TS娘と多能性幹細胞
中島しのぶ
では術式を開始する…。
見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
お父さんの遺品整理をしているときに、見つけたんだ。
わたしは安藤梓(アンドウ アズサ)。二十六歳、女性。医学部大学院の院生。
十日ほど前の二月二十八日、お父さんが肺がんで亡くなってしまった。俗名安藤更乙(アンドウ コウキ)、享年五十四。
研究ひとすじで自分の体調はそっちのけ――出続ける咳、息切れ。体重の減少と疲労感があるっていうのに――なので、わたしはお父さんを引きずるように病院に連れて行き、受診させたんだ。
そうしたら、診断結果は手が施せない末期がん。お医者さんから余命一ヶ月と告げられた――。
*
――親戚づきあいをしていないから大学関係者と、わたしのともだちだけの寂しいお葬式。
死亡届、死体火葬埋葬許可申請と世帯主変更届は市役所に。
大学へは死亡退職届、死亡退職金と最終給与、埋葬料の請求と社会保険証の返却。
近いうちにすませなければいけないのは、クレジットカードの停止、生命保険と入院保険の申請と、水道光熱費の名義変更くらいかな。
お母さんはわたしが幼い頃に亡くなってるし、きょうだいはいないから十日間で必要な手続きを一人で全部すませた。
あとは四十九日の法要と納骨。
四ヶ月以内に所得税の準確定申告。不動産の名義変更登記は三年以内……っていうけど、相続税の申告は十ヶ月以内にすませなきゃいけないから、いっぺんに三、四ヶ月以内にやってしまおう。
お葬式では涙が出なかったわたし。参列者には冷たい子だと思われたかな。
手続きが一段落し、誰もいない自宅。一人っきりになったのに気がつき、声が枯れるまで泣いた……。
ひとしきり泣いて遺品整理も始めなくっちゃね、とお父さんの部屋に入る。
几帳面な性格を表すように、部屋は片付ける必要なんてないくらい整理整頓されている。
空になったベッドを見て、また涙がこみ上げそうになったけど、サイドテーブルに置いてある闘病中に書いていたと思われるノート――看病中には気づかなかった――を見つけた。
ちょっと悪いかなとは思ったけど、なにを考えていたのかを知りたくなりページをパラパラとめくる。その日なにがあったかを記録してあった。まぁ日記みたいなものね。
入院し始めたころは、朝五時に起こされたが朝日の光が綺麗だったとか、病院食は不味いだとか他愛のないことが書かれていた。
けれど、抗がん剤の点滴が三日間連続で行われ、終わったあとに腕が痺れて吐き気もひどいと。これは抗がん剤の副作用――進行を遅らせ、症状を緩和し生命を長らえることを目的として行われる――つらかったろうな……。
毎日のようにわたしが見舞いに来るので、大学にはちゃんと行っているのだろうか、研究は進んでいるだろうかとわたしの心配ばかり。
ほかにも研究以外のことが、暇な時間を潰すかのように。
数週間分を読み進めていくと体調も悪化し、体力も衰え手に力が入らないらしく、みみずのような字になってはいたけどある程度は読めた。
二月十八日になると、もはやみみずのような字とはいえない、ただの線の集まり。文字か記号が書いてある……ように見えるけど読めない。
そういえばこの日あたりに最後は家で過ごしたい、とお父さんが望んだから退院したんだ。お医者さんから環境が変わると急変するって聞いていたけど。
そして二月二十五日が最後の日記。線の集まり……それでも「生」か「壬」、「酉」や「再」に見える字が書かれている。
なにを言いたかったんだろう。なにを伝えたかったんだろう。
三日後の二十八日、余命の一ヶ月を待たずに体調が急変。お医者さんを呼んだ。
――酸素吸入で話もできず、逝ってしまった。号泣するわたしを残して。
日記が途切れ、次のページはドッグイアになっている。
長い文章が書いてあり、日付は三月十日――え? 今日だ――亡くなった十日後。
筆跡は最後の二週間のような字ではなく、入院前の元気だった頃の強くはっきりした文字。
手書きの学術論文を、わたしがPCの論文用テンプレートに入力するときに見ていたのと同じ字だった。
一体誰が? わたしじゃないし、これはどう見たってお父さんの字だ。ページには、後天性女子化症候群のことが書かれていた――。
