後編
ボクは現実に引き戻されてゆっくりと目を開けると、眼球には青くも赤くもない、普通の光がさしてきた。
「やってくれたね、まさか君が魔王の影に隠れていたとは思いもしなかったよ。まさに魔族らしい魔法だ」
「ふふっ、お褒めに預かり光栄です。元勇者さん。影魔法は得意中の得意でして、流石の勇者さんでも影に潜む私の気配には気がつけなかったようですね」
目を覚ますと、先ほどまではいなかったアウロラの姿が目の前にあった。
「起きられたようですね。ですが説明は後です、少しの間そこで大人しくしていてください。目の前の愚か者を今度こそ消し去ってしまいますので」
アウロラの言葉を受けて、王が不吉な笑みを浮かべる。
「僕の計画を邪魔した挙句、愚か者扱いか。後少しだった・・・・・後少しだったんだよ」
「それはそれは失礼なことをしてしまいましたね。ですが、見る限り彼は転生後の姿のままのようですし、何が後少しだったのか私には分かりかねます」
アウロラは興奮状態の王に向けて揶揄うような笑みを浮かべる。
「全て君のせいだろこのクソ魔族。ふざけるな、もう完全に切れたぞ‼︎」
王がとてつもない雄叫びを発した途端、天井や壁がギシギシと音を立てて揺れ始め、ところどころにヒビが生じていく。
「あらあら、この程度の挑発でおキレになるとは、随分と小さいお方になってしまいましたね」
「何とでも言えばいいよ。こうなれば実力行使と行こうじゃないか」
「あらあら、このお城内ではいくら元勇者と言えども少し分が悪いのではありませんか?」
「僕が魔王の配下如きに遅れをとると?」
「当然、貴方がこの何千年間で強さを磨かれたように、私もまた強くなったつもりです。貴方が先程までかけられていた洗脳の魔法ですが、今し方解かしていただきました」
「だから?僕は洗脳の魔法以外にもあらゆる強力な魔法がいくつも使えるんだ」
「そうですか。ですが、私が使う洗脳魔法は魔王様の魔法です。使えるようになるまで二千年ほどかかってしまいましたが、数の力で貴方を潰してあげましょう」
そう言うと、アウロラは一度全身に纏った漆黒のオーラを城全体に行き渡る規模で拡大する。
「チェックメイトです」
「付き合ってられないね」
王は一見無防備なアウロラに対して一瞬で距離を詰めると、研ぎ澄まされた格闘家の動きのように素早く緩急をつけた拳をいくつも繰り出す。
「何かの冗談ですか、その動きは?戦う気があるのですか?」
アウロラは繰り出される俊敏な拳を易々と笑みを浮かべて避けている。
「僕はこの後、世界中のウェルフィアを敵に回さなければいけないからね。君に余力を使うわけにはいかないんだ。だけどまぁ!」
連続でアウロラ向けて、王の真正面へと繰り出されていた拳は、空を切り一度だけ横へと振りかざされる。
すると、球体を成すこの城の形は、頭上の天井が全て吹き飛び半球へと変化した。
城は上空に浮いているため、ものすごい強風がボクたちを襲い、アウロラが洗脳したと思われる従者たちは遥か彼方へと吹き飛ばされていった。
「こ、これは参りましたね。どうやら私一人では少々荷が重いようです」
「この程度でビビっているようじゃ君はダメだね。分かったらこれ以上僕の邪魔をしないでくれ」
アウロラは腰が抜けてしまったのか、そのまま地面へへたり込む。
そして圧倒的な実力差を見せつけた王は、椅子に拘束されたままのボクの前へと立つ。
「実験の影響か、目の焦点が合っていないようだけど、僕の声は聞こえてる?」
王の声は確かにボクの脳へと届いてはいるが、一時的に時をいじられたことによって脳内が何かしらのエラーを起きしているらしく反応できない。
「まぁ聞こえているということにするよ。僕はこれから片っ端から世界中のウェルフィアをこの手で始末しに行く。だから僕はその手始めに、君の大切なものを丸ごと壊しに行くとするよ。僕の君への復讐は、君の絶望から幕を開け、絶望で幕を閉じる。今回は絶対に失敗などしない」
王はボクから視線を逸らすと、柱に拘束されているアートゥ、アルギス、ユメフィオナへと一度視線を移す。
「だから君たちは最後の仕上げまでとっておくことにするよ」
ボクの大切なものを丸ごと壊す?それってつまり—————
ボクは抗いたい気持ちでいっぱいになるけど、どうしても声は出せないし、おまけに体も動かせない。
そんなボクを置き去りにして王は真下に雲が見える位置まで移動する。
「私を生かしておくのですか?随分とあまいことをするのですね」
「君を生かそうが殺そうが、僕には何の支障もない。死にたければ勝手にすればいい」
「その決断を、後々後悔なさらないといいですね」
「するわけないだろ。それじゃあ、僕の復讐の始まりだ」
そう言葉を残して、上空へと身を投げ出し落下して行った。
「さて、一先ずは貴方がたの拘束を解いてあげるとましょう」
そう言ってアウロラはアルギスたち全員の拘束を解いてくれた。
「感謝するぜ。それにしてもお前一体何者なんだ?ユーリの影から突然出てきたりよ、それに魔族やら魔王やらって訳分からねぇぜ」
「今私の正体などは然程問題ではありません。今考えるべきことは、王アポラ。またの名を勇者カルネラをどう止めるかです。正直、あれほどの力を備えているとは驚きでした。私だけでは手に負えません」
「ちょっといい?もしオイラの考えが合ってたら、ユーリの島が大ピンチ」
「ユーリの島とは一体何のことですか?」
アートゥもボクと同じ考えらしい。
王が向かった先はボクの故郷であるハー島だ。
「ハー島と言って、ユーリの生まれたところ。ユーリの父と母も住んでる」
「ユーリ?なるほど、今の名はユーリというのですね」
「洗脳が解かれた今、私は私の親友のために全力で王に立ち向かいます」
「俺もユメフィオナと同意見だ。何が何でもユーリの大切なものは壊させねぇ」
「オイラもユーリには借りがあるから」
みんながこれだけやる気になってくれているというのに、ボクの体はまだ動かない。本当に情けなくて泣けてくるよ。
「それじゃあユーリは後から来てくれ、俺らは先にあいつの後を追うことにするぜ」
アルギスたちはボクを一人残してスタスタと背を向けて遠ざかって行く。
「ちょっと待って、ユーリを一人残して行くの?」
「おっと、それもそうだな」
「それでは、私が残りましょう」
「お前に任せて大丈夫か?マジで誰だかも分かんねぇのによぉ」
「安心してください。私も貴方がた同様に、彼とはかつて深い仲でしたから」
何やら意味深な言い回しをするアウロラ。
まぁ確かに魔王だった時代、ボクとアウロラが深い仲だったのは認める。
「なら、任せたぜ。それとユーリ、俺たちはお前のことを待ってるからな、早く来いよ」
そう言い残すと、アルギス、アートゥはユメフィオナの背中に乗って、雲の下へと消えて行ってしまった。
残されたボクとアウロラとの間には何とも言えない静寂がただただ流れる。
転生後とは言え、彼女もボクと二人きりだと緊張しているんだろうか?
