第6話:ノクスと名付ける
ダンジョンの奥深く、薄暗い道を進む俺と黒い狼――ファントムウルフの間には、これまで感じたことのない静かな共鳴が生まれていた。戦いの最中に交わされた言葉や、彼が孤独を告げたテレパシーによる断片的な響き。それらが、俺の中に新たな感情を呼び起こしていた。かつては、仲間を持つこと、誰かに頼ることが弱さだと思っていた俺だが、今はこの狼と一緒にいることで感じる何かを無視できなくなっていた。
彼はまだ、名前を持たないと言い続けている。だが、俺の中には、彼に名を与えるべきだという確信が次第に強くなってきていた。この黒い体毛、鋭い眼差し、そしてどこか知性的で孤独な彼の存在。それら全てを包み込む、ふさわしい名前があるように感じられた。
俺は歩きながら、彼の後ろ姿をじっと見つめた。ファントムウルフは相変わらず、冷静な瞳で周囲を警戒しながらも、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。闇の中に溶け込むような黒い体、まるで夜そのものが形を成したような存在感だ。
「……ノクス、か」
俺はその言葉を小さく呟いた。ラテン語で「夜」を意味する言葉だ。この狼の姿を見たとき、最初に頭に浮かんだのが「夜」だった。彼の孤独、そして暗闇に潜むような静かで威圧的な強さ。それを象徴する名前として、「ノクス」という言葉が自然と俺の心に湧き上がったのだ。
だが、名前を持たない彼にその名前を受け入れさせることは容易ではないかもしれない。彼はこれまで孤独に戦い続け、名前を必要としなかった。俺が名前をつけることで、彼に何かしらの変化が訪れるのだろうか。それとも、俺が勝手に押し付けるだけに終わるのだろうか。
「お前……ノクス、ってのはどうだ?」
俺はふと、口に出していた。彼にとってこの言葉がどう響くかはわからない。ただ、その名が彼にふさわしいと俺自身が感じていた。
ファントムウルフはその瞬間、足を止めた。そしてゆっくりとこちらを振り返る。赤い瞳が俺をじっと見つめ、何かを考えているようだった。テレパシーの断片がまた頭に響くかと身構えたが、彼はただ静かに俺を見ているだけだった。
「ノクス……夜だ。お前みたいな存在に、ふさわしい名前だと思うんだが、どうだ?」
彼の反応は、しばらくなかった。俺の言葉をどう受け止めているのか、まるでわからない。ただ、彼の赤い瞳は相変わらず俺を見つめていた。その中には、拒絶の色も、受容の色も見えなかった。
俺はその場で立ち止まり、じっと彼の答えを待った。彼に名をつけるという行為は、俺にとっても未知の領域だった。これまで、誰かに名前を与えるなどということは考えたこともなかった。俺は常に孤独であり、誰かを導くことや支配することに興味はなかったからだ。だが、この狼は違う。彼に名前を与えることで、俺自身にも何か変化が訪れるのではないかと感じていた。
数秒が過ぎた。いや、もっと長かったかもしれない。時間の感覚が曖昧になっていく中で、彼はゆっくりと目を細め、頭を少しだけ下げた。それは、彼なりの答えだったのだろうか。
「……受け入れる、ってことか?」
俺は驚きと共に問いかけた。だが、彼は相変わらず何も言わない。ただ、その瞳の奥に、以前とは違う何かが感じられた。彼が名を受け入れることに抵抗を示していないということが、俺には伝わってきた。
「……ノクス、これからはそう呼ぶぞ」
俺は静かにそう告げた。彼に名を与えたことで、俺と彼の間に新たな絆が生まれたような気がした。ノクス――それが彼の名前だ。彼はもう名を持たない孤独な存在ではない。俺が彼に名を与えることで、彼もまた、新しい存在として歩み始めるのだ。
彼は軽く鼻を鳴らし、俺に向けて一歩踏み出してきた。その姿はどこか柔らかく、以前のような鋭い緊張感は消えていた。彼が俺の提案を受け入れた瞬間、何かが確実に変わったのだ。
「これからは、ノクスとして俺と共に歩むんだな」
俺は彼に向けて静かに言葉をかけた。
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加速の覇者と幻影狼の絆 りおりお @kgo1974
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