第2話 自業自得とフォアートの正体

 一週間後。ロガノフは苛ついていた。




 くそっ!貴族たちは八割方来たというのに、フォアートはまだ来ないのか?自分から喧嘩を吹っかけておいて……失礼じゃないか?




 ロガノフが落ち着かないでいる主な原因は彼の兄と弟、つまり第一王子と第三王子にあった。




 フォアートとの婚約破棄、そしてリェーチとの新たな婚約の書類は国王と宰相に無事サインをもらうことができた。少し渋ってはいたが、自分で決着をつける、あちらに原因があった、といえば引き受けてくれた。それは早い段階で済んだのだ。


 しかしロガノフの兄弟は、婚約破棄を聞くなり、執務が途中だというにも関わらず第二王子の部屋にやってきた。特に第三王子は、まだ学園にいたというのに馬車を飛ばしてロガノフの私室に飛び込んできたのだ。二人ともどうかしている、というのが第二王子の感想だった。


 二人はロガノフが説明しても納得せず、この一週間、事あるごとにがんを飛ばされてきた。これでストレスなく過ごせというのは流石に無理が過ぎる。


 加えて、一週間前の学園卒業パーティーで、王子がフォアートに婚約破棄を突き付けたのは、既に周知の事実だった。貴族ネットワークというのはすごいのだ。今回、どう決着がつくのか、多くの貴族たちが興味を持っていた。彼らがロガノフに向ける様々な視線もまた、ロガノフの居心地を悪くさせていた。




 フォアートは来ないし、第一王子も第三王子も煩いし……やっぱりあの場で追放したほうがよかったんじゃ……




「わたくしは逃がしませんよ?」




 ふと、彼女のあの時の言葉が脳裏を過り、背筋が震える。ロガノフがそれを無理矢理忘れようとしていると、不意に、カラーン、カラーンと鐘の音が聞こえた。誰かが入場する時の合図である。




「ふ、フォアート侯爵令嬢様がご入場いたします!」




 ようやく来たか、などと考えつつ入口に目を向けたロガノフは、思わず息を吞む。




 フォアートは、周りの貴族のドレスよりも何段階かランクを落としたものを着てきていた。それでも、彼女に向けられる視線の中に驚愕はあれど、侮蔑や嫌悪の色は見えない。


 フォアートは、美しくなびく銀の髪をふわりふわりと揺らしながら、同じく銀色の瞳を伏せがちに、ゆったりと歩いていた。




 ……!




 ロガノフは言葉を失った。いったいこの国のどこを探せば、これほど美しい人が見つかるだろうか。いや、人に限らずとも、あらゆる絵画や音楽、その他の芸術品を探したところでこれに匹敵する美しさの物はないだろう。そう思わせるほどの物だった。この人間とかけ離れた何かは、ロガノフの思考を掻き乱し、言葉を忘れさせた。それほどの形容しがたい何かだった。




 その場にいた貴族たち全員に鳥肌が立ち、次の瞬間、そこにいた者は一斉に跪いていた。王家を含む全員が彼女に首を垂れていた。貴族として、人として、生物として。彼らの本能が、そうしなければならない、逆らうことは許されないと警鐘を鳴らす。


 なぜなら彼女は王家よりも貴いから。何よりも尊ばれるべきものだから。それもまた、彼らは直感で理解した。




 フォアートの一言で、この場の全員が処刑されても仕方がない。そのことに気づいたロガノフはそっと息を詰める。




 きっと、私の命もこれまでだな。一国の王子が、彼女のような高貴な者に逆らえるわけがないしな。




 そう考えた王子は、自分の体が五体満足なのはあと何分だろうか、と数え始めた。






  ❀❀❀






 フォアートは、貴族たちによって作られた道を緩慢な動作で進んだ。視界にちらちらと銀色の長髪が映る。今までは後ろで目立たないように引っ詰めていたため、少し落ち着かない。




 フォアート自身はまさか、会場に着いた瞬間貴族たちが一斉に跪くとは思っていなかった。ちょっとびっくりしてくれればいいな、程度の考えだったのだ。




 ……それがまさかこうなるなんて。




 それでも、ロガノフにプレッシャーを与えるという意味ではとても良い滑り出しだと思う。もちろん、本気のフォアートがこれだけで終わらせるはずがない。徹底的にロガノフを潰しに来たのだ。