今、ボクの心の中には様々な感情が渦巻いている。ハー島のこと、アルギスのこと、アートゥのこと、ユメフィオナのこと、ボク自身の過去のこと。
そんな色々な感情が巡る中、次第に体も思うように動き始め、ボクが最初に口にした言葉は、かつて愛した女性の名だった。
「アウロラ————」
アウロラの体は小さく揺れると、見開いた瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「名を呼んでもらえることは、これほどまでに嬉しいことだったのですね」
儚く悲しげに見せた少女の表情は、とても美しく愛おしいものだった。
決してティーシェへのこの感情が消えてしまったわけではない。ただ、記憶を取り戻したことによりアウロラに対しても同様の愛おしさを感じてしまっている。
改めてボクはとことんどうしようもない男だと実感する。
「貴方の帰りを、私はずっと待っていました。お帰りなさい魔王様、お帰りなさいルーシオ」
そう、魔王だった頃のボクの名はルーシオ・アデスト。ボクとアウロラはかつて恋仲だった。
ボクは変わらず美しいアウロラの涙を浮かべる様を見て、小さな体をそっと包み込む。
「今のボクは、君の知ってる魔王じゃないけど、君との大切な時間はボクの記憶に今でも刻まれている。ただいま、アウロラ」
ボクたちはしばらくの間体と体を寄せ合い、今ボクのすべきことのために動き出す。
「正直、今の私たちがアポラさんに立ち向かったとしても、何もできることはないでしょう。それはウェルフィアである彼らも同じです。やられてしまうのは最早時間の問題、何か手を考えなければなりませんね」
「そうだね、今のボクはマジックしか使えないから。まぁ使い方によっては闘えないこともないけど、あの王を相手にするには無理がある」
「あっ、でしたらこういうのはどうでしょうか?」
「何か思いついたの?」
「少し耳をお借りしても?」
ニヤニヤと笑みを浮かべて何やらよからぬことを企んでいそうなアウロラの口元へと耳を近づける。
「え?そんなことできるの?」
「分かりません。ですが、もしできれば戦況を覆すことも可能でしょう」
正直、下手したら命が危ない賭けだけど、やってみるしかない。
「行こう!」
そうしてボクとアウロラは、部屋の外で放心状態になっていた王子にある場所まで案内してもらった。
その先の空間は、この目の前に聳え立つ巨大で真っ赤な炎を吹き出している壁に塞がれていて、壁の中央あたりから、四体ほどのツノを生やした鬼のような存在が顔を覗かせている。
「どうやら私たちのお目当ては、この先にいるようですね」
「だけどどうやってこの先に行けば・・・・・」
「壁に君の存在を認めさせるんだ。壁にたぎる炎は中にいる龍の意思そのもの。もし存在を認めさせることができたなら、炎は姿を潜めて扉が現れる仕組みになっている」
「どうやって存在を認めさせればいいの?」
「父上から聞いた話で、僕にもどうやるかは分からないんだよ。レヴィリンスで唯一龍を従えられていたのは父上だけなんだ」
「なるほどね。そういえばここへ来た時、君から龍へ謝るように言われたような気がするんだけど、どの道ボクは龍に認められなくちゃいけなかったのかな?」
「いや、あの時はまさか父上が君を使ってあんな恐ろしいことをしようとしていたなんて思わなかったから・・・・・」
つまり、王に頼んで龍と合わせる手筈だったというわけか。
「ユーリさん、時間はありませんよ。早速龍に認められてきてください」
アウロラはボクを笑顔で送り出そうとする。
「うん、そうだね。あのさ、ユーリじゃなくてルーシオでもボクは気にしないよ」
「いいえ、私はこれからを大切にしたいので、ユーリさんで大丈夫です。ほら、早く行ってきてください」
時間がないのは確かだけど、あまり急かさないでくれるとありがたい。ボクにも心の準備が必要なんだ。
壁から吹き出る炎は勢いよく燃え盛っていて、時々火山が噴火するように勢いを増す。
「よしっ」
ボクは覚悟を決めて燃え盛る炎の中に飛び込んで行った。
「あっ・・・つくない?」
この炎は幻影とでも言うように、熱さも何も感じない。
「この感覚、私に傷をつけた人間か」
炎で包まれた空間全体に身の毛もよだつような声が響くと、目の前の炎が形を変えてとてつもない威圧感を放つ龍の顔へと姿を変える。
「一体何の用だ?まさか謝罪でもしにきたのではあるまいな」
「いや実はその、まさかなんだ。ボクの勘違いで君に怪我を負わせちゃったこと、本当にすまないと思ってるよ」
「ほぉ、案外素直な奴だな。まぁあれくらいの傷ごとき一瞬で治りはしたがな。今回は貴様の素直さに免じて許してやるとしよう」
「ありがとう。実はここからが本題なんだけど」
「言ってみろ」
「ある男を止めるのを手伝って欲しいんだ」
「もったいぶらずにその名を言うがいい」
さっきの王子の話からすると、王はこの龍の主人的存在だったことになるよな?ここは一か八かかけてみるしかない。
「アポラという名前で、この天界の王をしている男だよ」
「なぜあの男を止めてほしいのだ?あやつは王としての風格を兼ね備え、私にも敬意を持って接してきた好青年だったはずなんだが」
何千年も生きてきた勇者がこの龍からしたら青年扱い。スケールの大きさについていけなくなりそうだ。
「王は今、この世界から全てのウェルフィアを消そうとしているんだ。それに、ボクの家族の命までも奪おうとしている。何としてでも止めなくちゃいけないんだ」
「あやつもついに、裁かれる側に回ってしまったか」
「だから王を止めるためにボクに力を貸してほしい」
「それならば、一つ、私の質問に答えるがよい」
「分かったよ」
「私の前にいる貴様は確かに人の姿、人の中身をしているが、魔王の匂いをうっすらと感じるのはなぜだ?」
質問をした直後、龍の表情が鬼の形相のように変化し、ボクは畏怖する。
これは、下手に嘘をついたり誤魔化したりすれば、命を失う危険があるとボクは直感的に悟った。
「今のボクは・・・・・魔王の転生体なんだ」
「詳しく話せ」
「もう大昔のことだけど、ボクはかつて世界のあらゆる生物から忌み嫌われ、恐れられた魔王だったんだ。だけどボクはそんな自分にいつしか絶望し、全てを残して逃げるように一度目の転生をして、更に二度目の転生をして生まれたのがボクだ。ボクはかつての記憶を覚えている。だけど、もう魔王になるつもりはない。数多くの悲しみを生んでしまった分、これからは多くの幸せを生んできいたんだ」
気がつくと龍の表情は元に戻っていて、鬼はなりを潜めていた。
「まだ貴様が魔王になるずっと昔、貴様と私は幼い頃に出会っているんだが、そのことは覚えているか?」
ボクが思い出した記憶は、全てではないためその記憶に関しては全く身に覚えがない。
「いいや、それは覚えてない」
「私は下界を好まず、滅多なことでは顔を出さないのだが、あの時は人もそれほど多くはなく、地上には豊かな自然が広大に広がり、純粋な動物たちが暮らす景色が密かに私のお気に入りだったのだ。ある日下界の景色を見に行くと、偶然にも奇跡と言わんばかりの強大な、されど純粋で美しい力を秘めた幼い貴様を見つけ、私は野原で虫たちと戯れる貴様へと近づくと、決して純粋な心が悪き方向へと進まぬよう、その純粋で巨大な力を人のために使えるよう願いを込めて頭を垂れたのだ。それが時を経て魔王が誕生したと知った時はショックだったぞ」
「あぁ、何と言っていいか」
「だが更に何千何万と時を重ね、絶大な力は失われど、純粋な心が残っていてくれたことを嬉しく思う。私は貴様に力を貸そう」
直後、周囲の炎が一気に姿を消すと、ボクはアウロラたちの下に戻っていた。
「どうやら、成功したようですね。流石です」
「扉が開くよ」
王子の言葉とほぼ同時に目の前の扉がゴゴゴゴゴと音を立てて開き始める。
ボクたちは扉の先にある空間へと足を踏み入れると、その景色に心を奪われた。
その空間は、塞いでいた扉からは想像もつかないような神秘的な景色をしていた。
空間一帯には青く輝く雪が降り、床一面が白と紫と青の輝く花で包まれていた。そのせいか、頭上にかかる雲も少し青く感じられる。
