2章:終わらない夢①

   1


 大学生活にも慣れ、なかなか自堕落な生活をしつつ一年が過ぎた。

 二年生になり、俺の通う学部では専攻のゼミがスタートする。

 そのゼミの初日、俺は変わった奴と知り合うことになる。

 学生生活を一年も過ごしていれば少なからず友人もできるが、さすがに専攻分野まで一緒になる連れは少ない(俺の専攻は人気がなかったらしい)。

 それでも一緒になった数少ない友人と受講していた。

「すまないが、消しゴムを借りられないだろうか?」

 隣の席に座ったそいつからの頼まれごと。断る理由もないので、消しゴムを貸す。

「助かったよ。ありがとう」

 返される際、そいつは大きな目を細めて、微笑む。不覚にもドギマギしてしまった。

 するとそいつは、おもむろにスマホを取り出す。

「ついでに連絡先を交換してもらえるか?」

 脈絡がなかったので俺の目は点になっていたと思う。もしかしたら、意図してないが「えっ?」と漏れていたかもしれない。隣の友人の思わず二度見していた。

「いいだろう。減るものではないし」

 そいつは笑いながら、指を丸めて望遠鏡のような形を作り俺を覗く。

「君は非常に面白いものを背負っているからね。ぜひともお近づきになりたい。これから同じゼミで研鑽する者として、よろしく頼むよ」

 虚を突かれて俺と友人が反応できないことにも構わずに、そいつは鋭い八重歯を見せて笑う。

「失礼、自己紹介もしていなかったね。僕はイエシキ・ツチノだ」

 こんな出会いだった。


   2

 

「この世界には、人間の知覚を凌駕する存在、『奴ら』が存在すると言ったら、驚くかい? それとも……すでに理解しているかな?」

 彼女はそう言ってニンマリと笑った。

 口の端からのぞく尖った八重歯が印象的だ。ただ、そんなことをいきなり言われても、俺はどう返すのが正解なんだ?



 背筋を這うような寒気がして、飛び上がるように起き上がる。

 しばらく自分のいる場所が理解できない。

 どこだここ? いや、知っている場所だった。脳がようやく働き出す。

 講義でよく使う教室。

 二年になって早々、講義で居眠りとは。入学して一年で、俺も立派な怠惰な大学生が板に付いてきた。

 ただ、どうにも腑に落ちない。

 場所は理解できたが、どうして自分がここにいるのか、何の講義を受けていたのかを思い出せない。

 しかも教室内も異様で、人影が見当たらない。

 四十人程が入れる一般的な部屋は静まり返っているが、おそらくは先ほどまで講義をしていた様子は伺える。前の黒板にはいろいろと文字が書かれており、室内には明かりが付いている。しかし、所々のLEDライトが点滅しており、妙に薄暗い雰囲気を醸し出していた。

 講義終わりに、独り取り残されたのか?

 うまく思考が定まらない。自分は何の講義を受けていたのか……。

 やけに、点滅する光が作り出す暗闇が気になる。視線が引き込まれるようでいて、逆に覗き込まれているような気がしてくる。

「やあ、江刈内君。意識がハッキリしたかい?」

 ジッと暗闇に見つめていた時、すぐ横から声が聞こえた。

 周囲に人影がないことは確認したはずなのに。

 不覚にも体をビクつかせて驚いた。声を出したつもりはないが、もしかしたら漏れていたかもしれない。

 恐る恐る声の主へ目を向ければ、一つ離れた隣の席で頬杖をついて目だけこちらに向ける女性がいた。

 大きな目をおかしそうに細めて揶揄うような笑みを浮かべている。

 知ってる顔だ。最近知り合った。

 確か、名前は、

「イエシキ、さん。だよな?」

 自信無さげに問う俺に、彼女は笑みを一層深くしながら「覚えてくれたようで嬉しいよ」と返す。

 ゼミで一緒になって以来、なぜか話しかけられるようになった。彼女はかなり個性的……いや、もっとシンプルに変人と言った方がしっくりくる。最初こそ、異性から話しかけられることに悪い気はしなかったが、さすがに鬱陶しく思って校内でも避けつつあった。それなのに、彼女は全く意に介さずに近づいてきた。

 俺に気があるのか、とも思ったが、どうにもそんな気配はない。何というか、じっくりと観察するような。動物園で初めてキリンやゾウを見て目を輝かせる子供のような視線を向けてくる。

 自分で言いたくはないが、俺は決して他人の記憶に残るような外見はしてない。頭も運動神経も普通。友人と二人でいれば、『じゃない方の人』のレッテルを貼られるだろう。

 その自分の何がそんなに面白いのか。

 そうそう、同期のゼミ生で開いた親睦会と言う名の飲み会でも彼女は俺の隣を陣取り、どうでもいいことをとうとうと語られた。あのあとの二次会でも……あれ、なんだっけ?

「ずっと隣にいた?」

 自分の口から漏れていた。言ったつもりはなかったが。

「そうだね。おそらくはずっと君の隣にはいると思うよ」

 少し考えてからイエシキさんは答えて「僕も寝ていたからね」と付け加えた。

 ハッキリしない言い方だったが、彼女も居眠りをしていたからよく覚えていないとのこと。なるほど、俺と同じか。

 そうなると、この状況が分かってくる。

 あー、思い出してきた。いつものメンバー数人で講義を受けていたはずだ。それなのにいない。つまり、隣の席で寝ていたイエシキさんと二人っきりにする、彼らの悪戯に違いない。そしてこの様子を物陰から見て笑っているんだろう。

「寝てるうちに置いていかれたみたいだな」

 揶揄われていることに嘆息を吐きながら、俺は立ち上がり再度周囲を見渡す。相変わらず人影は見えないが、どこかに隠れているはずだ。

 不気味に感じていた教室も、タネが分かれば、ただの薄暗い部屋だ。少しビビった自分が恥ずかしい。

「それじゃあ、俺。次の講義があるから」

 イエシキさんにそう言い残すと、俺は教室を出ようとスライド式の扉に手をかける。

「江刈内君。困ったことになったら、僕を呼びたまえ」

「は?」

「いいかい。しっかりと声に出して呼ぶんだよ」

 言っている趣旨が分からない。俺は曖昧に笑って返して部屋を出た。


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