エピローグ


 ーー半年後




 ジメジメとした湿気を纏う空気が、部屋中を満たしている。開け放たれた窓の外はオレンジと紫のグラデーションが広がっていて、更にはひぐらしの鳴き声も運ばれてきた。



「お疲れ様です、山本先輩。お先に失礼します」


「お疲れ様ー。気をつけて帰ってね」


「はい!」



 生徒会室にて、書記の子を見送り、私は再びパソコンと向き合う。その斜め前では颯が資料をまとめており、その手捌きはまるで職人技だった。そんな彼が、一瞬だけ私を見て、手は止めずに話しかけてくる。



「紗夜も、そろそろ終わりでいいんじゃないか」


「うーん。まだ職員会議に提出する資料が完成できてないから、もうちょっといるかな」


「頑張っているのは良いけど、働きすぎはダメですよ、生徒会長」


「分かってますよ、副会長さん」



 お互いにふふっと笑って、それから真剣に自分の仕事と向き合う。流れる沈黙。しばらくは時計の秒針の音だけが時を刻んでいた。その後、最後の文章を打ち終わり、間違いがないか念入りにチェックを終えて、ようやく腕を伸ばすことができた。



「ああー、つっかれた」


「だから言ったんだけど」



 いつの間にか帰り支度を始めていた颯が苦笑いをむけてきた。



「だってしょうがないじゃん。締め切り明後日だし」


「制服に関する校則改正だっけ?」


「そうそう。女子でもズボンを履くことを許可して欲しいって目安箱に入っててさ。それも結構な数」


「だから職員会議で先生たちに聞いてみる。そういうわけか」


「そうそう。決定するのは生徒総会の時なんだけどね」



 パソコンを閉じ、リュックに入れる。生徒会長となってからというもの、パソコンは必須アイテムになった。いつでも資料だからができる、とても便利なもの。



 さて帰ろうと椅子から立ち上がったところで、生徒会室の扉がノックされる。



(こんな時間に誰だろう?)



 疑問に思いつつ、明るい声で「どうぞ」と言うと、現れたのは1人の女の子だった。それも、白髪に赤みがかった瞳の、日本人には珍しい容姿をした子だ。もしかしたら、世界的に見ても珍しいかもしれない。おずおずと入ってきたその子は、小さな口を動かす。



「あの、生徒会長さんにお話があって……」


「私が生徒会長の山本紗夜です。どうしたの?」


「その、今、お時間よろしいですか?」


「もちろん」


「実は私、相談したいことが……」



 そこまでいったところで、思いとどまったのか、彼女は急に口を閉じた。かと思えば、「いや」と上擦った声を出す。



「や、やっぱりまた来ますっ!きゅ、急にごめんなさい。お時間ないですよね」



 踵を返そうとした彼女に、私は慌てて「待って」と言い放った。止められるとは思わなかったのか、びくっと体を震わせる。驚かせてしまったかもしれない。


「ごめんごめん。私なら、時間は全然大丈夫だから。貴方がいいなら、ここでその話、聞かせて欲しいな」


「えっ……。でも、本当に良いんですか?」


「うん。だって貴方、多分人がいなくなるまで待っててくれたんでしょう?」


「あ……っ」



 彼女の顔が赤くなる。図星ということだ。



「そこまで待っていてくれたんだから、いくらでも話を聞くよ」


「ほ、本当ですか!」


「もちろん。よければ、ここに座って」


「は、はいっ」



 時間を確認しようと振り返ると、先に颯の姿が視界に飛び込んでくる。呆れた、と言わんばかりの笑みは、一体何度この場所で見たことだろう。それでも付き合ってくれるのが、彼の優しさだ。



 今度こそ時計を見て、もう6時を過ぎていることを知る。おそらく今日も、警備員さんに閉じ込められそうになる始末だろう。でも、誰かのために動いているなら、それは悪くない。



 私は再び少女の方を向き、目を合わせる。



「それで、貴方の名前を聞いても良いかな?」


「あ、はいっ。翡翠ひすいです。涼風すずかぜ翡翠って言います」


「翡翠!すごく素敵な名前だね」



 素直な感想を伝えると、翡翠ちゃんはまた頬を赤く染めた。おそらく、先ほどとは違う理由で。



「えっと……その、何度もしつこいかもしれませんが……本当に、今、良いんですか?」


「もっちろん!だって──」



 脳裏に蘇るのは、私が生徒会長としてステージに上がった時の光景。自分と同じような境遇の人が、少しでも減らせるように。あの時、そんな願いの元、全校生徒に堂々と宣言したのだ。



「誰もが生きていて楽しい学校を作る。それが、私の役目だからね!」

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はみ出し者の私たち 葉名月 乃夜 @noya7825

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