「ヒュルルルルル!」
頭上の雲の一部に穴が空くと、そこから巨大な龍の全身が姿を現し、ボクたちの目の前へと降り立った。
「それじゃあ、改めてよろしくムエルム」
「ほぉ、私の名を知っているとはな」
「僕が教えたんだ」
「誰だ貴様は?」
龍にひと睨みされた途端、王子は体を縮こませた。
「お一つ確認したいのですが、貴方にとって王は、主人ではないのですか?そんな方と戦えるのでしょうか?」
「あやつは主人などではない。元々この天界には私が住んでいてレヴィリンスと名のるこの者たちが後からやって来たのだ。おまけに同じ名まで勝手につけてしまってな。あやつと私は利害関係が一致していただけのことだ」
「と、言いますと?」
「私たち龍は世界の不合理を正すための生き物であり、あやつの目的は悪き存在の排除と、互いに似た目的を持っていたから力を貸し、従っているフリをしていただけのこと。まぁ魔王に関しては私たち龍でさえ手の及ぼせない存在だったため見守ることしかできなかったがな」
そう言うと、ムエルムの視線がチラリとボクの方に向けられる。
「だが、あやつ自身が不合理な存在となってしまったのなら、私は迷わず使命に従うまでのことだ」
「それを聞いて安心しました」
「それじゃあ、王を止めに行こう!」
私は、ようやく気づいたこの気持ちを伝えられないまま、彼は二度と帰らぬ人になってしまった。
「ティーシェちゃん、いつもうちの息子のためにありがとね」
「いいえ、私がしたくてしていることですから」
私は今、ユーリの家の近くに建てたユーリのお墓参りに来ている。
リンク島での出来事から既に三日が経過した。龍が私たちの目の前から姿を消したところまでは覚えているけれど、そこからハー島に帰って来るまでの記憶がない。
周りの話だと、残されてその場に放心状態になっていた私とティールをファルコたちが連れて戻って来てくれたらしい。
「旅に危険はつきものなのは元旅人の身からしてもよく分かってはいるんだけどね。親より先に死んじゃうなんて、思わなかったよ・・・・・」
ユーリのお母さんの涙を流す姿を見ていたら、私の目からも同じ雫がポロポロとこぼれ落ちて来た。
「本当ですよ」
「女性を二人も泣かせるなんて、いけない息子だよ。だけどありがとねユーリのために泣いてくれて」
本当よ、旅に出る前はまさかユーリに泣かされる日が来るなんて夢にも思わなかった。
「あの子、ティーシェちゃんに迷惑かけていなかった?昔っからマジックに夢中で、たくさん迷惑かけたでしょう」
「まぁそれなりにかけられました。ですけど、それも全部含めて、ユーリとの旅は私に新しい色々な感情と新しい世界を教えてくれました」
「そう言ってもらえて、きっと喜んでるよ。ティーシェちゃん覚えてる?あの子が初めて私たち家族以外にマジックを披露した日のこと」
「ごめんなさい。あまり小さい頃のことは覚えていないんです」
「あの子が五歳くらいの頃だったかしら、私たちの息子がマジックを披露すると言ったら、当時は島中のみんながユーリのマジックを見に来たわ。勿論ティーシェちゃんもね」
ユーリのお母さんは悲し気に、だけどどこか懐かしみ嬉しそうに昔話を語り始める。
「ユーリがマジックを披露すると、みんなはとても笑顔になって私もとても嬉しかったわ。多分その頃からね、ユーリが世界を旅したいと言い出したのは。そしてティーシェちゃんを好きになったのは」
「え?」
予想もしていなかった話が飛び出し、私は思わず気の抜けたような情けのない声を出してしまった。
「気がつかなかった?私たちからすれば、毎日のようにティーシェちゃんを見ていたし、小さい頃は貴方だけにマジックもよく披露していたのよ」
私は八歳くらいの頃に木の上から落下して頭を打ってしまったことで、一時期軽い記憶喪失になっていたらしい。あまり高い木じゃなかったし怪我は早く完治したんだけれども、幼い記憶の少しをなくしたままになっている。
まさかユーリとのそんな思い出があったなんて・・・・・もしかしたら私もその頃からユーリを想っていたのかもしれない。
私がユーリを一緒に旅しようって誘った時には、ユーリのことが既に気になっていたと思うし、考えてみればもっとずっと前から気にかけてもいた気がする。
「私、ユーリのことが好きです。好きなんです。もう会えないなんて、私どうしたら—————」
強く抱いていた想いを言葉にしてしまったことで、一気に感情が込み上げ、私はその場に膝から崩れてしまった。
「そう、そうだったの。ティーシェちゃんもあの子のことを・・・・・ユーリは幸せ者ね。本当にありがとうティーシェちゃん。だけど、ティーシェちゃんはユーリにずっと縛られちゃダメよ。ユーリを忘れろなんて言わないけど、いつか過去にしてしっかりと幸せになりなさい」
お母さんは俯き、涙が止まらない私の背中をそっと撫でながら優しい言葉を投げかけてくれた。
「忘れようとしても絶対忘れられません。だけど、泣くのは今日で最後にします。私はこれからユーリが見れなかった世界をティールと一緒に見に行って、まだない私の夢をユーリの分まで叶えたいと思います」
「そうね。それじゃあ、私はもう戻るわね」
「はい」
私はその後しばらくユーリのお墓と向き合っていると、ポツリポツリとまるで今の私の心を具現化したかのように、湿った雨が頬を濡らす。
「誰?」
降り出した雨は、家の屋根に当たり軽い音を連続で奏でるくらいにはすぐに勢いを増した。
そんな中、ふと頭上を見上げると、見知らぬ男が私を、というより島を見下ろしたまま雨に打たれて宙に浮いていた。
「雨か。人間は僕と同じ奪われた側の存在だ。だけど、僕は例え元だとしてもあいつの大切な存在を全て奪わなくちゃいけない。だから無慈悲に死んでくれ」
何かを話しているのは分かるけど、雨音で何を言っているかまでは分からない。
次の瞬間、無数の雨が空中で全ての動きを止めた。
「フッ」
宙に浮かぶ男がニヤリと不気味な笑みを浮かべた瞬間、止まっていた雨は針のように鋭く私の体を蝕んでいく。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
耐え難い痛みが全身を刺激すると同時に私の意識は消え始める。
不意に訪れた天災は、死を悟らせるには十分すぎるほどだった。
地に横たわる私の体を姿を現した太陽の光が照らす。
ユーリの分まで生きようと決めたばかりなのに、私の命は呆気なく終わる。
「間に合ったようですね」
そう思った矢先、全身の痛みは嘘のように消え、意識が戻り始めた。
そして、私の目の前に真っ白な見たこともないウェルフィアの背中に乗ったアートゥとアルギスが上空から舞い降りて来た。
「ユメフィオナ。他の奴らのことも頼んだぜ」
「分かりました。すぐ戻って来ます」
ユメフィオナと呼ばれたウェルフィアは、アルギスたちを地上に降ろした後、あっという間に島の遠方へと飛んで行ってしまった。
「全く、どいつもこいつも僕の邪魔ばかりするね。君たちは最後に始末しようとしていたのに、予定変更だ。今ここで君たちもまとめて始末することにしよう」
次の瞬間、島全体が大きく揺れ始めると、周囲に見えていたはずの海がだんだんと見えなくなっていく。
「こいつ、まさか島全体を浮かしてやがるのか!」
「オイラ思わずついて来ちゃったけど、来ない方がよかったかも」
「ああ?だらしねぇこと言ってんじゃねぇぞアートゥ。お前ミリターナの息子だろ、もっとしっかりしろ!」
「お喋りはその辺にしてもらおうか」
すると、男を中心とした広範囲にキラキラと輝く光の剣のようなものが形成される。
「行け」
次の瞬間、無数の光がまるで流れ星のような軌道を描いて島へと勢いよく放たれた。
「俺に任せろ!」
アルギスが私たちを庇うようにして前に立つと、両手を空に向けて大きく広げ、島の地形を変化させる。
変化した地形は、島を守るように湾曲になって覆い被さった。
けれど、無数に降り注ぐ光の攻撃によりアルギスが創った防御壁は破られてしまい、またしても私たちは雨のような光の攻撃にその身を貫かれてしまった。
