第9話 リサの転落
翌朝、ロサンゼルスの空は鈍い灰色の雲に覆われ、重く沈んだ空気が漂っていた。音楽スタジオ「サウンドウェーブ」の周辺は、いつも通り静かな朝を迎えていた。だが、スタジオの一室では、異様な静けさが広がっていた。リサ・ホールデン、今をときめく若手アーティストの一人、彼女が床に冷たく倒れている姿が発見されたのだ。
音楽業界を席巻していた天才アーティストが、突然この世を去ったというニュースは、瞬く間に広がり、スタジオには警察が駆けつけていた。事件か、それとも事故か――誰もがその答えを求めていたが、現場にいた者たちの口から出てくる言葉は皆同じだった。
「彼女が…自殺したなんて、信じられない…」
警察が現場を検証する中、リサの周囲に異常な痕跡はほとんど見当たらなかった。スタジオ内の防犯カメラには、リサが最後にスタジオに入った映像が残されていたが、彼女の転落の瞬間は記録されていなかった。録音機材には、彼女が最後に歌ったと思われる音声ファイルが残されていたが、その内容は単調なものだった。
リサの死因は、高所からの転落によるものと見られ、現場にいた警察官たちは、彼女が薬物を摂取していた可能性もあると考え始めていた。床に散らばる薬瓶や、リサの手元にあったガラス片がそれを示唆していたからだ。
「自殺でしょうか…」一人の警官が呟いた。
「そうかもしれない。しかし、まだ決定的な証拠がない。」もう一人の警官が答えた。
その場に漂う不穏な空気の中、ドアが静かに開かれた。そこには、飄々とした風貌の男が立っていた。彼は古びたレインコートに身を包み、ぼんやりとした表情で室内を見渡している。彼こそが、ロサンゼルス警察の刑事、コロンボだった。
コロンボは部屋に入ると、無言のまま現場をじっと観察し始めた。リサが倒れていた場所、散乱した薬瓶、そしてスタジオの録音機材。彼はその一つ一つに目を走らせ、何かを感じ取っているようだった。周囲の警察官たちは彼の姿を見て、自然と道を開ける。
「おはようございます。いやぁ、今日はちょっと寒いですねぇ…」
コロンボはいつものように軽い調子で挨拶をしながら、リサの遺体に近づいた。彼はしゃがみ込み、リサの顔を見つめ、そしてその周囲を注意深く観察する。手元に残されたガラス片を拾い上げ、しばらく考え込むようにしてから、そっと元の場所に戻した。
「うーん…これはなかなか興味深いですねぇ…」
彼はぼんやりとつぶやくと、次に録音機材の方に歩み寄った。スタジオの中心に設置された機材は、まるで沈黙の証人のようにそこに佇んでいた。コロンボはその機材をじっと見つめ、何かを確かめるかのように触れる。
「これが…リサさんの最後の仕事だったんですかねぇ?」
コロンボは機材のスイッチを入れ、リサの最後の録音を再生し始めた。スタジオ内に、彼女の歌声が流れ出す。しかし、その音には何か不自然なものがあった。録音された音声は途切れ途切れで、リサがどこか混乱しているかのように聞こえた。彼女の声は震え、次第に掠れ、やがて途切れていった。
「これは…ただの自殺じゃないですねぇ…」
コロンボは静かにそう呟いた。彼の表情はぼんやりとしたままだが、その目には鋭い光が宿っていた。彼は確信していた。何かがこのスタジオで起こったのだと。そして、その何かを隠しているのは、この音そのものに違いない。
「何かがこの音の中に隠されている…その何かを見つけないといけませんねぇ。」
彼は再び録音機材を調べ始めた。手元のスイッチ、フェーダー、ケーブル。すべてを細かく確認していく。次第に、彼の顔に微かな違和感が浮かび上がってきた。
「ここだ…ここに何かある。」
コロンボはその場に立ち尽くし、しばらくの間黙って考え込んでいた。音に仕組まれた何かがある。それを暴かねば、真実にはたどり着けない。
「音が…何かを語っているんですよ、リサさんは。」
彼は小さく呟くと、ゆっくりと部屋の中を歩き始めた。そして、ふと立ち止まり、録音機材のケーブルに目をやった。その一部に、微妙なズレがあるのを発見したのだ。わずかに動かされた痕跡。それは、この部屋に何者かが来たことを示していた。
「誰かが…この音を操作したんだ。」
コロンボの顔には確信が浮かび上がっていた。事件は自殺ではない。何者かがこの音を利用して、完璧な罠を仕掛けたのだ。コロンボはその罠を暴くため、さらなる調査に乗り出す決意を固めた。
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次回予告
天才アーティスト、リサ・ホールデンの不可解な死。警察が自殺と判断しようとする中、刑事コロンボは音に隠された真実に気づき始める。音響機材に仕組まれた罠、そして音が語る隠された謎――次回、コロンボはその巧妙な罠に挑む!
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