狛犬屋の日常

@shiki-tea

プロローグ 異界

 世界は、これ以上ないほどに発展した。

 自然という自然は、どこを見ても見当たらない。せいぜい道に5メートル間隔で置かれる街路樹や、個人で育てている観葉植物くらいにしか確認できないほど激減してしまった。

 小さな会社でも産業用ロボットを10体以上持っているのが当たり前の光景になり、街のいたるところでもガイドロボットを見かけるようになった。車やバイク、電車は地上すれすれを滞空するようになり、浮遊車ホバーライドと呼ばれるようになった。

 軍や警察が携帯する武器には高温度のエネルギー弾と静電ブレードが使われるようになったし、一日の天気を完璧に当てられるようになった。それほどまでに、人類の持つ技術は発展していた。少なくとも40年前に起こったあの厄災までは。

 突如異界の穴が開き、未確認のバケモノが街で暴れ、脈打つ未知の物質が触れるもの全てを鉱物化させることで多くの人、動物、建物、都市の半分を飲み込んだ。これにより人々は多くの技術を失い、文明が20年以上に渡るほどにまで後退した。

 世界の有識者たちは未確認の災害、生物、物体をそれぞれ『異界アビス』、『異端者スピーシア』、『浸食結晶』と名付け、人類は常に隣り合わせる危険に怯えて日々を過ごすことを余儀なくされた……。

 これはこの終末世界を逞しく生きる人々と、ある傭兵団の物語である。



「それで?今日あのゴミ溜めで掘るのはどのスポットなんだ?」

 生ごみの湿っぽい臭いが漂う暗い路地裏で、黒いスーツとフェドラー帽を着込んだ妙に雰囲気のある男が、電子タバコを吸いながら、隣のバンダナを頭に巻いた盗賊似の運び屋に聞く。どうやら内緒話の最中らしい。運び屋は感情の読めない、死んだ魚のような顔で男のほうへ視線を返し、答えた。

「……錆鯖街・西郊外跡地周辺の異界アビスだ。どうやらそこでいくつかの良質な資源が見つかったようでな」

 西郊外跡地、と聞いて男の眉間にしわが寄る。

「西郊外跡地か……。あまり行きたくない場所だが大丈夫なんだろうな?」

「もちろんだ、道中は俺が先導し、護衛にはうちの傭兵をつける。バケモノの異常個体と出くわさない限りは安心さ」

「お前らのつける護衛が信頼できるほどのものかは疑問だが。まあいい、資源の選別は任せろ。案内してくれ」


―Φ∑ΖβθΔι―


『着いたぞ。西郊外跡地周辺、異界アビスへの「穴」だ』

 ワゴン型の浮遊車ホバーライドのハンドル近くから砂嵐と共に流れる通信機の声を聴き、男は車両から部下に降ろしてもらう。辺りを見回すと獣が爪で付けたような傷跡と火災跡、そして浸食結晶だらけのマンションや一軒家が見られ、そこが以前はそこそこに栄えていたこと、そしてそれが異界アビスの脅威により街としての役目を終えたことがうかがえた。男はそのあまりの気味悪さに医師がつけるようなペストマスクをつけた。

「この街での7年前の異界アビス天災の話は聞いていたが、ここまでとはな。ある程度は撤去だの後片付けをされたようだが、依然近づきたくはない場所だ。こんな仕事じゃなければ来ることもなかっただろうに」

 運び屋は男の隣に並びながら、相変わらず感情の読めない表情で近くに砕けていたもう二度と脈打つことのない浸食結晶を拾い、掌でもてあそぶ。

「そう冷たいことを言うな。どちらも上からの仕事なのだからお互い様だろう。痛み分けと行こうじゃないか。俺たちはただの被害者なのだから」

 運び屋が男に話しているうちに男の部下と運び屋の部下、それぞれが安全確認を終え、二人に指示を仰いだ。

 男が運び屋を見下ろし、運び屋が頷く。

異界アビスに入るぞ」


光の灯らない暗闇の中をイルミネイトロボット(近くの空間を比較的光度と光量のあるLEDにより周囲を照らすロボット。ここでは浮いている物を指す)でなんとか視界を確保しながら進む。異界アビスの中は先ほどから得も言えぬ冷気のような何かに包まれていて、男は最初の嫌な予感が的中するような暗雲が立ち込めるような感覚を味わっていた。