だけど、気がつくとまたしても無傷の状態へと巻き戻っている。
「これは一体、何が起きているの?」
「私の力です。私は個々の時間を操ることができる力を持っています。その力を使って島にいるみなさんの傷を瞬時に癒しているのです」
今し方遠くに飛んでいく姿を見たばかりなのに、いつの間にかユメフィオナは私たちの元へと再び戻って来ていた。
「流石だねユメフィオナ。できることならその力は僕のためだけに使って欲しかったよ」
「洗脳が解けた今、私は全力で貴方に抗います」
「とても残念だよ。じゃあ君から消させてもらうとしよう」
そう言うと、男は素早く口元を動かして何やら呪文を唱え始めた。すると、晴れた空の中央に白い線が何重にも重なった一つの円形の模様が浮かび上がる。
「なんじゃありゃ!」
その光景を目の当たりにしたアルギスが大層な驚き方を見せる。
「何よ、あれ・・・・・」
私も思わずその光景を目の前にして、言葉を失ってしまった。
「オイラたち大大大大大ピンチ!」
円形の模様の中心が黒く染められて、そこから島を飲み込んでしまうほど大きく真っ黒い手のひらが姿を現す。
「さぁ、ただただ無慈悲に全てを奪われる者の気持ちを知るといいさ!」
アポラにハー島の人たちへの恨みなど一切ない。
ただこの島に元魔王であるユーリの大切な存在がいるという理由だけでハー島の全てを壊そうとし、それに愉悦を感じている。
アポラの放った一撃で島は砕けて次々と人とウェルフィアが海へと落ちていく。
「なんてことを!」
ユメフィオナの時間を操る力は、力をかける対象さえ視界に捉えれば、例え命を奪われたとしてもあまり時間が経っていなければ蘇らせることができる世界の理に反するというもの。
だが、ユメフィオナ自身の時間は巻き戻すことはできないため、死んでしまえば一発でゲームオーバー。
当然ユメフィオナ本人もそのことをよく理解しているため死に物狂いでアポラの攻撃を避けようとする。
しかしアポラは、海に落ちていく島の人々を助けざる終えない状況のユメフィオナの隙を狙う作戦。
「チェックメイトだ、ユメフィオナ」
海に落ちていく人々を高速で助けるユメフィオナに向かって、アポラは再び光の剣を生成し放つ。
しかしその時、アポラにとっては予想もしていなかった存在の声がした。
「ヒュルルルルルル!」
「フッフフ、君まで僕の邪魔をするのか。ムエルム!」
声の主である龍ムエルムは、ものすごい勢いで地上に姿を現すと、海へと落下する人とウェルフィアを一人残らず見事背中でキャッチし、宙に浮かぶ島に運び届けた。
そして砕けた島を自身の巨大な体を使って、一時的に支える役目を担う。
「おいおい、まさかあん時の龍かよ、まさかまた俺を狙いに来たわけじゃねぇよな?」
「安心して、ボクたちの味方さ」
「・・・・・うそ」
ティーシェは死んだと思っていた愛しい男の存在を見て、視界が歪むほどの涙を浮かべた。
「・・・・・ユーリ、なの?」
「心配かけちゃったねティーシェ。君が無事で本当によかったよ」
「私もう、二度と貴方に会えないと思って—————」
「ボクが君を置いてどこかに行っちゃうなんてありえないよ。だからティーシェもボクを置いてどこか遠くには行かないでくれよ」
ティーシェはユーリの胸に頭を当てて、今まで溜まっていた不安を全て外に出すように、溢れ出る涙を止めようとはしない。
「ティーシェよく聞いて、あいつはここハー島にいる全ての存在と世界中から全てのウェルフィアを消そうとしているんだ。だけど必ずボクたちがなんとかして見せる。ボクを信じて待っていてくれる?」
「もちろん貴方を信じるわ。だけど一体どうする気なの?相手は見たこともない力を使っているわ、お願いだからあまり危ないことはしないでね」
「うん、分かってるよ」
ボクは久しぶりにティーシェの顔を見れて安心したせいで、ティーシェの頭を撫でてしまう。こんなこと今までにしたことがなかったため、やったボク自身も少し動揺してしまった。
「イチャつくのもそこら辺にしてくださいね」
そんなボクたちを見ていたアウロラが不満げな表情を隠そうともせずこちらに向けている。
「もっと危機感を持ってください。私たちがアポラさんに負けてしまえば、何もかも失ってしまうのですよ?」
この戦いはボクたちだけの戦いじゃない。世界の命運を背負った戦いなんだ。
「それじゃあ行ってくるよ。だけどアートゥとアウロラはここに残って島を守って欲しい」
「承知しました。貴方の大切なものは私の大切なものも同然です」
「オイラは弱いから足手纏いだよね」
そう言って俯くアートゥの下に歩み寄り、しっかりとアートゥの目を見て言葉を投げかける。
「そうじゃないさ、ボクはお前のことを誰よりも信用してる。本当はすごい奴だってね」
「オイラ任された」
「頼んだよ」
「感動の再会は終わったかい?もうすぐ消える君たちへの慈悲で少し待ってあげたけど、結局何もかも無駄なんだよね」
「ボクの大切な存在は絶対に奪わせない。君はボクを怒らせた。覚悟してもらうよ」
「今じゃマジックしか能のない奴が何言ってるんだい?天地がひっくり返っても君たちじゃ僕には勝てないよ」
確かに今のボクは魔王でもなければ魔法も使えない。
「マジックをあまりあまく見ていると痛目見るかもよ?」
ボクは頭にある帽子を取って、斜め上へと掲げる。
「何の真似だ?」
「3・2・1」
ボクの掛け声を合図に帽子の中からカラフルな花火がいくつも打ち上がる。
すると打ち上がった花火は次第に美しい本物の花びらへと変化して、島の表面を包み込んだ。
「ボクはボクのマジックでみんなを幸せにすると誓ったんだ。ボクの大切な場所を君なんかに傷つけさせはしないよ」
花びらが降り積もった島全体が数秒の間白い輝きを帯びると、先ほどまでの崩れた姿が嘘のように綺麗さっぱり元通りの姿になった。
「一体どういう仕組みだ?」
「今のは見せかけだけのマジックなんかじゃい。そうだなぁ、言うなればボクにしか使えない魔法さ」
「フフッ流石は私のユーリさんです」
アウロラは、まるで小悪魔のような笑みを浮かべる。
そしてムエルムは元に戻った島をゆっくりと海に戻した。
「ムエルム。君の背中を貸してもらってもいいかな?」
「ああ、構わない」
「じゃあ行ってくるよ」
「気をつけて」
ボクとアルギス、ユメフィオナはムエルムの背中へと乗り、ムエルムは王の下まで飛び上がった。
「悪く思わないことだアポラ。私は龍の名の下に貴様を断罪する」
「悲しいよムエルム、邪魔する君を殺さなくちゃいけないなんて。だけど魔王には歯向かわず僕には歯向かうその精神が心底気に入らないよ本当に」
「ヒュオォォォォォォォン!」
ムエルムが甲高い雄叫びを上げた途端、快晴だった空模様は黒い雲で覆いつくされ、ドコォーンドコォーンと音を立てながらいくつもの雷が海へと落ちていく。
「島には当たらないようにしてくれよ」
「それくらい分かっている」
「この状況、これは俺の出番みてぇだなぁ。ユーリ、俺が命に変えても時間を稼いでやる。その隙にあの野郎を拘束できるマジックを考えろ」
「拘束?」
「なんでもいいから頼んだぜ」
そう言い残すとアルギスは天から地上へ、次々と走る雷を掴んで素早く四方八方に大きな体を揺らしていき、アポラへと攻撃を仕掛けていく。
「あっ、あれならもしかして」
ボクは帽子の中から片方だけの白い手袋を取り出す。
「何ですかそれは?」
「この手袋は熱だけに反応して一瞬でその熱を凍らせるアイテムだよ。ハー島はウェルフィアと一緒に暮らしているから、火事がよく起きるんだ。そんな火事による被害をなくそうと思って作り出したのがこの手袋ってわけ」
昔、この手袋で熱々の鍋に触れて中の食材まで全部凍らせて以来、この手袋は封印していた。
「つまりさ、雷が王に落ちた瞬間、ボクが雷に触れれば王の動きを止められるかもしれない」
「それはあまりに危険すぎます」
「だがやってみる価値はあるだろう。もし拘束できたなら、その隙を見て私があやつ目掛けて咆哮を放つ」
「やろうユメフィオナ。ボクたちならできるさ」