「後天性女子化症候群」
五十年ほど前、この地方小都市で原因不明で流行り出した、思春期の男子が女子化してしまう病気。
初期段階では染色体異常による「クラインフェルター症候群」と疑われたが、末梢血染色体検査による精密検査を行うも染色体異常はみられなかった。
男性ホルモンである「テストステロン」は正常値以下となり、女性ホルモンの「黄体化ホルモン」と「卵胞刺激ホルモン」は高値を示し、「インスリン様因子3」は正常値以下、「インヒビンB」は測定感度以下となり、テストステロン補充療法も効果はなかった。
思春期の男子のみが四十度を超える発熱後に、数万分の一の確率で発症しその名称のとおり女子化――それもかなりの美少女――する。
何らかのトリガー(女子化因子)により女子化する者は、トリガーがなくなれば男子に戻る「可逆性」で、青年期になればほぼ九十九・九九パーセントは女子化することはない。
トリガーは千差万別、それこそ一人一人によって異なる。水や湯に濡れる、暑さ、寒さ。痛さや空腹感などが多い。
一方、何のトリガーもなく女子化する者は九十パーセント以上の確率で男子に戻れない「不可逆性」で、驚いたことに発症時の姿のまま年齢を重ねていく。こちらの症例は「後天性女子固定化症候群」として区別し、「TS(Trans Sexual)娘」とよんでいる――とはじまり、研究記録の箇条書きが続く。
最後にはお父さんにしてはめずらしく五、六行を使った「解明した!」の大きな文字が踊り、その下に『「■■■」は「■■■」の逆行と仮定し、胎児原基を「■■」させれば「■」の「■■」は戻せる』の一文。
重要な箇所がなぜか消されていて、意味がわからないよ……。
*
お父さんがなぜ 、後天性女子固定化症候群の研究を始めたかというと、思春期に女子固定化したわたしの身体を男に戻すため。内科医として勤めていた病院から出身大学に戻り、基礎研究医になったんだ。
治療方法はまだ見つかっていない。
初めての症例から数年で、女子化のメカニズム――テストステロン分泌を阻止し、精巣、精管、前立腺小室が、それぞれ卵巣、卵管、子宮になり、卵巣のエストロゲン分泌の閾値が高まり限界まで分泌される――だけは解明された。
わたしもお父さんと同じ研究室に入り、同じ研究をしているから行き詰まっていることを知っている。
文面からすると研究が完成……もしかしたら、女子固定化を戻す治療方法が解明したってこと?
でも肝心な部分が伏字じゃあねぇ……まるでわたしに研究を続けて、男に戻れという遺言のように思えた。
おそらく最初の「■■■」は「症候群」、「■」はわたしの名前、梓。最後の「■■」は「身体」だと推測できる。
『「症候群」は「■■■」の逆行と仮定し、胎児原基を「■■」させれば「梓」の「身体」は戻せる』――か。
でも今までの研究で、仮定の「■■■」や「■■」に該当する文言は思い当たらない。
はぁ……。
お父さんには悪いけど、わたしもう二十六歳だからなぁ……女の子になってから十年、このままでもいいんだけどなぁ〜悩むよねぇ……。
ほんと女子化した日は男に戻りたいって、お父さんに泣きついたんだよ。
でも、今は低身長でチッパイ、黒髪ロングの美少女の姿は結構気に入ってるし、お父さんも知っていたはず。
市の特別条例で戸籍上も女になってるし、今更男に戻れっていわれてもねぇ……。
いや、ちがう。お父さんはそんなことを望んじゃいないんだ。
わたしが研究を続け、TS娘になった男の子たちを戻すことなんだ。
次の日から、お父さんはいなくなっちゃったけど研究を再開した。
残してくれた日記を見返し、二月二十五日に書かれていた一文の「■■」が「再生」ということに気づく。
そして、仮定の「■■■」は「性分化」だという答えにたどり着いた。
『「症候群」は「性分化」の逆行と仮定し、胎児原基を「再生」させれば「梓」の「身体」は戻せる』――は、「女子化プロセスは、胎児原基の性分化過程をもう一度辿るようなもの」という学説に合致している。
一度性分化してしまった胎児原基はなくなってしまっているけど、再生させれば――。
これから何年、いや何十年かかるかわからない。けど、わたし遺志を継いで、望まずにTS娘になっちゃった子を男の子に戻してあげるんだ!
