1章:池の底③

 運転席には当然、持ち主の逆藤先輩が座り、助手席には三年の望月先輩、二列目には古参OBの西湖(さいこ)さんに新入部員の鈿女(うずめ)ちゃん。そして三列目にイエシキと俺が座る。

 誰が言うでもなく、暗黙の了解でイエシキの隣は俺の席になっていた。

「かなりエンジンが唸ってるけど大丈夫?」

「さすがに乗車定員ギリギリだと重いな。単純にこの車が古いってのもあるけど」

 助手席の望月先輩の心配を受けて逆藤先輩も渋い顔をする。

 国道一五三号線を山方向へと走らせる車内では、逆藤先輩が好きだと言うバンドの曲が流れていた。思い思いの会話を楽しんでいるが、こんなドライブに参加するぐらいのメンバーだ。当然、オカルト好きばかりで、話題も自然とそちらに偏る。

「私、小さい頃から『見える』タイプなんですよね」

 サークルで唯一、女性参加の鈿女ちゃんが、参加理由を聞かれて答えた。

 唐突の爆弾発言に車内に謎のどよめきが起こる。

 霊感のある人間なんて、そうそう出会えるものではない。探せばいるのかもしれないが、俺は会ったことはない。そんな人間は本やテレビ、SNSの中だけの存在だと思っている。自分が不可解な現象に遭遇し、イエシキという不思議ちゃんに付きまとわれようと、俺はそう思っている。

「それは興味深いねぇ。鈿女君。もっと話を聞かせてくれよ」

 当然、イエシキの好奇心センサーに引っかかり、後ろの座席から身を乗り出すようにして鈿女ちゃんの鼻先まで顔を近づける。

 なんでも鈿女ちゃんは物心ついた頃から、幽霊などの存在を感じ取れる『見える』子だったとか。幼稚園か小学校に上がったばかりの頃が力のピークで、神社で神様らしき存在に遊んでもらった経験があるらしい。それからは年齢を重ねる程に力は弱くなり、今ではほとんど見えなくなったのだそう。

「見えてた頃に怖い経験をしてこなかったので、オカルトもアレルギーなく楽しめるんですよ。今ではほぼ見えなくなったので、逆に怖いもの見たさが勝っちゃうって言うか」

 アハハと笑う鈿女ちゃんに、イエシキは「分かる分かる」と赤べこのような仕草をする。

「だから今回、逆藤先輩からの誘いを聞いて、ちょっと期待してるんですよ。なんか、普通の心霊スポットっぽくないじゃないですか!」

 可愛らしい顔をしている鈿女ちゃんだが、やはり一皮むけばオカルト好きの狂人だ。そして、賛同する同乗者たちも同様。この中でまともなのは、俺だけかもしれない。

 立候補してきたわけではないので、当然と言えば当然。逆に俺が場違いなのだろう。あれだけ異彩を放った登場をしたイエシキですら、すでに俺より馴染んでいる。

 鈿女ちゃんの期待の声に気を良くしたのか、逆藤先輩がホタル池の情報を再度説明する。俺に話していた時よりも、不可解な現象が起こっているっぽく話している。

「幽霊の仕業なんですかね、それとも妖怪とか?」と誰かが聞く。

 車や人を池に引き寄せる『何か』はすでにいる前提で話をされていた。逆藤先輩のホタルの化け物説に車内爆笑。各々で考察を言い合う。

 事故や自殺した死者達が引き寄せているのではないか。いやいや磁場に狂いがあり、それが人間に悪い影響を。神様による神隠し。実は宇宙人が……などなど。

「甘いなぁ。諸氏よ。水辺に棲んで人間を引き込むんだ。絡新婦(じょろうぐも)だよ」

 ここで前の座席にしがみ付く姿勢のイエシキが、ニンマリ笑って自分の説を話す。

「ジョロウグモって、黒と黄色の大きなクモのことですか?」

 鈿女ちゃんが顔を顰める。

「いやいや。節足動物のことではなく妖怪だよ。美しい女性に化けるなんてことで、その名前らしいよ」

「クモなのに水に関係するんですか?」

 率直な疑問には、窓側に座る西湖さんが口を出す。

「水辺の伝承ばかりではないが、なぜか多いんだ。水辺に来た人物に糸を絡みつけて引き摺りこもうとするなんて話は、日本各地にある。特に伊豆の常連の滝や仙台の賢淵は有名だね」

 西湖さんは俺よりも約十歳年上の大先輩の社会人で、あまり深い人物像までは分からないが、かなり博識な人なのは話していて何となく感じる。だいたいの話題には付いてこれるし、その全てにおいて詣も深い。ただ卒業して十年経っても、サークルに顔を出している(頻度は多くないが)のでかなりの変人なのは確かだ。

「この県でも絡新婦の伝承はあったはずだけど、さすがに違うんじゃないかな」

「詳しいねぇ。西湖君。しかし、絡新婦さ。賭けてみるかい?」

 あまりにも馴れ馴れしすぎる物言いに、さすが「『さん』だろ」と俺が訂正するも、当の西湖さんは「いいよいいよ」とまんざらでもない。

 うちのサークルは極端に女性メンバーが少ないため、全体的に女性に甘い。俺達には礼儀に厳しい西湖さんも、異性の後輩にはデレデレだ。

 まぁ、本人がいいなら、こちらも無理矢理止めるつもりもないけど。

「どうしてそんなに自信あるのよ? まだ、行ってすらないのに」

「人間は存在保持のため、古くから未知に対して、名前を付けることでやり過ごしてきた。起きた現象に対して、強く印象に残る類似した『名前』を当て嵌める傾向がある」

「つまり、君が絡新婦だと強くここで言うことで、何かが起きた時に多少の差異はあれど、『あれは絡新婦のせいだ。だって水辺で起きたし、車内であれだけ言われたんだから間違いない』と僕らは無意識に思い込んでしまう。的な?」

「その通り!」

「それは屁理屈だろ」

 静観するつもりだったが思わず口から漏れてしまった。イエシキは「イ」とも「ヒ」とも取れない発音の、独特の笑い方をする。

「原因が何にしても、軽くネットで調べた限り、最近ではホタル池で事件や事故は起きてないみたいだな。ホントに怪奇スポットなのか?」

 助手席の望月先輩は自分のスマホに視線を落としながら冷ややかに呟く。

 それに対して運転する逆藤先輩は、突かれたくないことを言われたと唸る。俺の位置からだと表情を見ることはできないが、恐らくは顔のパーツを中心に集めたような顰め面をしていることだろう。

「えぇ~。デマなんですか?」と鈿女ちゃんは言うも、さほど落胆する様子はない。

「いや、俺の事前調査ではちゃんと事故も起きてるから!」

「その事故って、いつだよ」

「十年ぐらい前だったかな~」

「古っ!」

 当たりの強い望月先輩の指摘に、逆藤先輩の語気も弱くなっている。

 可哀そうにも見えるが、これが二人のいつもの掛け合いでもあるので、さほど気にする者はいない。

 俺としては、もっと言って逆藤先輩の心を折ってほしい。そしてこのまま引き返してほしい。

「そうなると、怪異が起こるのは期待薄なんですかね」

「大丈夫だって! そのために宿禰ちゃんを連れてきたんだから!」

 誰かの諦めにも近い呟きを聞いて、逆藤先輩はやぶれかぶれに声を上げた。

「え! どういうことですか?」と鈿女ちゃんの好奇心が爆上がりし、声のトーンが上がる。他のメンバーも事情を知りたいと視線を向けてくる。

 俺はアルカニックスマイルでやり過ごそうと試みるも、もちろん内心は穏やかではない。

 逆藤先輩には口止めをしているので、これ以上余計なことを言わないだろうが、問題は隣に座るイエシキだ。

 頼むから口を開くな、と祈ってはみたが、当然そんな望みを聞き入れてくれる人間ではない。

「そうだよ。江刈内君がいるのだから、一〇〇%怪異は起こるよ」

 今すぐこいつの口に物を詰めてやりたい。

「宿禰先輩も、もしかして霊感があったりするんですか?」

「いや、俺はそんなのは……」

「彼に何か特別な力は無いよ。ただね」

 俺の言葉を遮るように、イエシキがしゃしゃり出る。

「ただ彼は、『奴ら』に好かれているんだ」

「奴らって?」

 西湖さんが踏んだ地雷に、俺は内心辟易する。

見てみろ。大きな目を細めてニンマリする、あの嬉しそうなイエシキの顔を。

「『奴ら』は『奴ら』さ。人間の知覚を凌駕する存在だよ」

「は、はあ」

 俺は何度も聞かされているが、初めて聞けば当然のごとく戸惑うだろう。西湖さんも他のメンバーも目が点になってるが、イエシキは得意げな顔のまま止まらない。

「遥かなる高次存在、もしくはその残滓が見せるイマジナリー。もっぱら巷を騒がす怪談や都市伝説、幽霊に妖怪、UMAに宇宙人、天使、悪魔、あるいは神。呼び方なんて何だっていい。摩訶不思議な、不可解な事象のいくつかの正体は、『奴ら』の片鱗を認識して起こるバグ。人間の脳みその限界」

「あー、えーっと。つまり、どうゆうこと?」

 バックミラーを確認しつつ尋ねる逆藤先輩の言葉は、俺を除く同乗者の満場一致の問いだったろう。視線は自ずとイエシキに向けられるが、彼女はそれを満足そうに一身に受けつつ、鋭すぎる八重歯を見せて「イヒッ」と笑うだけだった。

 ここまで引っ張っておいて答えんのかい!

 イエシキはそのまま興味を失ったように顔を車窓へと向ける。

 この車内の空気、どうする気だ? お前が責任取れよ。

 そんな発言こそないが、皆のそれを含んだ視線が俺に向けられている。

 ここは俺も右に倣えで、気付かないふりをしながら車窓へと顔を向けてやり過ごすしかない。

 早くホタル池に着け!

 あれほど嫌だった目的地だが、この時ばかりは切に願った。

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