「懐かしい感覚ですね。では、ユーリのことは私が運ぶとしましょう」
ボクはユメフィオナの背中へまたがると、ユメフィオナは王の頭上にある雲付近へと飛び上がった。
「無意味なことはやめた方がいい。君たちじゃ僕は止められない」
「んなことやってみなくちゃ分かんねぇだろぉが」
アルギスはムエルムが落とす雷を伝って素早く移動しながら王へと攻撃しているけど、王はその場からこれっぽっちも動かずに平然とアルギスの攻撃を捌いている。
「君は本当愚かなウェルフィアだね。ユメフィオナはウェルフィアの中ではとても貴重なウェルフィアだ。そんなユメフィオナがかつてラグウェロに君のことを誇らしげに話していたのを僕は覚えている。あのユメフィオナがあそこまで誇らしげに話すウェルフィアに僕も多少の興味を引かれたけど、実際の君は傲慢で狡猾だった。心底存在する必要のないウェルフィアだと思ったよ」
「俺も俺のことが嫌いで嫌いでしょうがなかったぜ。だがなぁ、どうしようもねぇ俺のことをユーリは見捨てなかった。お前が元勇者とかウェルフィアの被害者だとか知らねぇけどよぉ、俺は俺が死ぬことよりも親友の悲しむ姿を見たくねぇんだよ!だからお前をやる。あいつの全てを奪おうとするお前を俺は絶対許さねぇ」
ボクは、アルギスと親友になれて幸せだ。
その時、ボクとユメフィオナの目の前を雷が走った。
その雷を見事掴んだアルギスが王へと突っ込んで行く。
そしてボクの手袋をした指先が少し雷に触れた途端、一瞬にして雷は氷の柱と化した。
「信じてたぜユーリ!」
そしてムエルムのいた方向から巨大な炎の柱が突っ込んで来た。
「しっかり捕まっていてください!」
ユメフィオナはそう言うと、ものすごい速さで炎の咆哮を回避する。
「・・・・・王はどうなったかな?」
「どうで——————」
安心したのも束の間、ムエルムの炎の咆哮がかき消された次の瞬間、バゴォーンというものすごい音がムエルムの方から響いた。
視線を向けると、立派な二本のツノを宙に散らしながら、海へと落ちていくムエルムの姿があった。
そしてムエルムに視線を向けた途端、不意にユメフィオナのバランスが崩れる。
「ユメフィオナ?」
ユメフィオナの首元に手を回した時、ヌメっとした感触とともに赤い何かが視界に映る。
「どうして———」
ユメフィオナの全身から力が抜けていき、そのまま一緒にボクも海へと落下していく。
「次は君だ。君が死んだ後で島のみんなも送ってあげるよ」
ボクは王に背後から腕を掴まれる。
「そんなことさせ—————」
「いつまで強がる気だ?いい加減うざいよ」
ものすごい剣幕でボクへと睨みを効かせると、血が付着した剣を振り下ろした。
「ゴフッ」
気がつくと、ボクを庇い、代わりにアルギスが王の剣を受けていた。
「素晴らしい友情ごっこだね。だけど無駄だよ」
そう言って再び剣を振りかざした瞬間、アルギスの大きな足がボクの体を真下にある海へと突き飛ばした。
海へと落ちるまでの数秒間、遠ざるアルギスの姿が目に焼き付いていた。
ボクの代わりに何度も何度も王の剣を受けるアルギスの傷ついていく姿が・・・・・。
遥か上空から海へと落下したボクは、水面に激突した衝撃で意識が掠れながら海底へと沈んでいく。
ボクにもっと力があれば、みんなを守れるのに・・・・・全部ボクのせいで奪われる。それなのにボクは何をしている?いつも誰かに助けられてばかりで、ボクはみんなに頼ってばかりじゃないか。
王は許さない、ボクの大切な者を傷つけるあいつをボクは許さない、必ずボクがこの手で消す。
「ゴボッ」
突然全身にとてつもない激痛が走った。
「ゴボゴボゴボゴボゴボ」
意識が・・・薄れ・・・・・遠のく————。
突然海面から勢いよく何かが飛び出す。
それに気がついたアポラが視線を向けた途端、腹部に強烈な激痛が生じた。
「ゴハッ————その忌々しい姿、まさか戻ったのか?一体どうなってる・・・・・ユメフィオナかぁ!」
アポラに強烈な一撃を見舞ったそいつは、真っ赤で鋭いツノを額に生やし、肩甲骨が服を突き抜けて歪な形を形成しており、更に、全身の血管が浮き彫りとなり鋭い牙と爪を持っている。
「あの頃とは少し違うが、懐かしいよその姿。魔王ルーシオ。僕のことを覚えているかい?」
「ウアァァァ」
「魔王ともあろう者が自我を失っているのか。全く情けないねぇ」
「ウアァァァァァァ!」
「ゴフッ」
未完成だが魔王に戻ったユーリは自我を失い、ただただ非情にアポラに向けて重く殺意の籠った拳を何度もふるい続ける。
アポラの言う通り、今ユーリの体は、レヴィリンスで受けたユメフィオナの力の影響で暴走した時間の逆流が起きてしまっている。このまま逆流を放置し続ければ、完全なる魔王の体へと戻り、自我を失い続けた世界を破壊し尽くす存在となってしまうだろう。
暴走を引き起こしたトリガーは、度重なるストレスと外からの圧に心と体がついていけなくなったこと。そのせいでユーリの意識は無意識に殻に閉じ込められてしまい、理性のない化け物となっている。
「戻って来てください、ユーリ」
今にも消えてしまいそうな命の灯火を宿すユメフィオナが、最後の力を振り絞って時間の逆流を阻止した後、ユーリ・アリエスとしての時間へと巻き戻した。
「————ユメフィオナ?」
無事意識を取り戻したユーリは、脱力した状態で再び海へと落下する。
そして少し遅れて、気を失ったアポラも海へと落ちて沈んでいく。
「ユメフィオナ・・・・・アルギス、しっかりして」
ユーリは寄り添い合うように海面に浮いていたアルギスとユメフィオナの下へと寄り、遠くに見えるハー島へと必死に運ぼうとするが、ユーリ一人の力だけじゃびくともせず次第に沈み始めてしまう。
しかしその時、数体もの人魚が突然姿を見せると、そのままユーリたちを島へと導いた。恨みはされど、感謝される覚えのない人魚たちが自分をどうして助けてくれたのかユーリには理解できなかったが、種族は違えど、同じウェルフィアが目の前で無惨に殺されていくのは気分が悪かったのではないだろうか。
「おう、ユーリ」
「アルギス。ごめんボクのせいで」
「ケッ何言ってやがる、お前と俺は親友だろう。お前が生きててくれりゃあ俺は満足だ」
「そうですよ。貴方は私たちの知るパルセノ・グリーシャではないですけど、この先もずっと私の大切な存在であることは変わりません」
アルギスとユメフィオナから一切目を離さないユーリの瞳から、ポロリポロリと涙がこぼれ落ちていく。
泣かないようにと我慢しても抑えられない悲しみが襲う。
昔から知る大切な友人たちとの別れ。
しかしアルギスとユメフィオナは決して涙を見せようとはしない、ユーリには自分たちの笑顔な姿をいつまでも思い出して欲しいから。
悲しむ姿など見せたくない。
その思いが伝わったのか、ユーリは不器用ながらも涙を流しつつ満面の笑みで二人を送り出す。
「ボクなんかと、親友になってくれてありがとう」
アルギスは、安心した表情で目を瞑り眠りについた。そして、それを見届けたユメフィオナもゆっくりと微かに微笑みながら目を瞑った。
「くっ・・・・・」
必死に堪えていた涙が更に溢れ出す。止まらない止められない大切な者との永遠の別れ。
「うそ、でしょ?」
ハー島でユーリたちの戦いを見守っていたアートゥとアウロラが、ユーリが悲しみにくれる光景を目の当たりにする。
「まさか、死んじゃうなんて・・・・・オイラ、ありがとうも言えてないのに」
「誰かを守ろうとするとき、誰しも命懸けなのです。お二方のためにしてあげられることは、アポラさんを止めることだけです。ですので、ここからは私も命をかけて全力でお力添えいたします」
「オイラも絶対あいつをやっつける!」
アウロラとアートゥの覚悟を見せられたユーリは涙を拭い、立ち上がる。
「必ず王を止めよう」
「僕を止める?バカを言うな、僕は止められない!」
ユーリに殴られ、気を失っていたアポラが白い服に血を滲ませ海から陸へと這い上がって来た。
「次は君たちの番だ」
「そんなことさせない。オイラが守る!」
アートゥの体を全身が青い輝きを帯びると、次第にその輝きが収まり、白髪に白いマントのような物を羽織った青年が現れた。体は大半が漆黒で埋め尽くされていて、とこどころにいくつかの白と青い線が入っている。
「貴方は特別なウェルフィアだったのですね。人型になれるウェルフィアは全てのウェルフィアを従える力を宿すのです。いいでしょう、ここは貴方にかけてみることにしましょうか」
そう言うと、アウロラは自身の影を大きく拡大して、そこから無数のウェルフィアを召喚し始めた。
「キュー!」
そしてアートゥのどこまでも響いていきそうな雄叫びに反応した多くのウェルフィアたちが、海中、空中、島中から次々とアートゥの下に集まってくる。
「何だこれ・・・・・お前本当にアートゥなのか?」
「後はオイラに任せて、ユーリ」
アートゥの額から立派に生えた一本のツノが白く輝く。
「オイラを怒らせたこと後悔させてあげる。行くよみんな!」
ハー島に集まった何百体もの様々なウェルフィアが一斉にアポラへと攻撃を仕掛ける。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」
口から火を吹くウェルフィアもいれば、氷を吐くウェルフィアもいる。更に鋭利な武器を持ち、幾度となくそれらをふるう人魚たちの姿もあった。
あれほどまでに脅威と感じていたアポラが、数の力を前に手も足も出ない姿を見て、ユーリはただただ唖然とするほかなかった。
「信じられない。ボクたちが手も足も出なかった王をこれほど圧倒的に————」
「当然と言ってしまえば当然ですね。元々ウェルフィアは戦闘生物として作られた存在。例え私たちが最初に作り出したウェルフィアの子孫だとしても、その本質は変わらないということです。どうやら決着がついたようですね」
全身の骨が砕け、大量の血を流したアポラがユーリたちの目の前と落ちて来た。
「ゴホッゴホッ、ちくしょ・・・・・僕はまだ何も、何も成し遂げていない。ウェルフィアをこの世から全て消し去るんだ、それまでは・・・・・死ねない!」
ユーリはアウロラから帽子を受け取ると、いつも以上に深く被る。
「・・・・・カルネラ。ボクが作ったウェルフィアのせいで君の大切なものを奪ってしまったのは事実だよ。だからボクはこの命をもって償わなくちゃいけない。だけど—————」
「君の命なんかいるわけないだろ、ずっと分かってたんだ。だって君は僕の恩人でもあるんだから」
アポラは満身創痍の体に抜けていく力を精一杯込めて、なんとか立ち上がる。
「かつて君が魔王で僕が勇者だった頃、僕は人類の期待と、君への恐怖と孤独感に押し潰されてしまいそうだったんだ。そんな時、君は言ってくれた、この無意味な戦争に自分が終止符を打つと」
「終止符を打つとはどういうことですか?」
「魔王が滅びれば、従えていたウェルフィアたちの洗脳は解け自由となり、僕を苦しめていた重圧からも解放される、君はそう言った。そして魔王ルーシオは宣言通り転生して僕の前から姿を消した」
ならばなぜウェルフィアと人類による戦争が起こってしまったのか?
「そうして魔王との対戦を終えた人類は再び自らの手で文明を築き上げていった。だけど二千年後だ。すっかり平和が訪れた世界をウェルフィアどもがぐちゃぐちゃにしていきやがった・・・・・・何千年と生きていくためには、愛する人など必要ないと思っていた僕にようやくできた愛しい存在を、ウェルフィアどもはあっさりと奪っていきやがった」
今にも倒れてしまいそうなほど朦朧とする意識の中で、アポラは自身の過去をひたすらに掘り起こす。
「二千年も経っているんだ。ウェルフィアの襲撃が魔王のせいではないことなど分かっていた・・・・・だけど、元々は魔王である君が生み出したウェルフィアたちだ、もうそんなの、君を恨むしかないじゃないか。恨みたくなくても、恨まざるをえなかったんだ」
アポラの話を聞いたユーリの中に多少なりとも迷いが生じ始める。
ボクは何を躊躇っているんだ?王はアルギスとユメフィオナの命を奪ったんだ。
このまま生かしておけば、今度こそボクは大切な者たちを全て失ってしまうかもしれない。
「アートゥ」
ボクはアートゥに対して王にトドメを刺すように命令する。
「待ってください」
その時、アウロラが待ったをかけた。
「私なんです」
アウロラは後ろめたい気持ちを全面に押し出して申し訳なさそうに口を開いた。
「ウェルフィアを使って人間を襲わせたのは」
「どういうことアウロラ?」
「ユーリさん。かつて貴方は転生するとそれだけ告げて私の前から突然姿を消しました。最後に見た魔王様の表情は切なく、とても暗かった・・・・・人間は常に魔王様の消滅を望んでいます。私は許せませんでした、私の愛しい存在を消そうする貴方達人間が。私も薄々は分かっていました。魔王様は戦争によるこれ以上無駄な犠牲を出さないように自らが消える覚悟をしたのだと・・・・・だけど魔王様を奪ったのは貴方達人間です。人類など滅んでしまえばよかったのです!」
「君だったのか。僕が本当に復讐するべき相手は」
その瞬間、王の体から全ての力が抜けてドサッと地面に倒れ込んでしまった。
「ここまでか—————」
そして最後に一言発し、王は息を引きとった。
次第に空が黄金色に変わり、湾岸沿いに立つボクたちをオレンジ色に照らしていた。
そして陽の光に照らされた一人の男がゆっくりと空から降りてきて、地面に横たわる王を抱え上げる。
「わがままなお願いかもしれないけど、こんなのでも僕の父上なんだ。どうか天界で埋葬させてはもらえないかな?」
「仕方なかったことだけど、君の父さんの命を奪ってしまったことはすまないと思ってるよ。きちんと埋葬してあげてほしい」
「ありがとう」
ラグウェロはボクたちに一言礼を告げると、天界へと戻って行った。
「では、お次は私の番ですね」
「どういうこと?」
「魔族は人より長い寿命を持っていますが、やはり生物である以上、寿命には抗えません」
突然、アウロラの頬に小さなヒビ割れが生じる。
そしてその一つのヒビを起点として次々と顔以外にも至る箇所にヒビが生じていく。
「私のことを覚えていてくれてありがとうございます。とても嬉しかったです」
「・・・・・何度でも思い出すよ。例え次に転生して記憶をなくしたとしても必ず思い出す。アウロラは、ボクの記憶の中で永遠に生き続ける」
「死とは、これほどまでに恐ろしいものだったのですね。今まで数えきれない命をこの手で奪ってきました。自身の死の瀬戸際でしか命の大切さに気がつかないなんて、なんて私は愚かなのでしょう」
アウロラが言うように魔族も生きている。生きている者にはいつか平等に死という終わりが訪れる。それは避けようのない真実である。
ボクは泣きたい気持ちをグッと抑える。
泣いている姿で送り出されたい者なんていないはずだから。
「最後に一つ聞いてもいい?」
「何でも」
「どうしてこの島を守ってくれたの?君は人間を憎んでいるはずなのに」
アウロラはボクが魔王だった頃によく見せてくれたとても柔らかく、愛しさを含ませた笑みをボクへと再び見せてくれた。
「そんなの決まっているではありませんか。大切な人の大切な存在は、私にとっても大切な存在だからです。だからどうか、この時代の大切な者たちと幸せになることを祈っています」
アウロラの体はガラスのようにバリンッと音を立てて砕けると、粉々になり小さな粒となって風に吹かれて宙を舞っていく。
その時、ボクの頬に冷たい感触がした。
「雨、か?」
いや、これはアウロラの涙だ。
「ユーリ大丈夫?」
「大丈夫だよアートゥ」
アウロラの涙を拭おうと頬に触れた瞬間、ボクは無意識に涙をこぼしていたことに気がついた。
ボクは大切な存在をたくさん失った。
救われたこの命は決して無駄にはしない。
ボクには魔王だった頃に自分でかけた呪いがかかっている。
それは、転生する度に前世の記憶を全てなくし、自身に宿る力を一つずつ失っていくという呪い。そして最後には生命というエネルギーさえも失ってしまい、ボクの転生はいつか終わりを迎える。
どうして魔王であるボクは転生なんて道を選んだのか?
