第5話 船上の武闘会②


「行きます」


 先手はイヴンに譲った。

 木剣を握るイヴンが、力強くその腕を振り下ろす。レイドと違って大柄で、膂力も充分であるその一撃は、マトモに受け止めれば膝が折れるほどの衝撃であることが察せられた。


 なので、当然避ける。

 予想してはいたがレイドよりも数段強い。となれば今度はこちらも攻める。攻撃は最大の防御とはよく言ったもので、こちらが攻めに徹し続けている限り、向こうは守りを優先する。


「舐めていたわけではありませんが……っ」


 打ち合いの最中、イヴンが必死の形相で告げる。


「遠征隊はやはり、屈強な者が多いですね……ッ!!」


「まあ、自ら死地に向かう馬鹿どもだからな……ッ!!」


 剣戟が喝采を呼んだ。興奮するギャラリーを背に、ユーリとイヴンは剣を打ち合う。

 剣術は得意だ。ほぼそれだけで魔王の喉元に迫ったという自負がある。前世では幾人もの師範に教えを乞い、血反吐を吐くような思いで修行した。無論これも女神の指示だったわけだが、腕のよい師を紹介してもらったことに関しては今となっては恩に感じている。


 何せ、前世で鍛えた剣はこうして今世でも活きている。

 今に見ていろ女神。俺を強くしたことを、後悔させてやる――。


「――仕方ありませんね」


 打ち合いの最中、イヴンが静かに呟いた。

 横薙ぎの一閃が迫ったので受け流す。流れるように攻めに転じるつもりだったが、イヴンは間合いの外まで距離を取っていた。


 イヴンが、空いた左手を前に突き出す。


 ――来る。


 この距離での構え。

 木剣の投擲ではない。真剣と違って木剣には重さがなく、刃も潰れているため威力が出ない。よって武器を手放すデメリットの方が大きい。そのくらいは彼ほどの騎士なら理解しているだろう。


 ゆえに放たれるのは、予測の範疇にはない未知の一撃。

 イヴンの掌から――迸る雷の槍が放たれた。


 雷光が走る。

 目にも留まらぬ稲妻は、確実にユーリの胸を貫くはずだったが――。


 ユーリはこれを、紙一重で避けた。

 その目が見ているのは、イヴンの瞳。白銀の軽装鎧を纏う騎士の目線から、槍の軌道を見極めた。


 目で追わせるために、僅かだが左右にステップを踏んでいたのだ。

 レイドと試合した時に、ユーリはその剣を悉く避けたり受け流したりしていた。だからイヴンはユーリの敏捷性を警戒し、恐らくいつも以上に視力を頼り、そしてそれが徒となった。


