第9話 執念


「あれは……やばいな」


 遠征隊員たちが破壊された船を見て絶望する中、ユーリは九頭の大蛇から目を離せずにいた。


 船なんてどうでもよくなるくらい――やばい。

 久々の感覚だった。全身に鳥肌が立ち、本能が理性を押さえ込んで「逃げろ」と訴える。脳内の警鐘は鳴りっぱなしで、いっそ目を閉じて全てが過ぎ去るまで思考を放棄したい気分に駆られた。


 船を喰って満足してくれるなら重畳。

 だが九頭の大蛇は、戸惑う人間たちを確かに見据えていた。


 戦闘になる。

 これは、全員で立ち向かおうなんて言っている場合ではない。


「――俺が時間を稼ぐ!」


 ユーリの叫びが海岸に響いた。

 遠征隊員たちは困惑していた。だが、有無を言わせる気はない。


「お前たちは逃げろ! 足手纏いだ――ッ!」




 ◆




 第八遠征隊のユーリは顔が広かった。

 ユーリは僅か五歳の頃から虎視眈々と遠征隊への参加を狙っており、その頃から港町にある遠征隊本部に毎日顔を出していたほどだ。当時は第六遠征隊が旅立った直後で、次の第七遠征隊の募集を見越して多くの猛者たちが集まっていた。彼らを中心に、ユーリという少年は無自覚に名を広めていった。


 特に、後に第七遠征隊の隊長となる男はユーリのことを気に入り、しばらく面倒を見た。食事や住処の提供だけでなく、剣の指南なども施したくらいだ。だがその寵愛も不思議ではなかった。ユーリの新大陸に対する執念は、誰がどう見ても本物で、恐ろしさすら覚えるほどぎらついていた。


 結局、ユーリは第七遠征隊には入らなかったが、ユーリの噂は風に吹かれて霧散することなく港町に漂い続け、次の入隊希望者たちにも受け継がれていった。


 後に第八遠征隊――つまりユーリの仲間になる者たちも、まずはその噂からユーリのことを知った。


 曰く、五歳の頃から新大陸を目指している。

 曰く、その執念と腕は凄まじい。

 曰く、冒険馬鹿。


 第八遠征隊に入隊するべく集まった者たちは、その噂を聞いて驚いた。まだ募集が始まったばかりだと言うのに、既にを貰っている人間がいる。


 嫉妬する者もいた。ズルいと苛立つ者もいた。

 だがその全員が、ユーリと邂逅した直後に考えを改めた。


 ユーリは本物だった。

 実力も、執念も、そして多くの者たちが認めたがる人柄も。


 だから皆、知っている。

 彼は確かに冒険馬鹿で、ちょっと危なっかしいところもあるけれど――。

 誰よりも前向きで、誰よりも意志が強く。

 決して――軽率に人を見下すことはない。


「ユーリさん!?」


 シスターのミルエが叫ぶ。

 足手纏いだと告げられ、瞬時にそれはだと全員が気づいた。

 だがそれは同時に、船を破壊した大蛇の恐ろしさと向き合うこととなる。


 ――勝てない。


 全身から汗を流すユーリを見て、ミルエは悟った。あの大蛇は倒せない。

 どうすればいい? 元々自分は戦闘員ではない。治療しかできないこの身では、精々、囮になることくらいしか――。


 瞬間、ミルエの身体が巨大な砂の手に抱えられた。

 視界の片隅で、マオが杖をこちらに向けていることに気づく。マオが杖を横に振るうと、ミルエを包む砂の手が振りかぶった。……遠くに投げ飛ばそうとしている? 避難させるために?


「ま、待ってください! ユーリさんだけでは――っ!?」


「黙って従うのじゃ」


 マオの生み出した砂の手が、遠征隊員たちを次々と遠くに投げ飛ばしていた。

 少しでも、ユーリと大蛇の戦いから遠ざけるために。


「お主、女神教会のシスターとやらなら、祝福に詳しいのじゃろう? なら分かるはずじゃ。あの男の力はそう大層なものではない。ただ斬撃を出すというだけの――」


「そうです! 彼の祝福は決して強力なものでもないし、特別なものでもありません! あ、いえ、祝福はそれ自体が尊いものですから、貴賤をつけるべきではないのですが……っ!!」


「……お主、意外と余裕じゃのう」


 マオの表情から少しだけ力が抜ける。


「話は最後まで聞くものじゃ」


 マオは、剣を握るユーリを見つめながら言った。


「確かに斬撃の祝福は、珍しくもないし強力なものとも言い難い。……じゃが、かつてあの男は、ただそれだけの力で妾の喉元まで迫った」


 マオがユーリを見る目は異質だった。

 絶対的な信頼。何か、力強い絆が二人を結んでいることは明白だった。


「案ずるな、あの男は強い。――お主らが思っているより遥かにな」



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