簡単なことだよ。魔王であるボクは、寿命でも殺しても何をしても死ねない。だから呪いをかけて徐々にボクという存在を終わらせることにしたんだ。
だけどボクの命が尽きる時、ボクは独りだろう。
一番の巨悪であるボクは大切な者の誰よりも長生きしてしまう。
そのことはボクにとって辛すぎる。
だけどその辛さは、ボクにとって背負うべき償いでもあるから。
「みんなの下に帰ろうかアートゥ」
家族に会いたい、ティーシェに会いたい。
ボクも大概満身創痍だ。
そんなボロボロな体でゆっくりとティーシェが待つ島の中央へと歩き出した。
「・・・・・ごめんユーリ。オイラたちはウェルフィアだけで暮らせる場所を探しに行こうと思う」
ボクたちの周りにいるウェルフィアたちは、みんなアートゥと同じ考えらしい。
確かにこれから先、王と同じくウェルフィアを恨んでる人たちが復讐しに来る可能性もある。ボクたち人間と一緒にいたらまた危険な目に合わせてしまうかもしれない。
ウェルフィアはもう、誰にも見つからない場所でひっそりと暮らしていくべきだ。
人とウェルフィアの共存の時代は終わりを迎える。
「アートゥ。お前ならみんなを引っ張っていけるいいリーダーになれると思うよ」
「すごく不安だけど、オイラ頑張ってみる・・・・・」
「アートゥ?」
アートゥは下を向いたまま、しばらく黙り込んでしまった。
「ユーリには、感謝したい気持ちでいっぱいなんだ。だけど、上手く言葉が出てこないよ。母のこと、旅のこと、いっぱいいっぱい本当にありがとう。ユーリはオイラに初めてできた、かけがえのない友達で親友だ」
「顔を上げてアートゥ」
アートゥの目から涙がとめどなく溢れている。
「ボクのほうこそありがとう。アートゥと一緒に旅ができて本当に楽しかったよ。アートゥたちとの記憶は、どれもこれもボクの宝物だ。じゃあねアートゥ」
「うん。いつかまた会えるかな?」
「何年先になるか分からないけど、その時はボクから会いに行くよ」
「待ってるね。またね、ユーリ」
ボクは一人、アートゥたちウェルフィアが遥か彼方まで飛んでいく姿を、見えなくなってもしばらくの間眺め続けた。
島のみんなの下へ戻ると、ウェルフィアを失ったみんなは悲しそうな表情を浮かべていたけど、快くボクの帰りを迎えてくれた。
かつてのファルコ、サラン、サイ、マイルズのボクを蔑んだような視線はもうなく、どこか敬うような視線を向けられる。
母さんは泣きながらボクに抱きつき、その光景を近くで眺める父さんと涙を浮かべるティーシェの姿もあった。
「ただいま」
ボクは一言そう告げると、抱きしめる力が少し強くなり、母さんの愛をその身に沁みて感じることができた。
「さぁ家に帰りましょうか」
そう言って母さんがボクから離れると、次にティーシェがボクに近づいて来た。
そして、ボクの肩へと少し力の籠った拳を当てる。
「何す————」
言葉を発する暇もなく、ボクの唇は呆気なく奪われてしまった。
温かくて、とろけてしまいそうなくらい柔らかい感触に、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。
少しして、静かにボクの唇は自由を取り戻す。
「ティーシェ・・・・・今、君」
まだ近いティーシェの顔は、熱がありそうなほど赤く染められていた。
「次、こんなに心配させたら許さないから、いい?」
キラキラとした涙を浮かべるティーシェのことが、とても愛おしく思えた。
「約束するよ」
アウロラがボクの愛しい存在だったのは真実だ。
その記憶も思いもボクは一生忘れることはないだろう。
だけど今は、その思いと同じくらい目の前にいるティーシェの涙を止めてあげたいと思った。
それから約三ヶ月が経った現在。
王の襲撃で壊れた家やその他の建物も全て綺麗に元通りとなり、見た目は以前と全く変わらない。
唯一違うところは、島にウェルフィアたちがいないこと。
ボクたちはウェルフィアがいなくなった後、色々と頼っていた部分が大きかったため、生活の仕方もガラリと変わってしまった。
だけどみんなウェルフィアは自分たちの知らないどこか遠くで幸せに暮らしていると信じて、ハー島は今笑顔と幸せで溢れている。
その原因の一つがボク。
島に戻った後、ボクのマジックが突然の大盛況。
どうやら王との戦いでボクのマジックの素晴らしさを知ってくれたみたい。
三ヶ月経った今でも盛り上がりは静まることはなく、毎日島のみんなにボクの素晴らしいマジックショーを披露している。
だけどそれも今日で終わり。
今日、ボクはまた旅に出る。
今度は一人だけで。
ウェルフィアがいなくなった後、ボクはハー島の人たちにたくさんの笑顔と幸せを与えてあげられた。
三ヶ月前にティーシェと交わした約束は守ってあげられないことになるけど、ボクにはボクの目標があるように、ティーシェにはティーシェの目標があるはず。
ボクへの想いがそれを縛ってしまっているのなら、ボクはティーシェの枷でしかない。
だからボクはティーシェをハー島に置いていくことに決めた。
ボクはあの時のように今度は一人で父さんと母さんに別れを告げ、心地の良い静けさを纏い、辺りが薄く霧に包まれる中、海辺に用意してある小船へと向かう。
「次、この島に帰って来るのはいつだろう?」
アートゥたちとの旅は予期しないアクシデントで中断せざるを得なかったけど、今回の旅はかなり長くなる。
そんなことを考えていると、やっぱりティーシェに何も言わずに行くのはよくないんじゃないかという思いが込み上げてくる。
だけど、ティーシェにこのことを告げてしまったら、余計にボクもティーシェも別れが辛くなってしまう。
浜辺へ着くと、浜辺に置いてあったはずの船が近くの木にロープで繋がれて、海の上をぷかぷかと浮いている。
「やっぱり、こういうことだと思った。いい?約束は守るためにあるのよ」
背後から声がしたので、急いで振り返ると、頬をムスッと膨らませたティーシェがボクのことを睨んで立っていた。
「ティーシェ。君がボクのことをどう思っているのかはすごく分かるよ。だってボクも同じ気持ちだからね。だけど、その想いのせいで君のことを縛っていたくないんだ。いつかボクは必ず君の下に帰ってくる。だからそれまで、君は君の目標に突き進んで欲しい」
「私の目標は昔も今も変わらない。ユーリ、貴方と一緒に旅をすることなのよ。私がこの想いに気づく前から、私は貴方と旅がしたいと思っていたの」
「だけどあの頃は、むしろボクのことを避けてなかった?」
「ただ単に照れ隠しなのよ。そんな風には見えなかったかもしれないけどね」
「むしろ、ボクはあの頃はずっと君に嫌われているものだと思っていたよ」
ティーシェは気の抜けた笑みを一瞬こぼす。
