第二十二集:最終話「守りたい人を守れるように強くあれ」

 欒山らんざんで待機せざるを得ない琅雲ランユン達の頭上を、友人達と共に禍々しいものが通っていった。

 雨で視界が悪い中、淡く光る羽衣が目に映った。

「あれ……、杏花シンファよ! 瑞雲ルイユン菫鸞ジンランもいる」

 茜耀チィェンイャォが叫んだ。

「瘴気をまき散らしているのは誰なんだ。隣にいるのは……、扶光フーグゥァン

 如昴ルーマオの瞳孔が開く。

若蓉ルォロンがいない。どうなってるの」

 柔桑ロウサン莅月リーユェを支えながら呟いた。

 その時だった。

 重なる唸り声。

「鬼だ……。それも、鬼幻きげん祭祀とは比べ物にならないほどの」

 如昴ルーマオが剣を抜く。

 霊力の無い身体では、数分ももたないだろう。

 それでも、構えた。

「来世でも許嫁になれるかしら」

 茜耀チィェンイャォが横に立つ。

「お前たちは下がっていろ」

 ジン 宇津ユージンレイ 梓睿ズールイが武器を構えた。

 鬼が血の臭いにつられ、走り出す。

 あまりに不利な戦いが始まった。

「おや、琅雲ランユン。剣をもってしてその程度ですか」

 琅雲ランユンに斬りかかろうとした鬼を制し、青鸞チンルゥァンは瞳孔の開いた目で周囲を見渡した。

青鸞チンルゥァン兄さんこそ、腕が下がっていますよ」

 青鸞チンルゥァンを狙った射手を斬り伏せながら、琅雲ランユンは乱戦に身を投じる。

 親友二人は背中を合わせ、鼓舞しあった。

 若くして宗主とならざるを得なかった二人が必死で隠してきた苦悩や焦燥、努力や涙の思い出が、走馬灯のように駆け巡る。

 それが新たな思い出の為の布石となるよう、青鸞チンルゥァンは拳を、琅雲ランユンは剣を奮い続けた。

 如昴ルーマオ茜耀チィェンイャォ柔桑ロウサンは、莅月リーユェを守るように円になって戦っている。

「私のことはいいから!」

莅月リーユェを放っておいたら、杏花シンファが怒るだろうからね」

 柔桑ロウサンが鬼の腕を斬り落とす。

「あなたは立て直すのよ。藤陵とうりょう フォン氏の汚名をそそぎ、藤陵とうりょうで暮らす人々を支えなければ」

 茜耀チィェンイャォは弓に持ち替え、上空を飛び交う異形の鬼を撃ち落していく。

「それには我々の力が必要だろう。みんな、必ず生きてあの三人を助けに行くんだ」

 如昴ルーマオの剣が鬼の胴体を斜めに斬り裂いた。

 血の臭いが濃くなっていく。

 陽が落ちれば、鬼だけではなく妖邪の類まで集まってくる。

 雨は強くなり、足元がぬかるむ。

 鬼のすいを受け、如昴ルーマオが膝をつく。

 茜耀チィェンイャォは射貫こうと弓を構えるも、血で指が滑り上手くいかない。

 柔桑ロウサンは額に受けた傷からの流血で、視界が狭まる。

 三人に襲い掛かる鬼の集団に、莅月リーユェが叫ぼうとしたその瞬間。

 白銀の光が横切った。

鴉雛あすう、消せ得ぬ炎で焼き尽くせ!」

 鮮やかな朱色の炎が鬼の硬い皮膚を焦がし、その動きを鈍化させる。

 鬼の軍団と法霊武林ほうれいぶりん軍の間に、巨大な九尾の狐に乗った少年が立ちはだかった。

朱蓮ヂュリィェン!」

 莅月リーユェが身体を起しながら叫んだ。

「遅れてごめんなさい。扶桑ふそうを取り囲んでいた人達を避けて走るのに手間取っちゃって」

 朱蓮ヂュリィェン鴉雛あすうから降り、刀を引き抜いた。

「父が皇宮を守り、ここへはニー氏の兵を片付けた兄と母がもうすぐ到着します。それまで持ちこたえましょう」

 朱蓮ヂュリィェン仙力せんりょくの渦を全員に送った。

 分け与えられた霊力はそこまで多くは無いが、全員の士気を取り戻すには充分だった。

 その頃、祥暁庵しょうぎょうあんを出発した五人の眼下では、鬼の大軍が列をなして皇宮に向かい進軍していた。

「この辺りに埋まっているか弱い遺体も、指輪の力を使って起尸鬼ノ法きしきのほうを使えば立派な鬼になる。すごいでしょう?」

 杏花シンファ瑞雲ルイユン菫鸞ジンランの後ろで扶光フーグゥァンは楽しそうに地上を見ている。

