第10話 冒険者


 極限の集中は、雑念を消すことから始まる。

 マオが隊員たちを避難させていることには気づいていた。なら自分は彼らの命を考えなくてもいい。まずは第三者の存在を脳内から消去する。認識するべきは九頭の大蛇のみ。


 次は戦闘に関与しない環境を忘れる。空、雲、森、崖……こんなものは見なくてもいい。視界を戦場のみに絞り、代わりに解像度を上げる。


 色は要らない。――視界が白黒になる。

 疲労も要らない。――肉体の重さが消える。

 恐怖心も要らない。――思考が常時鮮明になる。


 言葉も要らない。

 ユーリは、脇目も振らず大蛇へ向かって駆けた。


 九つの首のうち一つの首が吠え、迫った。

 唸り声と共に大蛇の顎が接近する。獰猛な眼差しを向けてくる大蛇に対し、ユーリは淡々と上空に跳び、その頭部に足を載せた。着地と同時に体重を乗せた剣で頭部を突き刺し、更にそのまま長い首を走って肉を裂き続ける。


 大蛇が悲鳴を上げ、その巨体をうねらせた。

 別の首がユーリを吹き飛ばそうと近づいてくる。


 避けられない。

 なら、斬撃を放つ。

 ユーリは剣から三日月状の衝撃波を放った。


 放ち、放ち、放ち、放ち続け――――

 一撃目の斬撃を二撃目でねじ曲げ、二撃目の斬撃を三撃目でねじ曲げ……それを延々と繰り返し、斬撃のベクトルをその場に調整し続ける神業。


 斬撃を重ねた盾。

 ユーリはこれを、他の誰かが為し得た光景を見たことがない。


 大蛇の頭が斬撃の盾に衝突し、血飛沫が舞った。

 浅い。並の魔物なら触れるだけでバラバラになるはずだが、大蛇に対しては薄皮一枚しか切り裂けていなかった。


 面食らった大蛇は一度だけ首を後退させたが、すぐに突進してくる。

 恐怖を消した今、冷静な思考が乱されることはない。まだ空中に残っている斬撃の盾に向かって、ユーリは更に一発の斬撃を放った。


 ――散れ。


 盾が瓦解し、無数の斬撃が四方八方へ散った。

 花弁の如く広がった斬撃。その狙いは目眩ましだ。斬撃の閃光に紛れ、ユーリは大蛇の首から飛び降り、砂浜に着地する。


「ユーリ!!」


 音が聞こえた。

 大蛇しか見ていなかった視界を一人分だけ拡張する。

 ユーリと大蛇しかいなかった白黒の世界に、マオが現れた。


 続いて、消していた声を取り戻す。

 仲間がいるなら、連携のためにも言葉が必要だ。


「マオ、皆は?」


「全員避難させたのじゃ!」


 流石、迅速な行動だ。


「くはっ!! その戦いぶり、相変わらずじゃのう! スイッチを入れた時のお主は勇者というより剣の鬼じゃ!!」


「実際、仲間はそう呼んでたよ」


 そしてその呼び名が、吟遊詩人によって語り継がれていることをユーリはこの十年間で知っていた。


 光の英雄。魔を祓う勇者。

 しかし剣を握れば、その姿は鬼と化す。

 斬ることだけを考える鬼。

 戦うことだけを考える鬼。

 光を血に染め、魔を屠るその姿は――まさしく剣鬼なり。


 ふざけた詩だった。実際のところ、ユーリが編み出した極度の集中は、女神の声を無視するために身につけたようなものだ。あの声が鬱陶しくて、余計な情報を削ぎ落としたいと考えて、その末に極限の集中力を手に入れた。