 貴族たちによって作られた道の最奥にいるのは王族だ。フォアートは暫く無言で彼らを見下ろし、一番最初に声をかけたのは、




「国王陛下。少し質問がありますので、面を上げてくださるかしら?」


「はっ、はいぃっ!なんなりと!」




 国王だ。フォアートの美貌はもはや国王をも惹きつけ、魅了していた。本来、それを防ぐための訓練が幼少期から施されている国王が、である。




「国王陛下は、魔女という存在について知っていますか?」


「魔女というと……もしや、建国物語に登場する……」


「えぇ。黒魔術を使う者たちのことです」




 魔女は、この王国の建国物語に登場する人物だ。幻覚や幻聴で人を惑わし、言葉巧みに人を操り争いを好む者たち。それが魔女だ。


 魔女は黒魔術を使うとされ、この国では迫害の対象だった。今では数百年前の魔女狩りの影響で魔女は絶滅したといわれている。史上最悪の魔女を打ち取った騎士に英雄の称号が与えられ、それがこの国の初代国王だといわれている。




「ここからは侯爵家で今まで秘匿されてきた話なのですが……じつは、魔女の中でもしぶとく生き残った者が何人かいたらしいのですよ」




 そのうちの一人が自分の血を子に受け継がせようと画策し、侯爵家に嫁いだ。作戦は成功し、今でもフォアートの侯爵家の人間にはその魔女の血が流れている。


 とはいえ、魔女の血を引いていても、必ず魔女になるわけではない。それでも約三割は黒魔術を使えるようになる。一般人が後天的に魔女の才能を開花させることもあるが、魔女狩りの際に関係資料をほとんど燃やされたため、今はほぼ無理だといわれている。


 かくいうフォアートも、黒魔術を使うことができる。最も、露見するのが怖かったため使える黒魔術は最低限にとどめていたが。




「それで、ここからが本題なのですが……実は、魔女について書かれた大昔の文献を王家が所持している、ということを風の便りに聞いたのです。それも、侯爵家も知らないような文献をらしいのですよ」


「なっ!?」


「その文献、見せてもらえるわよね?」




 今のフォアートに逆らえるものなど、当然いるはずもなく。国内でも特級の機密情報であるそれは、あっさりとフォアートの手に渡った。




 これで、王子の断罪を遂行できる!ハッピー隠居生活まであと少し!




 フォアートは、鼻歌でも歌いだしそうなのをぐっと我慢し、文献を広げてロガノフに見せる。




「ロガノフ様、これに何が書いているか分かりますか?」


「……『数百年に一度生まれる特別な魔女』?」


「ええ。これには、特別な魔女、通称『玉桂の魔女』についての詳細が載っています。ロガノフ様、皆に聞こえるように読み上げてくれるかしら?」




 フォアートがそういうと、国王の顔が真っ青になる。フォアート一人に見せるのはよくても、大勢の前で読み上げるのはさすがにまずいらしい。外部に漏れることは変わらないというのに、だ。




「お待ちください!それは普段ならば宝物庫の最奥に保管されているものでして、その情報を無闇矢鱈と共有していいものでは……」


「それが、何か問題でも?」




 そう言ってフォアートは、真冬の氷柱よりも冷たい、しんしんと冷えた視線を国王に向ける。


 フォアートはロガノフに怒っていた。絶対にこの手でざまぁしてやると誓っていた。そのため、それを邪魔することは許されない。


 そもそも、フォアートが一週間待てたこと、そしてロガノフが既に灰になっていないことが、それだけで既に奇跡なのである。今のフォアートにとって、貧民も王族も平等。




「国王陛下は少しだまっ……いえ、静かにしていてくださいませ。さあ、ロガノフ様、早く」


「……えっと、『玉桂の魔女は、他の魔女とは異なり黒魔術の他に白魔術を扱うことができる。白魔術には怪我人や病人の治癒、気力回復や体力回復などの魔術がある。加えて、玉桂の魔女は莫大な魔術行使権限があるのではないかと言われているが、詳細は不明である。外見的特徴としては、浮世離れした容姿に月のような銀の髪と銀の瞳を持つということが、あげられ』…………」


「分かりましたか?」




 フォアートは、不自然に言葉を切らしたロガノフの顔を覗き込む。彼の顔は、国王に負けず劣らず真っ青だった。




「わたくしが玉桂の魔女なんですよ」




 そういってフォアートは静かに笑い、ロガノフと距離を詰める。宣言通り、フォアートはロガノフを逃がす気など更々ない。




「ねぇ、ロガノフ様。知ってますか?その文献は本来ならば、王族とその婚約者、及び養子関係にある者にのみ閲覧権があるんです。つまり、少し前まではわたくしにも閲覧が許可されていたのですよ」




 そういってまた一歩、ロガノフに近づく。その様子は、あたかも獲物を狙う肉食獣のようだ。




「ねぇ、ロガノフ様。知ってますか?この髪と瞳、今まで黒魔術の【幻覚】という術で黒く暗く、目立ちにくくしていたのですよ?けれどわたくし、黒魔術はあまり練習してこなかったので、あなたがいうような、『くすんで傷んだ真っ黒い髪』に見えていたのです」