「あ、また遺体が増えたよ。鬼にしちゃおう」

 行軍に巻き込まれた人々が、次々と鬼に変えられていく。

「下衆野郎」

 菫鸞ジンラン扶光フーグゥァンを振り返り、睨みつけた。

「良家の子供は悪意ある語彙力に乏しいね。その点、隆戦ロンヂャンは優秀だったけれど」

 杏花シンファの頭に、最悪の答えがよぎった。

イン宗主に鏡の器を渡したのって」

「もちろん私だよ」

 三人は前を向き、手を繋いだ。

 この恐ろしい出来事を、乗り越えるために。

 刹那、鬼を薙ぎ払う矛の切っ先が見えた。

「ゆ、ユー リィェン先生……?」

 その隣には、天宮閣てんきゅうかく閣主かくしゅジンチェンも立っている。

 三人は言葉が出なかった。

 廃帝は地上を俯瞰しながら言う。

「私の前に立ちはだかる羽虫共……。祥王、奴らは何者だ」

「あれは法霊雅学ほうれいががくの教師達です。いったい、何故ここに……」

 ジンチェンは廃帝と扶光フーグゥァンを見つめ、微笑んだ。

天宮閣てんきゅうかくの名前の由来をご存知ないのかな? 天宮てんきゅうとはすなわち天帝のおわすところ。つまり、そういうことです」

 ジンチェンは微笑みながら飛ぶ。

 その背には、羽衣はごろも

桃薬天女とうやくてんにょ様、遅れてすみません。崑崙山こんろんさんの老人達を説得するのに時間がかかってしまいました」

 杏花シンファの目に涙が浮かんだ。

 優しくてあたたかな母の姿が、そこにはあった。

「お師匠様方が元気に議論できるのは良いことよ」

 桃花タオファ杏花シンファを見て微笑み、頷いた。

 ジンチェン桃花タオファ欒山らんざんを包むと、仙力せんりょくの風を巻き起こした。

 鬼の軍団と死闘を繰り広げていた法霊武林ほうれいぶりん軍に、光が降り注ぐ。

「こ、これは……」

 琅雲ランユン達に霊力が戻っていく。

 もちろん、杏花シンファ達にも。

 直後、轟音が鳴り響いた。

「反撃ですよ」

 青鸞チンルゥァンの剛腕が鬼を吹き飛ばしていく。

如昴ルーマオ達は瑞雲ルイユン達の元へ!」

 琅雲ランユンの声に、力を取り戻した学友組が駆けだした。

 その上空を、稲妻のような白い龍が通り過ぎていく。

杏花シンファ! 無事か」

「お兄ちゃん!」

 突如現れた白龍に、扶光フーグゥァンは目を見開いた。

「ここは式神封じの有効範囲内のはず……。何故あの龍がここにいる!」

 杏花シンファは笑いながら答えた。

「私は一度たりとも兄の白龍を『式神』なんて言ったことはないけれど。あの子は神龍。いずれ神となる龍の赤ちゃんだよ」

 白龍が咆哮する。

 扶光フーグゥァンが張っていた式神封じの陣が破れ、粉々になった。

蒼蓮ツァンリィェンは「俺は琅雲ランユン達の元へ行く」と、すぐに白龍と向かって行く。

杏花シンファは瞳を強く光らせ、梅園を呼び出した。

「白梅は瑞雲ルイユンと、紅梅は菫鸞ジンランと。青梅、あなたは私と来るの」

 絶望が、書き変わっていく。

「形勢逆転したつもり……」

 扶光フーグゥァンの腹部に、菫鸞ジンランの拳が深く突き刺さる。

「かはっ」

 口から血があふれ出した。

 扶光フーグゥァンは目を見開き、右手をかざす。

「は? 無理なんだけど」

 菫鸞ジンラン扶光フーグゥァンの右腕をへし折り、その身体を蹴って地面へ叩き落とした。

扶光フーグゥァンが私の相手になるとは思えないけれど、でも言っておく。お前の相手は私だよ」

 扶光フーグゥァンは折れた右腕を掴みながら地面に触れ、次々と鬼を作り出した。

「自分の槍を使えば?」

 菫鸞ジンランの拳が鬼の頭を粉砕していく。

 そこへ、学友組が到着した。

「良いところに来られたようだ」

 如昴ルーマオは剣を構え、増え続ける鬼と対峙した。

「そっちは頼むね」

 菫鸞ジンランが微笑み、拳を振りかざした。

 際限なく溢れ続ける悪意に、友人達が果敢に立ち向かっている。

「私達も」

 瑞雲ルイユンが頷き、剣を抜いた。

 杏花シンファも抜刀し、廃帝に斬りかかる。

「あなたの相手は私」