「しかし、やつも大概な化け物のようじゃのう……ッ!!」


 マオが大蛇を睨んで言う。

 同感だ。冷や汗を掻くマオの隣で、ユーリも大蛇を見据えた。


「あいつ、どのくらい強いと思う?」


「そうじゃな……全盛期の妾たちの、十倍くらいは強いのじゃ」


「マジかよ」


 頭の片隅に置いていた、逃げるという選択肢が存在感を増した。

 冒険はまだ始まったばかり。こんな道半ばで死ぬのは、正直言って無念が過ぎる。

 それに、これは推測だが……大蛇から逃げるだけなら不可能ではない。


「ユーリ、逃げるか?」


 マオも似たような結論に達したらしい。


「お主も気づいておると思うが、あの大蛇は海中から現れた。ということは、陸棲ではない可能性が高い。森の方へ逃げれば助かるかもしれんぞ」


 もう一度ユーリが時間を稼ぎ、その間にマオが隊員たちを更に森の方へと投げ飛ばして避難させる。それが終わったら最後に自分たちも逃げる。そういう計画だろう。

 だが――。


「……駄目だ」


 ユーリは森の方を一瞥した。


「森から魔物の気配がする。大蛇が狙っている獲物……つまり俺たちの横取りを狙っているんだろう。非戦闘員を森に避難させたらすぐに襲われるぞ」


 ユーリとマオが先導して森に入れば、恐らく魔物を撃退することはできる。だがそのためには一時的に大蛇から目を逸らさねばならない。その隙に他の者たちは大蛇に喰われてしまうだろう。


「……腹括んねぇとな」


 どうにかして、大蛇を退けるしかない。

 全員が助かる道はそれだけだ。


「戦うのか?」


「ああ」


「……妾たちだけなら、逃げられるぞ」


 マオは残酷な提案を口にした。

 そんなマオを、ユーリは「優しいな」と思う。


 死の間際に後悔するべきではない。その可能性があったのかと、手遅れになってから気づくべきではない。そう思ったからこそ、マオは嫌われ役を買ってでも最悪で最適な選択肢を提示している。


「マオ。俺が死ぬ前に言ったこと、覚えてるか?」


 首を傾げるマオに、ユーリは続けた。


「俺はな、未知の世界を見たかったんだ。色んなところを旅して、色んな景色を見て……色んな人と出会いたかった」


 大事なのは三つ目。

 ユーリはまだ冒険を始めていない。心躍るような景色も見ていない。

 だが、人との出会いだけは…………。


「第八遠征隊はさ、俺が自ら望んで出会った人たちなんだ。……勇者だった時とは違う。今回は、俺が自分で選んだ仲間たちなんだ」


 既に願いは一つ叶っている。

 拳を握り締め、ユーリはそれを改めて実感した。


「だから、俺はあいつらを大事にしたい。なにせ、これから一緒に冒険するかもしれない奴らだからな」


 死なせるわけにはいかない。

 彼らを見捨てる選択肢なんて、最初からユーリの中には存在しなかった。


「しょーがないのぉ」


 マオは溜息交じりに言う。


「ま、妾のスローライフにも、人手は嫌というほど必要じゃからな」


 互いに不敵な笑みを浮かべ、大蛇を睨む。

 それ以上の会話は不要だった。

 ユーリは力強く地面を蹴り、弾けるように大蛇のもとへ向かう。


 大蛇の首が次々と迫った。一つ目の顎を飛び越え、二つ目の突進を紙一重で躱し、徐々に大蛇の根元へと近づく。


(……近づいたところで、どうしようもねぇな)


 ビギナーズ・ラックは終了した。先程の攻防で大蛇がユーリの斬撃に怯んだのは、あれが初見の応酬だからに過ぎない。大蛇は既に、ユーリの攻撃では致命傷を負わないと確信している。こうなった以上、大蛇の動きを止めることは困難だ。

 それでも、なんとかするしかない。


【――査――を始め――――】


 頭の中にノイズが走った。

 無視する。今はそれどころではない。


 正面から大蛇の顔が肉薄した。先程よりも速い。避けきれるか――と焦燥が湧いた刹那、大蛇の顔面にマオの放った砲弾が直撃した。大蛇の勢いが止まることはないが、巻き上がった砂塵がいい目眩ましとなり、その隙に真横へ飛び退く。


【資――審査――――ます――】


 立て続けにノイズが聞こえた。

 無視する。……ひょっとするとこれは、死の間際に聞こえる幻聴かもしれない。


 マオが次々と地面から槍を放ったが、いずれも大蛇に掠り傷を負わせるのが精一杯だった。ユーリも渾身の膂力を込めて剣を振るが、弾かれる。――硬い。表皮ではなく筋肉で弾かれたような手応え。肉質の柔らかい部位が限られている。


 それでも攻める。攻め続ける。

 たとえ、掠り傷しかつけられなかったとしても――。

 少しでも仲間が助かる可能性があるなら、戦い続ける――。








【資格審査を始めます】












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