「まさか……今のを、避けるとは……」


「悪いね、これでも場数を踏んでるんだ」


 魔王軍と戦ってきた経験は伊達ではない。

 戦いの経験値なら、この船の中で最も大きいという自負がある。


「いい祝福だな。名前は?」


「……雷槍らいそうの祝福。文字通り、雷の槍を放つ力です。初見で避けられたのは貴方が初めてですよ」


 そんな危険な力を、こんなお祭り騒ぎで使わないでほしい。

 期待の表れと受け取っておこう。ユーリ相手なら、致命傷にはならないとイヴンは判断したわけだ。


 イヴンは再び剣を構える。

 よかった、なあなあの空気になって試合が中止にならなくて。

 まだ、試したいことがある。


「次はこっちの番だ。……ちゃんと凌げよ」


 イヴンの懐に潜り込んだユーリが、鋭く左切上げを放つ。

 受け止められたが、強引に木剣を最後まで振るった。これまでと違い膂力に頼った型に変えたことで、イヴンが少なからず動揺する。


 心身ともに落ち着く時間が必要だと判断したのか、イヴンは素早く後退する。


 ――そこ。


 飛び退いたイヴンが、その足を床につけるよりも早く――。

 ユーリが木剣を振るうと、剣の軌跡が光となってイヴンへ放たれた。


「な――ッ!?」


「持っているのは、お前だけじゃないさ」


 空中で身動きできないイヴンは、木剣でガードを試みる。

 だが放たれた光は木剣をへし折り、イヴンを吹き飛ばした。


 足元に転がった木剣の破片を見て、ユーリは構えを解く。

 吹き飛んだ先で、イヴンが両手を挙げていた。降参のようだ。

 ユーリはイヴンに近づき、手を差し伸べて身体を起こしてやる。


「今のは……斬撃の祝福ですか」


「ああ」


 祝福。それは、女神から与えられる能力のこと。

 誰しもが持つ力ではない。祝福を持つ者は女神の寵愛を受けたとされ、特別視される。特に女神を信奉する女神教会は、祝福持ちを積極的にスカウトしていた。


(……問題なく使えるな。出力が落ちてるのは武器の違いだろうし)


 斬撃の祝福は、使用する武器の性能によって出力も変わる。

 全盛期と比べて今の斬撃は威力が頼りなかったが、恐らくそれは武器の差だ。勇者だった頃は聖剣と呼ばれる特殊な剣を使っていた。


 斬撃の祝福は勇者だった頃に女神から授かった力だが、今でも使うことができる。

 しかしそれは不自然なことだった。女神の干渉は肉体に紐付いていたから、生まれ変わりによって断たれたはずだ。なら、女神から与えられたこの祝福という力も消えるはずではないだろうか?


 疑う余地が出てきた。

 祝福は、女神の寵愛とされているが……違うのか?


「……俄には信じがたい」


 考察するユーリの前で、イヴンがボソリと呟いた。


「信じがたいですが、あの動き……ユーリ殿は私よりも遥かに戦闘経験が豊富なようだ。貴方は一体、どれほどの修羅場を……」


 場数を踏んでいるという試合中のユーリの発言を、イブンは噛み締めていた。

 だが答えは沈黙とさせてもらう。

 嫌というほど戦ってきたさ――前世でな。

 心の中でだけ答えたユーリは、イヴンの腕が赤く腫れていることに気づいた。


「怪我させて悪かったな。うちの隊にいる治癒師に治してもらおう。……ミルエ、来てくれ!」


「は、はい!!」


 ユーリが名を呼ぶと、修道服を着た金髪の少女が小走りでやって来た。


「治療しますね」


 金髪の少女ミルエが、イヴンの腫れた腕にそっと触れる。

 ミルエの細腕が淡い燐光を灯した。すると、イヴンの腫れた腕からみるみる赤みが消えていく。


「これは、治癒の祝福ですか。ということは……」


「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。女神教会、シスターのミルエです。今は第八遠征隊に参加しています」


 治療が完了したところで、ミルエは恭しく頭を下げた。

 女神教会は祝福持ちを積極的にスカウトしているが、特に治癒の祝福を持つ者には好待遇を用意している。その理由は、教会の最大の資金源が施療院だからだ。教会の施療院が怪我人の駆け込み寺となっている現代において、治癒の祝福持ち=女神教会の関係者という式は大体の場合で成立した。


「謝らなくてもいいんじゃないか? イヴンたちは今まで船室に籠もっていたわけだし」


「いいいい、いえ!! 巡光騎士団の方々は、私たちシスターにとっては上司みたいなものですから! そそ、そういうわけには……!!」


 好待遇を受ける治癒の祝福持ちだが、巡光騎士団は更に地位が高い。

 騎士団にも下級騎士、中級騎士、上級騎士などの階級があるそうだが、下級騎士でもシスターと比べたら立場は上だ。ミルエが萎縮するのも無理はなかった。


「ユーリ殿の言う通り、私に非があります。こうして同じ船に乗っているのですから、本来ならもっと前から顔を出すべきでした」


「引き籠もってた理由は、雇い主の意向か?」


「……そうですね。普段はレイド様ではなく、その姉君であるリアナ様の指示に従っています」


 この船に乗っているクーレンベルツ家の人間は二人。

 長男レイドと、長女リアナだ。そしてその二人を目の前の騎士イヴンが護衛している。


 彼らはこれまでの航海中、滅多に表に顔を出さなかった。食事すら乗組員に運ばせて自室で食べていたくらいである。蝶よ花よと育てられた貴族だから、上等な部屋から一歩も出たくないのだろうなんて遠征隊の者たちは噂していたが、どうやら長女リアナが決めた方針だったらしい。