 フォアートはロガノフの前に立つと、彼の顎を指でなぞる。美しい銀髪が、フォアートの肩を滑り落ちてロガノフの肩にかかる。




「ねぇ、ロガノフ様。すべて自業自得なんですよ?あなたがリェーチ男爵令嬢たちと遊び惚けなければよかったのです。あなたが常識的な態度でいれば、わたくしだって、次期国王候補の婚約者として扱われたはずなんです。次期妃候補として、きちんとした妃教育が行われる予定だったのです。その過程でこの文献を目にする機会だってあったでしょう、そうなればわたくしは、自分の能力についてロガノフ様にお話ししましたわ。あなたとわたくしでこの国の頂点に立つことも夢ではなかったのです」




 フォアートは一息に捲し立て、再度冷たい笑みを浮かべる。その笑みはまるで、真夜中の暗く冷たい北の海のように、冷ややかで、真っ黒で、真っ暗だった。


 フォアートは王子に囁く。真っ黒で真っ暗なまま、耳から後悔を吹き込ませる。




「わたくしは風の精霊と契約し、近いうちにこの国で大災害が起こるようお願いしました。あなたの愚かな行いが、国民を危険にさらすのです。王家の名を失墜させるのは、あなたですよ、馬・鹿・お・う・じ」




 フォアートはそう言い残してから、会場を入り口に向かって歩く。来たときと同じくゆったりと。美貌と魅力、そして冷たい怒りを辺りに振りまきながら。


 彼女は会場半ばまで歩いて、しかしそこでふと歩みを止める。




「そういえばわたくし、侯爵家の秘密と王家の文献の情報をこの場の全員に公開してしまいましたわ。このままいなくなるのはいけませんね、誰かさんと同じになってしまいます」




 そう言ってフォアートはくすくす笑ってから、両手を宙に掲げ、目を伏せる。




「【記憶干渉】、【魔術妨害】」




 そう唱えると、フォアートの右手にほわりと青みのかった光が生まれる。それはくるりくるりと踊りながら登っていき、天井付近でぼんやりと薄く広がる。光はしばらく天井付近で揺蕩っていたが、やがて粉雪のように音もなく舞い落ちる。


 一方で、フォアートの左手に生まれた薄黄色の光は、王族のいる場所へ一直線に飛んで行った。王族全員を覆い隠すように形を歪める。




「【記憶干渉】は黒魔術、【魔術妨害】は白魔術……別の系統の魔術を同時に使うのも、意外とできるものですわね」




 フォアートはぽそりと呟いてから、ちらりと会場に目を向ける。


 貴族たちの大半は、粉雪のように舞い降りてくる光に見蕩れていたが、王族は突如現れた薄黄色の壁に狼狽していた。




「皆様には忘れてもらいますが……王家は別です。忘れさせません。この出来事を後世に語り継がなければいけませんからね。まぁ、そのことまで魔法で縛り付ける必要はなさそうですね」




 そういってフォアートは三度冷たい笑みを湛えると、音を立てずに会場を後にした。






  ❀❀❀






「おや、終わりましたか?」


「うん。疲れたー」




 フォアートが会場を出ると、入り口付近にひょろりと背の高い男がいた。この男は風の精霊、シルフィード。フォアートと契約を交わした精霊である。




「お疲れ様です。えっと確か……貴族たちの前でネタ晴らしした後、偉大な魔女を怒らせたとして国に大災害が訪れると告げてから会場を後にする……って計画でしたっけ?」


「会場を後にする前に【記憶干渉】の魔術を使ってから、ね。貴族たちの私に関する記憶をすべて消してきた。屋敷にいる人は、家族も含めて全員記憶消してあるから大丈夫。あの会場にいなかった人は、私と直接の面識ないはずだから多分問題なし。それよりシルフィードは、この後大災害のコントロールしなきゃいけないでしょ?大変だね」




 この大災害は、国をぎりぎりまで苦しめるために調整しなくてはいけないのだ。この大災害を引き起こした原因として、ロガノフはもう国王にはなれないだろう。最悪、勘当されるかもしれない。


 加えて、リェーチ男爵令嬢の男爵領は特に被害を大きくしてほしいとシルフィードに既に頼んである。リェーチ男爵令嬢も、災害の対応で追われることになるだろう。忘れても、罪は罪なのでしっかり償ってもらう。




「玉桂の魔女様のお役に立てるなら、この程度、問題ありません」




 と言って、シルフィードはフォアートに手を差し出す。フォアートは彼の手を取りつつ、ふわりと微笑む。




「こほん。私を攫ってくださいますか?シルフィード」


「ええ、お望みとあらばどこへでも」




 そう言って、彼等の姿がふっ、と掻き消える。後に残ったのは、フォアートの香水の残り香だけで、それもやがて、徐々に消えてなくなった。貴族たちに残っていた、フォアートの記憶とともに。

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王子が私の地雷に触れたのでざまぁしようと思います abcアンタル @antaly

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