日記のページはやっぱりお父さんが書いたんだよね。
わたし、お父さんのすべての論文を読み漁ってたら、伏字になっていないメモが一編の論文に挟まってたのを見つけたんだ……わたしの答えは百点だった。
治療方法のヒントをつかんで、自分の余命が短いことを知ったとき、書き始めからちょうど一ヶ月後になるページに書いたんだね。
だけどお父さん。あともう一ページ分、長く生きてほしかったよ……。
*
泣いてなんていられない、思い出になんて浸ってられない。再生方法を考えなくっちゃね。
治療方法のヒント――胎児原基を再生させること――はわかった。
でもさ、胎児原基なんて受精卵(ヒト胚)にしかないじゃない? どうやったら再生させられるんだろう……。
胎児原基は受精卵が子宮内膜に着床(妊娠)してから三ヶ月くらいまでの、胚葉とよばれる臓器や器官のもととなる基礎を形づくっている細胞群だから、あまりに漠然としてるよね……。
第一受精した瞬間に、性染色体で性別は決定される。でも身体の性別が変わっちゃうから、女子化固定症候群は厄介なんだ。
女子化の進行過程――思春期の男子が四十度近い発熱後に女子化固定してしまう――は実際に観測されたことはない。誰にも。
わたしのように、十数人の固定化した発症例があるだけ。
未知のウィルス感染。ウィルスは五十年余を経た今でも検出されてない。
わたしの性染色体はXY、つまり男性。でも身体は女性。身体つきもそうだけど内性器、外性器もちゃんとある。あと、脳。精神もおそらくテストステロンの分泌がないから女性なんだろうな。
染色体による分化は完了しているから、胎児原基を再生させるってのは違うんじゃないかなぁ?
性染色体によって遺伝的な性が決まっても、すぐに女性、男性になるわけじゃなくって胚盤胞の生殖腺が、卵巣か精巣かに分かれないと性別は確定しない……。
受精卵が胚盤胞になるのは、通常五、六日間ほど。
受精後細胞分裂を繰り返して胚となり、順調に進むと五日目には胚盤胞になる。
四、五週目には生殖腺に分化する生殖腺原基が認められて、中には後に卵子か精子に発育していく始原生殖細胞も含まれている。
性の分化とは、生殖腺原基が男女どちらかになることだ。
内性器と外性器の分化。脳の分化を経て性別が確定する……。
そっか〜生殖腺原基を再生させれば、体細胞の性染色体(Y染色体)に基づいて、身体は男に戻る……かもね。
でも受精卵から生殖腺原基が発生するまで四、五週間……ヒト胚を実験に使用するんだけど、受精後十四日間以内の培養に留めることが各国のルールで求められているしなぁ……。
どうしたもんだろう……。
わたし一人で考えてても埒があかないよね。
*
『教授 一条瑛一』と書かれている部屋のサインプレートが『在室』になっているのを確認し、わたしは「失礼しま〜す」と、ドアをノックする。
「どうぞー」と応えがあり、ぺこりと挨拶し入室する。
「お、アズサちゃん。少しは落ち着いた?」と気軽に話してくれる。
「今日はどしたの? 四十九日の相談かな?」
葬儀から、まだ一ヶ月も経っていないことを心配してくれているんだろう。
一条教授はお父さんの大学時代の親友。コウキ、エイイチと呼び合うほどの仲だった。
後天性女子固定化症候群の研究を希望する父を、自分の研究室に基礎研究医として迎えてくれた人だ。もちろんわたしが高校生で女子固定化したTS娘だということも知っている。
教授にも息子がいて、わたしの幼馴染でもある。今も同じ大学で、お互い医師を目指している。
「え、ええ。大丈夫です。
それより教授、父が遺したあの日記とメモのことなんですけど――」
「再生」はわたしが手書きの癖から見つけたんだけど、『仮定の「■■■」は「性分化」じゃないか?』と、ヒントをくれたのは一条教授なんだ。
わたしは女子化プロセスの学説と、お父さんの治療方法のヒントについて再生させるのは漠然としている胎児原基ではなく、生殖腺原基ではないかと疑問を教授に投げた。
生殖腺原基をどうやって再生させられるか。
受精卵から生殖腺原基になるまで四、五週間。十四日間以内の培養に留めるルールでは不可能。
ルールに従って、生殖腺原基にまでどうやって培養するか。
できたとしても、その先の治療方法は?