「小娘、図に乗るなよ」

 廃帝の合図に、翼を持つ異形の鬼の軍団が集まってきた。

「私に任せろ」

 瑞雲ルイユンが空を駆け、斬り伏せていく。

 十体、二十体、四十体。

 有翼の鬼達は正面から瑞雲ルイユンと戦うことをやめ、地上へ向けて矢を射始めた。

 菫鸞ジンラン達が狙われている。

 瑞雲ルイユンは刃に霊力を纏わせ、刃衝波じんしょうはを放った。

 有翼の鬼達は自身の身体が宙に浮いているのを、斬り落とされた首と共に落下しながら見た。

「この程度で浮つくな」

 杏花シンファへ廃帝の剣が振り下ろされる。

 しかしそれは杏花シンファの頭上で止まり、動かなくなった。

「卑怯なことを言うけれど、あなたの身体となった若蓉ルォロンに、私は殺せない」

 刹那、剣光が奔る。

 それは廃帝の背を裂き、続けて斬り上げた刃はその右腕を斬り落とした。

「う、あ」

 瑞雲ルイユンの目が、残った身体を睨みつける。

 しかし、廃帝の目はまだ嗤っている。

 皇宮を視界に捉え、口元を歪める。

「腕など、とうの昔に灰になっておるわ」

 傷口から赤煙せきえんが溢れ出し、その身体を修復していく。

「私が纏う怨念がどれほどのものだと思っておる」

 廃帝は地上を見た。

 鬼に守られながら口から血を流す我が子を手元に引き寄せた。

「ち、ちち、うえ」

「お前を愛している。共に生きよう、祥王」

 赤煙が扶光フーグゥァンの身体を包み、廃帝の中へと吸収していく。

 廃帝の右手薬指に、琰櫻えんおうの指輪。

「私の血だ。私の、私の全てを感じる」

 赤い蝶が舞う。

 鮮血のように、赤い蝶。

「霊力も、命も、両方頂こう」

 蝶は群れを成して菫鸞ジンラン達に向かっていく。

 瑞雲ルイユンの肩にとまろうと、蝶が舞っている。

 このままでは、愛する人達を、すべて失う。

「やめて……、やめて」

 杏花シンファの心が砕け散り、直後、その身体を仙力せんりょくの旋風と黒い稲妻が包んだ。

 稲妻は蝶を貫き、消していく。

「やめてと、言っているでしょう」

 黒い仙力せんりょくに反応した左腕の霊力花れいりょくか炎珠杏華えんじゅきょうかが満開に咲き誇った。

杏花シンファ……」

 純白の、曼殊沙華に似た根霊界こんれいかいの毒花。

「あなたは私と殺り合いましょう」

「心弱き者か。浮かんでは消える死への欲求がこうも美しいとは。見事だ、小娘」

 廃帝の言葉に、瑞雲ルイユンの表情が悲痛なものに変化していく。

 杏花シンファは今一度刀を握り、廃帝と刃を交えた。

「これは死への欲求じゃない」

 十合、二十合、三十合と、斬り結んでいく。

「じゃあなんだというのだ」

 五十、六十。

 白と赤の閃光が空に奔る。

「共に生きるという、愛しい人への誓いの証」

 瑞雲ルイユンの目に、強烈な光が宿った。

「迎えに行く」

 瑞雲ルイユンはそう呟くと、地上の戦いへと向かって行った。

「そんな不確かな戯言で何が証明できる。何を誓えるというのだ」

 百、百二十。

「守りたい人を守れるよう、強くあるために、努力し続けるっていう誓いと証明」

 百五十、百七十。

「ここで死に、全ての誓いを放棄せよ」

 百九十。

「私は諦めない。誰のことも、自分のことも」

 二百合目、廃帝の剣が杏花きょうか刀の力の前に弾けて折れた。

 そして、その勢いを止めることなく、杏花シンファは廃帝の右手を斬り落とした。

「みんな! その指輪、全員で壊して!」

 学友組は頷き、全員の武器を指輪に突き立て、霊力を纏わせた。

菫鸞ジンラン

 瑞雲ルイユンと頷き合った菫鸞ジンランは跳び上がり、その拳で武器を上から殴りつけた。

 金属が破裂する音が突風のように響き、その音波は鬼達を消し去っていった。

 赤煙が廃帝から漏れ出し、滝のように地面を染めていく。

「これで、あなたの身体はすべてこの世から消え去る。もう、形を留めてはいられないでしょう」

「そんな……」

 杏花シンファは徐々にむき出しになっていく頭蓋骨に刀を当て、呟く。

