1章:池の底②

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 その日の講義が済み、文芸サークルの活動も終わった午後八時頃。

 いつもなら部員全員で学食に行き夕食を取る所だが、俺は逆藤先輩と大学の駐車場にいた。

 もちろん、ホタル池ツアーのためだ。

 うちの大学は森と言うほどではないが周囲を木々に覆われる程度には自然豊かな田舎に建てられている。民家などはほぼなく、田んぼや溜め池、学生向けのアパートが多く見られる。雨が降ればカエルの合唱が聞こえるし、夜道を運転していると猫が横切ったかと思えばタヌキだったりする。

 そんな場所のためか、外灯などは必要最低限しかない。学校の駐車場にも関わらず、夜になるとほぼ明かりのない真っ暗な場所だ。遠くの外灯よりも、空の月の方がまだ明るいまである。

 そんな駐車場には俺達の他に三人。全員、サークルメンバーで、つい先ほど活動中に誘われたにも関わらず好奇心から参加する猛者達である。

 その五人は、逆藤先輩のワンボックスカーの前で最後の参加者を待っていた。

「なんか、すみません。あいつ、時間とかにルーズな奴で」

 俺は何回目か忘れたが、他のメンバーに頭を下げる。

 みんなは「急いでるわけでもないから、全然気にしないで」と優しい言葉をくれるが、自分の知り合いが迷惑をかけている手前、どうにも居たたまれない。

 それからしばらく待っていると、遠くの車道に設置された外灯の下を呑気に歩く影が見えた。

 鮮明には見えないが、この時間にこちらに歩く人物が他にいるとも思えない。

 間違いない。イエシキだ。

「おい、歩くな、走れ!」

 ガラにもなく大きな声を出すが、当の本人は手を挙げて返事をするだけ。一切慌てることなくペースを変えずに歩いていた。

 何を言っても無駄なのは、分かっている。他人の指摘など一切意に介すことがない。それがイエシキという人間だ。

 ようやく俺らの元までたどり着いたイエシキは、悪びれる様子もなく挨拶した。

「どうもどうも、こんばんは。諸氏(しょし)ー。待たせてしまったようで、悪かったね」

 自分がもう少し暴力的な人間だったら、ニンマリと笑うその顔面に拳をぶつけてる所だが、残念ながらそんな物騒な生き方はしてない。それに、さすがに女性は殴れない。

 そう、女だ。

 ホットパンツにやや大きめなキャラクターシャツを着る目前の女こそ、俺の知り合いである己己己己 己(いえしき・つちの)であった。

 強いクセ毛を肩口で短く切っており、ツンと筋の通った鼻に小さめの口、特徴的な大きな目を持つ。美人で通りそうな顔つきだが、痩せており不健康そうなのが残念なポイントだ。体付きも細身と言うよりも痩せすぎで、服装も相まって首から下の体格だけだと性別は区別できない。また一七十オーバーの長身のせいで、余計に細く見えてしまう。

「やー、江刈内(えかりない)君! 今夜は月が綺麗だね。君から連絡がきたから、借りてた漫画の返却の督促かと思ったよ」

 イエシキは、最初の『江』にアクセントをつける独特なイントネーションで俺を呼んでくる。

「ただ、話を聞けば、なかなか興味深い。『奴ら』が絡みそうな案件を無視することもできないからねぇ」

 鋭すぎる八重歯を見せてニンマリ笑うと、視線を俺から他のメンバーに移して勝手に自己紹介を始める。

「江刈内君から聞いているかもしれないが、僕はイエシキ・ツチノ。彼とは同じゼミに所属していて、懇意にさせてもらっている」

「どもども」と無遠慮に握手をして回るイエシキに、他のメンバーは怪訝な顔をするものの自己紹介をしてくれている。寛大な心に感謝だ。

 何はともあれ、全員集まったことで逆藤先輩の車に乗り込むと、駐車場を出発した。



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