「フッ、不思議だね。私の心は私が気がつかないうちに貴方に奪われていたのよ」
ボクもティーシェと同じだ。気がついたらボクはティーシェのことが好きだった。
「私は貴方のマジックを初めて見た日、ユーリ・アリエスという人を好きになったんだと思う」
ボクの目をまっすぐ見てそう話すティーシェの言葉は、ボクの心に突き刺さり鼓動が速くなっていく。
「敵わないなぁ」
ここまでストレートに想いを語られては断るわけにはいかない。
一人静かな旅になると思っていたけど、今回もまた賑やかな旅になりそうだ。
ボクとティーシェは船に乗り込むと、海の流れに乗って船は動き出した。
島の周りには、一日の始まりを知らせるかのように鳥たちが愉快な鳴き声を上げて上空を飛び回っている。
季節はもう夏ということもあり、頬を少し湿った風が撫でる。
だけどとても心落ち着く心地よい気温であり、空の青さがボクたちのこれからの旅を祝福してくれているみたいだった。
ボクたちはだんだんと小さくなっていくハー島を見えなくなるまで眺めていた。
それからボクたちは様々な地へと赴き、ボクのマジックを広めていった。
永遠に天から雷が降り注いでいる落雷の島に。
島の中央に島全体を覆い尽くすほどの葉を持ち、銀と緑が幻想的な輝きを放つ世界樹が聳え立つ島。
海の中に青く輝く巨大なお城を持った海底島。
凍りそうな寒さに包まれ、虹色に染められた雲に全てが覆われた幻想の都島。
それに、島全体がドラゴンの死骸でできていた島なんてものもあったっけ。
どの島にももうウェルフィアは存在していなかったけど、ウェルフィアがいたんだという証拠はしっかりと残っている。
一見人が住めなさそうな島に見えても、意外と中は安全で、ウェルフィアが残してくれた島には多くの人たちが暮らしていた。
そして旅を始めて五年が経った現在、ボクは二十歳を迎えていた。
ボクが最後にウェルフィアを見たのはアートゥと別れたあの時。
人の中にはウェルフィアは絶滅してしまったという人もいるけど、きっとどこかでウェルフィアの王国ができていて、そこでウェルフィアたちも幸せに暮らしているだろうとボクは信じている。
「次はどこへ向かうの?」
「そうだなぁ、久しぶりにアートゥに会いに行こうかな」
「でも、ウェルフィアたちのいる場所は、今じゃ誰にも分からない幻の場所よ?」
「だけどボクたちは約束したんだ」
いつか絶対また会うっていう約束をね。
アートゥは覚えているかな?
その時、ボクたちの乗っていた船が巨大な岩へと衝突し、大きな衝撃が伝わる。
「くっ・・・・・あちゃーこれは少しまずいかも」
「どうする?」
岩にぶつかってしまったことで船に一部穴が空いてしまった。
ここは海のど真ん中、少しまずい状況だ。
ウェルフィアとは数年会っていないため、ウェルフィアに変身できるアイテムはとっくに切らしてしまっている。
「ユーリ。何かが近づいてくるわ」
ティーシェの指さす方向を見ると、一本のツノを生やした何かがボクたちの船まで泳いで来ており、そして目の前で止まった。
「え?」
驚くほどアートゥにそっくりだ。
イルカのような見た目にツノを生やしたウェルフィア。
「ここは危ないから速く遠くに逃げた方がいいよ。恐ろしい怪物がいるから」
その生き物はウェルフィアの言葉でボクたちに語りかけてきた。
「怪物?それよりお前怪我してるじゃないか」
アートゥによく似たウェルフィアは、目元に刃物で切ったような切り傷ができていた。
これを使うのは何年ぶりかな。
旅の必需品としていつも持ち歩いていたけど、使う機会がなかったから少し埃をかぶっている。
ボクは水色の液体が入ったカプセルを被っていた帽子の中から取り出す。
「口を開けて」
ウェルフィアは少し警戒した様子だったけど、口を開ける。
ボクはウェルフィアの口の中へと回復薬を流し込んだ。
「しばらくすれば傷は治るはずだよ」
「・・・・・ありがとう」
その時、体長二十メートルはあるだろう巨大なウェルフィアが海の中から突然姿を現し、海が激しく揺れる。
「キュー!」
聞き覚えのある、だけどあの時よりもより深い雄叫びのような鳴き声が大きく響き渡った瞬間、更にとてつもなく巨大なウェルフィアが海の中から姿を現し、ボクたちに牙を向けた怪物へと額にある巨大なツノを突き刺した。
ボクたちに牙を向けたウェルフィアは呆気なく海の底へと沈んでいってしまった。
驚いた。かつてのミリターナに瓜二つだ。
「・・・・・久しぶり。ボクのこと覚えてるか?」
お互い成長し、いい意味で見た目も中身も変わってしまった今、ボクのことを気づいてもらえるか少し不安な気持ちが込み上げる。
「オイラは親友のことを忘れたりはしない。久しぶりユーリ」
ボクたちはその後、ユーリの大きな背中に乗せてもらい、ウェルフィアの王国へと案内された。
その島は今まで見てきたどの島よりも神秘的だった。
島の中に無数に生える木々に咲く花の色は全てが淡いピンク色で、銀色の光る実を成している。
他にも巨大な湖に、いくつも天へと巨大に聳え立つ崖があり、ピンク色の雲で覆われているその島には数々の島からやって来ただろうウェルフィアの姿もあった。
まぁ、アートゥ以外のウェルフィアのボクに対する反応は相変わらずだったけど。
かつて魔王に作られたウェルフィアたちは、その子孫に渡っても長いこと人間との戦争を繰り返してきたが、いつしか時代は流れ、人間とウェルフィアの共存時代へと突入した。
そして現在、ウェルフィアは人間から離れて静かにひっそりと暮らしている。
この先、時代がどのように変化しようと、人間とウェルフィアがともに暮らす時代はもう訪れないだろう。
「それじゃあアートゥ。これで永遠にさよならだ。ウェルフィアはウェルフィアの世界で生きて、ボクたちはボクたちの世界で生きていくよ。だけど、ボクはずっとお前の幸せを願ってるよ」
「バイバイ。元気でねユーリ」
もうウェルフィアにボクたち人間の存在は必要ない。
そして、ボクたち人間もウェルフィアに頼らず生きていく世の中となった。
ボクたちは直した船で海へと出る。
いつしか人の中でウェルフィアは本当に絶滅したことになり、そして忘れ去られていくだろう。
人にはウェルフィアよりも短い寿命があり、当然次に生まれてくる子供たちはウェルフィアの存在を知らない。
だけどボクは、この先何百何千年と転生を繰り返して生きていく。
かつての親友の記憶、愛した者の記憶、ウェルフィアたちの記憶。
その全てをボクは忘れたくないし忘れない。
さぁ、次はどこへ旅しに行こうか。
完結。
ウェルフィア 融合 @BURNTHEWITCH600
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