「あなたの人生は悲惨だった。でも、息子や弟の子孫の生涯まで巻き込む必要はなかったんだよ」

 刀に力を込め、突き刺す。

 そのまま捻り、頭蓋骨を破壊した。

「終わった……」

 杏花シンファの身体から力が抜ける。

 でも、落ちなかった。

 複数の腕が、身体の下にある。

「おいおい、まだ怪我するつもりか」

 如昴ルーマオが笑う。

「あなたの方が重傷だわ」

 茜耀チィェンイャォが微笑む。

「みんな血だらけだね」

 柔桑ロウサンが溜息をつく。

「まずは休憩だよ。甘いものが食べたいな」

 菫鸞ジンランが可憐な笑みを浮かべる。

 そして、瑞雲ルイユンが言う。

「おかえり、杏花シンファ

「ただいま、みんな」

 ゆっくりと地面へ降りていく。

 地上では莅月リーユェが泣いていた。

「みんな、無事で、よかったぁ」

 杏花シンファがその身体を抱きしめ、「もう大丈夫だよ」と囁いた。


 その後、欒山らんざんでの激闘を終えた宗主達、シン兄弟、ジンチェンユー リィェン杏花シンファ達の元へやってきた。

「お母さんはお父さんのところだよ」

 朱蓮ヂュリィェン鴉雛あすうの背にもたれながら言った。

 まだ子供でありながら、姉の友人を守るために命がけで戦った。

 相当疲れただろう。

 杏花シンファはその髪を優しくなでた。

「つまり両親は皇宮にいる、と。ほら、みんな並べ! 治療するぞ」

 蒼蓮ツァンリィェンが「白梅を貸せ」と言い、重傷者から地面に座らせ始めた。

「お前たちも例外じゃないぞ」

 弟達に駆け寄ろうとしていた琅雲ランユン青鸞チンルゥァンは、蒼蓮ツァンリィェンに凝視されて困ったように微笑んだ。

 学友組は輪になり、同時に地面へとへたり込んだ。

「さすがにもう無理。おとなしく手当てされたい」

 菫鸞ジンランの拳と足首には幾重にも布が巻かれている。

 身体が武器のシュェ氏の怪我は杏花シンファ達の比ではない。

菫鸞ジンラン……」

「こっちの台詞だよ」

 杏花シンファはまだ何も言っていないのに、菫鸞ジンランが溜息をついた。

「……心配したんだよ」

 菫鸞ジンランの頬を涙が伝う。

「さっきのは?」

「あれは、仙力せんりょくが……」

 菫鸞ジンランは「違う!」と叫んだ。

「お寺でのことだよ! どうして霊力を封じるなんてことしたの? 私がそれを望むとでも?」

 杏花シンファの目にも涙が浮かぶ。

「だって、菫鸞ジンランが死んじゃうの嫌だったんだもん」

「そんなの、私も同じだもん」

 二人は緊張の糸が切れたように泣き出した。

「二人とも朱蓮ヂュリィェンよりも子供ね」

 茜耀チィェンイャォ如昴ルーマオが優しい笑みで二人を見る。

「私も怖かった」

 杏花シンファ菫鸞ジンランを見つめ、瑞雲ルイユンが表情も変えず泣き出した。

「え、あ、どうしよう。えっと、あの、ごめんね。捕まって本当に、ごめんね」

「私も、その、ごめんね。でも、ほら、腕に仙力せんりょくを溜めていたし、無事だったから、ね」

リン公子若君を泣かしたぁ」

 柔桑ロウサンが楽しそうに言った。

「三人で解決しておけよ。私達はそろそろ治療される順番が来たようだから」

 如昴ルーマオ達四人は呼ばれるがまま蒼蓮ツァンリィェンの元へと歩いて行った。

「二人とも、これからは安全に過ごしてくれ」

 瑞雲ルイユンは袖で涙を拭い、杏花シンファ菫鸞ジンランを交互に見た。

「うん。そうする。絶対」

「私も。お嫁さんらしくする」

 でも、と、二人は瑞雲ルイユンを見た。

瑞雲ルイユンも霊力を封じたんだよ」

「同罪だね」

 三人は顔を見合わせ、笑いだした。

 夏の夕陽が大地を照らす。

 これからの日々を、あたたかく彩るように。

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花風天翔 智郷めぐる @yoakenobannin

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