1章:池の底④

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 目的地・ホタル池は、正直なところ期待外れだった。

 別に怪異が起きてほしいとか、おどろおどろしい場所であれ、と思っていたわけではない。そんな俺ですら、現地について少しガッカリした。

「何か、思ってた感じじゃない」

 池の周りの遊歩道を歩きながら、全員の内心を発起人である逆藤先輩が代表して呟く。

 確かに外灯は少なく薄暗いが、柵の付いた遊歩道がしっかりと整備されており、足元を照らす暖色系のライトも設置されている。深い時間にもなればそのライトも消え、いよいよ不気味な雰囲気も出るのだろうが、俺達が着いたぐらいの時間ではいいムードの道が続くだけだ。

「まぁ、こんなもんですよね。噂なんて」

 すかさず鈿女ちゃんが気を利かせる。最年少なのに、良い子だ。

「でも、確かに昔は結構いわくつきの場所だったんだよ。前に来たことあるけど、その時はもっと雰囲気あったし。かなり変わっちゃったみたいだね」

「ああー。そうなんですね。自分が入学してからはデートスポットの噂ぐらいしか聞いたことなかったんで、デマだと思ってました」

 西湖さんも望月先輩も、興味深そうに辺りを観察している。

 なんだかんだで、夜に心霊スポットへ皆で来るという行程が楽しいのであって、怪異に遭遇するかは二の次なのだ。現地が想像と違っても、それはそれでいい思い出になる。

 かくいう俺も同意見だ。ただ、隣の奴は違う。

「単純にリサーチ不足だね。これなら、近所の公園を散歩した方が怖いまである」

 イエシキの心無い言葉に、前を歩く逆藤先輩は一層沈む。

「そもそも参考にした事故が十年前の物ではね。死亡事故や事件が続く場所ならば、行政が対策をしないはずもない。この計画自体が浅はかと言わざるえないね」

「追い打ちをかけるんじゃないよ! 逆藤さん、泣いてんだろうが!」

 止まない口撃に逆藤先輩のライフはゼロだ。さすがに泣いてはいないが、俺がイエシキを止めずに続けていたら、そのまま入水する勢いで肩を落としている。

「いいだろうよ。心霊スポットに行ったけど、ただただ雰囲気あるデートスポットで場違いだったわ。ガハハ……っていう流れで十分だろ。ってか、そういう流れだったじゃん」

「は?」

「は? じゃねぇよ」

 まさしく怪異でも見たような表情をして食い気味で返してきやがった。

「まるで僕が逆藤君を責めているような物言いはやめてくれよ。ただ事実を述べているだけさ。それにまるで怪異が起こらないような口ぶりだが、僕はそうは思わない」

 今度は俺が「は?」と聞き返す番だ。

「逆藤君は調査こそ甘かったが、チョイスは正しい。僕はそう思うね」

 イエシキはサムズアップで芝居じみたウィンクをしている。

 先頭を歩く逆藤先輩も満更でもない様子で振り返り、照れ隠しのサムズアップで返す。

 声を大にして言いたい。「惑わされるな!」と。

ただ、そう言おうとする前に「あ、ホタルですよ」との鈿女ちゃんの声。

「おお、本当だね。時期が過ぎてものんびり屋なホタルがいるんだね」

 池の奥に目をやるイエシキも感嘆の声を上げるが、俺には見えなかった。他の先輩達にも見えないようで、キョロキョロと見渡している。

「え? どこよ」

「何だい? 見えないのかい? 視力が悪いのか、それとも頭か?」

「お前、一言多いんだよ」

 嫌味に対して尻を蹴り飛ばしてやろうとするも、それを見透かしたようにイエシキは華麗に躱す。彼女の口元が上がる横顔が見える。しかも、鼻歌まで。

「でも、俺も実際見えないけど」

 逆藤先輩も同様に池を凝視するも見つけられていない。

 ほれみろ、見えないのは俺のせいじゃない。

 イエシキはあからさまにため息を吐くと、両手で双眼鏡のようなポーズを作って覗く。

「見える見える。よ~く見える。」

 腹は立つが、傍にいる鈿女ちゃんも「ほらほら、あそこですよ」と指をさしているので本当にいるみたいだ。

 イエシキは手で作った双眼鏡の指を小指から一本ずつ立てていくと、そのまま弾けるような仕草をして一言。

「あー、なるほどね」

 何が分かったのか。そう聞きたかったが、それは叶わない。

 背後の茂みからガサガサっと音を立てて、三つの影がいきなり飛び出してきた。

「「「わーっ!」」」

 影からの奇声にも似た大声に、俺を始め男連中は不覚にも悲鳴を上げ、鈿女ちゃんは半瞬遅れて息を詰まらせたような飛び上がる。

「うわー、ビビったー」

 驚きすぎて池の柵に寄りかかっていると、笑い声が聞こえてくる。

 見れば、そこには俺達と同じぐらいの男性三人が腹を抱えて笑っていた。

 どうやら茂みから飛び出してきたのは彼らのようだ。

「いきなり大きな声を出さないでくださいよ!」

 驚きすぎたせいか、少々怒気の籠った鈿女ちゃんに、三人は「ごめんごめん」と未だ笑っている。

「いやー、ちょっと驚かせようと思ったんだけど、ここまでビビるとは」

 三人のうちの一人が笑いをかみ殺しながら説明する。

 どうやら彼らも俺達と同じ大学の生徒のようだ。目的も同じで、過去の事件を見つけて面白半分に肝試しに来たそう。

「でも、ここってほら。怖いどころか、お洒落スポットって感じだろ? 周辺を探索しながらガッカリしてたら、女連れが来たから、イッチョ驚かせてやろうと、さ」

「驚かせてやろうと、じゃないよ! マジで心臓に悪いよ」

 まだショックから立ち直れない俺に、三人組は再度「ごめんごめん」と気のない謝罪を繰り返す。

 三人の容姿に大した特徴はないが、悪い人間ではなさそうだ。

「俺達も肝試しみたいなもんだけど、その様子だとそっちも成果なし?」

 望月先輩の問いかけに、三人のうちの一人が肩をすくめる。

「マジで怖い場所なら、こんなことしないっしょ」

 それもそうだ。

「あ、でも、もう少し行くとけっこう雰囲気ある場所あるよな」

 思い出したように三人は同意しながら話し出す。

 探索の時に見つけた、とっておきのスポットがあるとか。

「何が起きるってわけでもないけどさ。せっかく肝試しに来たなら、案内してやろうか?」

 気さくな感じの提案に、しばらく考えるが逆藤先輩は首肯する。

「せっかくだしな。ここまで来て、手ぶらでは帰れん! 案内してくれ」

 せめて記事のとっかかりになりそうなことだけでも、得たいらしい。無駄な記者魂だと思う。

 ただ他のメンバーからも異論は上がらないので付いて行こうとした時だった。

「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ!」

 鈿女ちゃんが顔を青くして叫ぶ。

「わ、私はどこにも行きませんよ! 一旦、一旦戻りましょう!」

 そう言って、近くにいた西湖さんや望月先輩の袖を引っ張る。

「急にどうしたの? 怖くなった?」

 先ほどまでノリノリだった鈿女ちゃんの急変ぶりに戸惑いながらも、それでも「いいから、戻りましょう」と繰り返す彼女を放っておくわけにもいかない。

 あまりにも必死な様相に気圧され、俺達は渋々だが三人と別れて来た道を引き返した。

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