「……やけにうすら寒いな。俺はあまり異界アビスに入った経験がないから知識がとぼしいのだが、異界アビスはいつもこんな感じなのか?」

先ほどから剥がせない薄皮のようにペストマスクを身に着けている男は、自分の中を徐々に蝕んでいく恐怖から目を逸らすように運び屋に聞いた。

「あぁ、アビスの中には熱源もなければ光源もない。つまり異界アビス全体で見ればごく少量のエネルギーしかないわけだ。あんたらが普段仕事をしている安全区域セーフゾーンや地上ならそんなことはないがな」

「丁寧な説明ありがとう。狡猾なる『狐狸こり』からの知識、大切に胸の中にしまっておこう」

 男は指で眉間をつまみながらあくまで気丈に答えた。

ふと、運び屋たちが止まったのに気づいて、男も自分の部下に「止まれ」とハンドサインを出した。男が何事かと運び屋に声をかける。

「どうした」

「見つけた、浸食結晶で作られらた鉱石だ」

「ほんとか!」

 運び屋は碧黒いその巨大な鉱石の塊の一端を小さなピッケルでたたき割ると高倍率ルーペで確認し始めた。

「ふむ、純度はざっと70%くらいか。この塊を全て採れば軽く豪邸が5軒建てられるな」

「これはすごい……。やはりお前たちに頼んで良かった。ここからは俺たちが選別しよう」

 運び屋は鋭く冷たい目で男を一瞥し、何事もなかったかのようにそっぽをむいて歩き始めた。

「では、荷物持ちの運び屋は見張りでもしておこう。早めに終わらせろよ。じゃないとバケモノが寄ってくるからな」

「わかった、わかった」

 男はもう目の前のお宝にしか興味がないと言ったように部下に指示を出して鉱石を掘り始めた。

 だが、男は徐々に疑問を抱き始めた。なぜ運び屋たちは自分たちから離れて行ったのか。今回、男は『狐狸』たちに異界アビスのスポットの案内と物資の運搬を任せていたはずである。なのになぜ今運び屋は離れていったのか。そして男はさっきから視線を嗅ぎ取っていた。今すぐにでも侵入者を喰らわんとする、その視線を。

 まさかと振り返った瞬間、男たちの目の前には長く太い後ろ足で直立する、三つ目の異形が立っていた。

「す、異端者スピーシア……!」

 悲鳴が轟く。


 一方仕事を終えた運び屋とその部下たちは異界アビスの中を悠々と歩いていた。

跳蝗ホッパー。長く、太く発達した強靭な後ろ足と鋭いかぎ爪、ノズルのような円形のくちと三つ目が特徴のバケモノ。数が集まらなければそこまで脅威になるバケモノではないが、繁殖期は別。多くの個体で集団を作り、卵を守るため普段より凶悪性が増す。だがその卵に使われる結晶は純度が高く高値で取引される。だからこの時期は探索隊が無理に採ろうとしてその多くが犠牲になるんだが……」

 男は先ほど悲鳴聞こえた空洞に目をやると盛大にため息をついた。

「まさかそんな常識も知らずに引っかかるとは、さすが箱入り企業と言ったところ。忠告もしたと言うのにな」

 男は鑑定するふりをしてくすねてきた卵のかけらを嘗め回すように見て、誰に聞かせるでもなく呟いた。

異界アビスでの心得その14、跳蝗ホッパーの卵には手を出さないこと。異界アビスでの心得その1……」

 運び屋はそこで初めて笑った。その性根の腐った笑顔を、正常な人が浮かべる笑みとして見れるかは別だが、確かに笑った。いや、嗤った。

「……『狐狸』とは何があっても関わらないこと」

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