 推測だが、上陸前の遠征隊員たちの盛り上がりに、レイド辺りが感化されて外に出たがったのだろう。それで、イヴンもついてきたというわけだ。


「次女はこの船に乗ってないんだな」


「オーキス様ですか? あの方は来ていませんが……お知り合いですか?」


「いや、別に」


 降って湧いた問いを口にすると、詮索されそうな空気になったので適当に誤魔化した。その話を深掘りされるのは少々困る。


「というか、ユーリさん。上陸前に怪我するような試合をしないでください」


「いや、悪い悪い。イヴンが思ったより強くてな」


「騎士様なのですから当たり前です!! 勝てる方がおかしいんです!!」


 じとーっとした目で睨まれたため、ユーリは謝罪したが、それでもミルエは憤慨していた。

 その時、誰かがユーリの服の裾を引っ張る。


「ん?」


 振り返ると、焦げ茶色の外套を纏った小柄な人間が、こちらを見ていた。

 フードの内側にある暗闇には、薄らと少女の顔が見える。


「もしかして、戦いたいのか?」


 少女は無言で頷いた。

 今の試合を観て、戦いたいと思うのは……自分で言うのもなんだが、勇気がある。


 ところで彼女は誰だろうか?

 遠征隊の人間でないことは確かだが……。


(……そう言えば、遠征隊と公爵家の他に、もう一人この船に乗ってるんだったか。自費で新大陸に渡ろうとする平民・・。……物好きな金持ちもいたもんだ)


 新大陸の調査および開拓は、国が主導するプロジェクトである。国費を注ぎ込んで造られた頑丈な帆船は、国が集めた遠征隊のために用意されたものであり、遠征隊以外の者が乗船するには多額の運賃を支払わねばならない。


 ユーリには運賃の支払いが難しかった。だから遠征隊に入ることにした。

 しかし中には多額の運賃を払うことができる者もいる。

 恐らくこの少女も、その一人だが――。


「……じゃあ、やるか」


 コクコク、と少女は首を縦に振った。

 何故かよく分からないが、やる気満々らしい。


「おい、ユーリ! 手加減してやれよ!」


「幼女の虐待は犯罪だぜ!!」


 幼女じゃなくても虐待は犯罪である。喧しいギャラリーは無視した。

 しかし彼女の分の木剣は先程の試合で折れてしまった。代わりの武器はないか探していると、少女が外套の内側から何かを取り出す。


 それは、一振りの杖だった。

 幼女は静かに杖を振る。

 刹那――。


「な――ッ!?」


 足元の床から、槍が突き出た。

 棘だらけの槍。少しでも掠れば肉体が抉れ、消耗を余儀なくされる憎たらしい攻撃だ。ユーリは反射で飛び退いて避ける。


 直後、どこからともなく現れた巨大な槌が、眼前に迫った。

 風圧だけでも吹き飛びそうだ。――これは受け流せない。瞬時に真上へ跳躍する。


 眼下で幼女が、こちらに杖を向けていた。

 その杖から、人間の頭部ほどある砲弾が放たれる。

 宙で身を翻したユーリは、斬撃を放って砲弾を相殺した。


 爆風が弾け、船の帆が激しくはためいた。

 目にも留まらぬ攻防に誰もが声を失う中、ユーリは目を見開く。


「お前、その力……っ」


「……やっと気づいたか」


 吹き抜けた潮風が煙を散らし、少女のフードを捲った。

 腰まで伸ばした桃色のくせっ毛。宝石の如く美しい琥珀色の瞳。幼すぎる体躯。

 そして何より、どこからともなく兵器を生み出すその能力――。


「久しぶりじゃのう、勇者」


「魔王……っ!!」


 前世の宿敵。

 今世の相棒が、そこにいた。

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