*
「そうだね……たしかにアズサちゃんが言うように、『胎児原基の性分化過程をもう一度辿るようなもの』という我々がよく知っている学説は漠然としているね。
アズサちゃんを前にして言うのは失礼かもしれないけど、目の前の女の子が元男子だなんて聞かされても、普通はにわかには信じられないし、遺伝子検査をしなけりゃわからない。
当然私は、女子化する前のアズサちゃんを知っているからわかるけどね。
しかし今まで誰も疑っていなかった学説の盲点、よく気がついたね……。
コウキといいアズサちゃんといい、親子してなんでこう優秀なんだろうな……うちのバカ息子ときたら」
「えへへ……」
わたしの方が先に医師免許を取得したこと言ってるんだ。
「女子化の進行過程なんて誰も観測したことはないし、アズサちゃんも覚えてないんだったよね?」
「ええ……女子化真っ最中のことは覚えていません。
たしかあの日は風邪の症状はなかったんですけど、夕方強い寒気がして体温を測ったら四十度超えてまして、食事も摂らず早めに休んだんです。
翌朝、身体中の痛みで目が覚めたら女子化してたんですよ。
父に診てもらってトリガーがなかったから、後天性女子固定化症候群って診断されたんですよ」
「そうだったね……。
アズサちゃんの立てた仮説に基づいて、胎児原基ではなく生殖腺原基を再生させる方法を検討してみるか。
アズサちゃんが言う通り、十四日ルールに則ったら培養はできない」
「そうですね。ルール違反はしたくないですよね」
「だけど抜け道はあるな……」
「え? 抜け道ですか?」
「うん。多能性幹細胞を使おうかと」
「多能性幹細胞ですか……。
ということは、受精後十四日以内の性染色体XYを持つ受精卵を培養した初期胚から、胚性幹細胞を採取して生殖腺原基にまで培養させるということですか?」
「いや、生殖腺原基ではなく、始原生殖細胞でも可能だ。
十二日胚の生殖隆起内には、二千五百から五千個の始原生殖細胞が存在する。
その始原生殖細胞だけを取り出して培養すれば……」
「なるほどですね。でも一体どれくらいの数にまで培養すれば?」
「人の胎児の始原生殖細胞の最大数は、胎生二十週頃に六百から七百万個だから、おそらくそれくらいの数は必要だろうな」
「とてつもない数ですねぇ……。
でも、それを女子化固定した子の身体に移植して、仮説が正しければ始原生殖細胞が性染色体情報に基づいて内性器の分化、外性器の分化が……」
「始まるな」
「ええ、そうですね!」
*
卵子と精子は、ドナーから研究用として提供されているものを使う。
精子は、パーコール法――X精子はY精子より重いので、洗浄濃縮液(アイソレート)に精液を重層して遠心分離するとX精子は底に沈み、Y精子は上に集まる――で選別したY染色体をもつY精子。
受精後、十二日胚の始原生殖細胞を取り出して培養――。
――Y精子の選別から始まって四週間目。
始原生殖細胞の数は、細胞培養用ディッシュ(シャーレ)一平方センチメートルあたり約三千五百個、合計約六百三十万個になっている。
「ここまではいいんだが……」
「……が?」
「始原生殖細胞の移植……臨床試験の対象となる患者……被験者をどうするか……だ」
「……そ、そうですね……」
被験者とはつまり、女子固定化したTS娘。
こればかりは公に募るわけにはいかないよね……。
*
移植は始原生殖細胞を点滴で投与せず、内性器と外性器に直接注射する。針は先端に穴が開いていない、多孔式特殊移植針。
外性器には直接注射できるが、内性器は腹腔鏡下外科手術になるため全身麻酔が必要だ。
冷たく無機質な手術室。
緊張感に包まれた医師たち。
血圧計、心電図、パルスオキシメーターなどのモニター、点滴のカテーテルに繋がれ手術台に寝ている被験者――。
一条教授がわたしに問いかけてくる。
「――本当にいいんだね、アズサちゃん……」
「はい。去年医師免許を取ったとはいえ、わたしも基礎研究医の端くれ……それに、わたし以上にこの臨床試験に最適なTS娘なんていないですし」
「そうだね。では術式を開始する――」
点滴から麻酔薬の投与が始まり酸素マスクをあてられ、深呼吸してる途中から意識が遠のいていく……男性として生まれて十六年、TS娘になって十年間……。
次に目が覚めた時、わたしはどっちの姿をしているんだろう……。
〈終〉
TS娘と多能性幹細胞 中島しのぶ @Shinobu_Nakajima
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