があったから慌てて来たんです。この40年、一体どこにいたんですか」

とうに50歳を過ぎたであろうマホリは、泣きながら私に駆け寄った。

そしてベンチに腰かけると、少し強引に私を抱きしめた。

「あの日、先輩からもらったティアラは、ちゃんと後輩たちが引き継いでいます。先輩が始めた物語は、まだ終わってなんかいません」

もっとマホリと話がしたかった。

けど、もうそんな時間はどこにも残されてはいなかった。

翼をなくした堕天使のように、私はぐったりとマホリの胸に沈んだ。

「ありがとね、マホリ。これで、やっと引退でき………………

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美少女戦士はさよならを言わない おなかヒヱル @onakahieru

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