1章:池の底⑥


 陰鬱な車内に、場違いなほど心弾ませた声が響く。

 声の主を確認するまでもないが、俺の隣にいるイエシキだった。彼女は強がりでもなく、裂けんばかりに口角を吊り上げ、嬉々とした表情を浮かべていた。

 違う意味で場が凍り付いた。

「やはり肝試しは、こうでなくてはいけませんな!」

「変態か、お前は!」

 不思議だが、この瞬間だけは車外の恐怖が気にならなくなっていた。

「時と場合を考えて言えよ!」

「逆に問うが、今のタイミング以外に適した時と場合があるかい?」

 こんな状況でもこいつは減らず口を……。

「そんなこと、どっちでもいいでしょッ。これから、どうするんですか!」

 鈿女ちゃんが割り込んだことで、ようやく車内全体の空気も変わる。どんよりとした諦めの空気感から、打開策を考える前向きなものへと。

「そうだな。何とか振り切れないか、もう一回試してくるわ」と逆藤先輩もアクセルを踏み込み、隣で望月先輩はスマホを取り出し、過去の事件や事故の情報から解決するヒントがないかを調べ始める。西湖さんと鈿女ちゃんは、手掛かりはないかと恐怖心を押し殺して、窓の外を観察する。

 そして、イエシキはその光景に満足そうに何度も頷く。

「頑張って思考してくれたまえ、諸氏。存分に、脳みそに汗を掻いてくれ」

「お前も、少しは考えろ!」

「え~、僕はいいよー」

「命がかかってんだよ! そんなこと言ってる場合か!」

「大丈夫だって。君が死ぬことは多分ないから」

「いいから、何かいい案を出せよ。得意だろ、こういうの」

 ふざけた態度のイエシキに、さすがに俺の語気にも苛立ちが籠る。

 それを感じてか、ようやくイエシキは「やむなし」と真面目な表情に戻った。

「まったく、君はせっかちだな」

 そう言うと、ポケットから古いポケットラジオを取り出して、耳に当てて目を閉じる。

「な、何してるんですか?」

 突然の奇行に鈿女ちゃんは戸惑うも、俺が静かにと人差し指を立てる。

 これが考え事をする時の彼女の癖であると、俺は知ってる。なんでも、この壊れたアンティークのポケットラジオを耳に当てると、真実とやらが聞こえてくるらしい(俺は音すら聞こえたことはないが)。

 だが、馬鹿にはできない。これまで彼女の案で何度か助かったことがある。

 いつの間にか、全員がイエシキに視線を向けていた(逆藤先輩、あんたは運転しろ)。

 イエシキは目を閉じたまま「あー、そうだね。あー、まぁねー」などと、誰かと電話でもするようなやり取りをした後、「なりほどね」と納得して大きな目を真ん丸に開く。

「何か、思いついたかい?」

 西湖さんが控えめに訊ねた。通常時ならドン引きしているはずの奇行だが、この状況では気にしてはいられない。

「うむ。ここに来る道中、僕は君達にホタル池の怪異の原因が絡新婦であると説明したよね」

 一同の視線を受けながら、イエシキは説明する。

「その理論は正しかったと理解した」

「いや、ホタルですけど」

「いや、めっちゃ幽霊みたいなのいるけど」

 鈿女ちゃんと俺がそれぞれの反論を飛ばすも、イエシキは片手を挙げて制止する。

「まず、見ている物が異なる点だが、恐らくはターゲットの違いからだろう。黙っていたが僕も人影ではなく、無数の光が見えている。つまりは男女で見え方が違う」

 外からは未だに窓を叩かれているが、彼女が話始めると少し止んだような感じがする。気のせいだろうが。

「絡新婦が狙うのは男性が多い。だから、ターゲットは君達だろう。より引き込みやすい姿で現れたわけだ」

 俺達の前に女性の姿で出なかったのは、これまでに魅入られてきた男の被害者の姿を使っているのか、もしくは俺達が非モテの集まりで異性よりも同性がいいと判断したのかは、分からないと言う……。この説明部分、必要か?

「次に僕達が見ている光だが。これはホタルではない」

「え? いやでも」

「江戸時代の鳥山石燕という浮世絵師の描く絡新婦は、糸で繋がっている火を噴く子蜘蛛を操る姿が描かれている。そして、多くの伝承では、体に糸を巻きつけられて水辺に引きずりこまれるという」

 イエシキは窓の外、俺達には見えないが恐らくホタルを指さす。

「この光っているのは、絡新婦が我々に放ってきた糸だよ。そしてその先端の子蜘蛛の光が女にはホタルの、男には別の虚像として見えているのだろう。漁火(いさりび)……いや、むしろチョウチンアンコウの頭の疑似餌みたいなものかな」

 自信たっぷりに解説しているが、肝心なことをまだ言っていない。

「で! どうすりゃ、助かるんだよ!」

 そろそろ余裕がなくなってきた。もはやガードレールは越えて、道なき木々の間を引き摺られている。もう池はすぐそこだ。

「急(せ)いては事を仕損じるよ。江刈内君」

「急(せ)かねば池に落ちるんだよ!」

「分かった、分かった。伝承では、近くの切り株に絡みつく糸を結び付けることで、身代わりをたてて助かった例がある」

「都合よく切り株なんてねぇよ! いや仮に切り株があったとして、そんな暇あるかよ」

「あるじゃないか。いや確かに切り株ではないが、都合のいい身代わりが。しかも、すでに糸が絡みついている」

 フフンっと鼻を鳴らして目をぐるりと回す。

「えー、この車を身代わりにするってことかい?」

「その通りだよ。西湖君。正解した君にはイエシキポイントを贈呈しよう!」

「でも、外は囲まれて……」

「大丈夫大丈夫。君達に見えている人物は、実在しない。こちらを見ているようで、見えてはいないよ」

「おい、イエシキ。根拠あるのかよ?」

「ないよ……でも、この状況下で、他にいい案があるとは思えないね。どうせこのまま引きずり込まれるのなら、賭けてみてもいいのではないかな。少なくとも僕はそろそろ失礼させてもらうよ」

 車内は静まり返っていた。彼女の提案は正直受け入れがたい。うまくいく証拠はどこにもない。しかし、時間が無いのも事実だった。

 車はすでに池の目と鼻の先まで移動している。あとは池の手前の崖を落ちるだけだ。

 その時、車体に大きな振動が。ついに片側のタイヤが地面から落ちたと理解するのに時間はかからない。

 もはや、考える猶予などない。

 誰ともなく、覚悟を決めて動いた……。

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