企画参加
@shino4869lp
心境に コーヒー温もり 渡り鳥
つい3ヶ月前のこと。長年勤めていた職場をクビになった。上の不祥事が公になり、業種もほとんど異なる別企業に買収された際に行われた、大量の人員削減によるものだった。
こんな社会が嫌になって、転職活動もせずに毎日のように酒を呷(あお)るだらしの無い姿を見て“いよいよ”愛想が尽きたのか、先日、嫁と子供にも逃げられた。片方の欄が埋まっている離婚届が俺に現実を突きつける。
それから数日後。独身時代に趣味で買っていたキャンピングカーで、遠出をすることにした。子供が小学校に通っていた頃に乗ったのが最後だから、大体5年ぶりの運転だった。幸い何処も壊れておらず、むしろ「待ってました」と言わんばかりに元気よくエンジン音がガレージに木霊して鳴り響いた。この無垢で馬鹿な車に対し、俺は思わず鼻で笑った。一瞬だけだったが、暗く淀んでいた心の奥に、少しだけ光が当たった気がした。
遠出と言っても、目的地は決めていない。養育費を差し引いても貯金はそれなりにあるので、ただ適当に、気の向くままに、まるで渡り鳥のように移動していた。
いや、渡り鳥の方がまだ偉い。彼らは目的があるから、あれだけの大移動をしている。対して俺はどうか。キャンピングカーで自由気ままに外に出たはいいものの、肝心の、何をしたいのか、が不透明なままだ。『光が当たった』など、烏滸がましい幻想でしかなかったと気づかされた。こんなガキのような楽観主義ぶりを、嫁は感じ取っていたのだろうか。
普段あまり飲まない微糖のコーヒーを一口。まだ太陽も明るい午前中。運転をするのでビールを飲めないのが残念だが、これはこれで趣があって良かった。その日の夜に訪れた名前も知らない銭湯で、名前も知らない誰かと軽く話をするのもまぁそれなりに良かった。
こんな事を3日ぐらい続けていた頃、せっかくだから、と某県の山奥にあるキャンプ場に繰り出した。車内に常備していたタープテントを立てて、調理器具と、事前に近くのスーパーで適当に買ってきた材料を広げて、夕飯の支度を始める。鍋だ。理由はただシンプルに、具材を切って煮込むだけでできる簡単な料理だからだ。
いい感じにぐつぐつと具材たちが踊っている。頃合いだ。白菜を食らう。しんなりと、部分的にシャキッとしていて美味しい。味の付いた鍋の素を買ってきて正解だった。ネギを食らう。これもまた美味しい。中の辛味成分がそのまま甘味成分に変わっているのが分かる。辛くない。辛くないのに。
涙が出た。久々に自分で作った料理に感動しているわけではない。目的もなく彷徨っている今の自分の愚かさに、辟易しているのだ。離婚届を見た瞬間から、あるいは渡り鳥の偉さを思い出した時から分かっていたはずだ。自分という人間の程度が如何程かを。どっちが馬鹿だ。車を鼻で笑った3日前の自分をぶん殴ってやりたい。
そうだ。こんな野菜たちでさえ、鍋という狭い環境下で変化しているのだ。俺が変わらなくてどうするんだ。まずは嫁の実家に行こう。精一杯の謝罪をするんだ。変わろう。まずは、私自身が。
企画参加 @shino4869lp
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。企画参加の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます